『人形劇団ひとみ座』森下文センター レクホール。 最前には床に大勢の親子が座っている。後ろのパイプ椅子もほぼ満席。入った途端蘇ったのは、私が幼稚園児の時に観た木馬座の着ぐるみによる舞台である。舞台が終わった後、演者が舞台から降りて来て子供達と交わるという趣向であったが、おそらく悪役として登場し、懲らしめられて終わったであろう狼に、頭を撫でられた私は狼が慌てるほど大泣きしたらしい。私はトラウマということが話題になると、真っ先に頭に浮かぶのがこのことである。記憶としてはこちらに近づいて来る狼の姿で途切れている。 舞台と客席の境がないような寺山演劇は、私がもっとも避けなければならない危険な舞台であったし、たとえ浅草に演芸を観にいっても、舞台上の芸人に絶対いじられないような席に座る。『リング』でテレビから貞子が這い出して来るシーンが、私にどれだけ嫌な気分を与えたか制作者には判るまい。 終演後、最後列の“最も安全な”席に座っていた私は、出口に近く、エレベーターには最初に数人とともに乗ったのだが、鬼太郎その他の演者がエレベーターを見送ることになっていたらしく、ドアが閉まりかけにようやく間に合い、「有難う御座いました」と見送られた。さすがに早くドアを閉めてくれ、とは思わなかったが、いいよそこまでしてくれなくても。とは思ったのであった。 先日、いつもの美人ばかりのクリニックへいったのだが、それまで順調に下がっていた数値が初の横ばいであった。歩いて帰ることにした。私が病的な方向音痴であることは度々書いてきた。生まれつき持って生まれた物は、私には一切責任がない。よっていくら書いても恥ずかしくないのである。間違いの元は、この道は見覚えがある、と思うとそちらへいってしまうことである。そしてそこそこ歩いたところで気がつく。この記憶は来るときだったか帰るときだったか。道ばたの地図を、極力頭をかしげないように注意しながら見ると、たいてい方向が逆なのである。歩くのが目的なのだから距離が伸びたのは良しとしよう。 ある店の前を通り過ぎようとすると、先ほど鬼太郎で騒いでいたような幼稚園児らしき男の子が、店の壁によりかかり、口をあんぐりと開けっ放して空を見上げている。冷たい曇天がその瞳に映っているのを見てドキリとした。店内にはショーケースを眺める両親と思しきカップルの後ろ姿。この子を放っておくと私みたいになってしまう危険があるぞ。注意してあげたい衝動に駆られるが、まあ生れつきならしかたがない。
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