明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

奇岩  


拾得は、豊干禅師に拾われ寺に住むことになり拾得と名付けられた。天台山は国清寺の炊事場で下働きをしている。住まいの山から現れた寒山に、竹筒に残飯を詰めて渡している。そして二人で他の者には理解出来ない奇妙な言葉を発しては何やら楽しそうに笑い合っている。かまどを前に寒山拾得など面白そうだが、日本に年号が出来たかどうか、なんて時代の中国のかまどがどんな物であったかは、ちゃんと調べてみないと良く判らない。 曾我蕭白は奇岩に囲まれた寒山と箒を持ったまま訪ねて来た拾得を描いている。この奇岩がまるで巨大な結晶のような、まさに奇岩である。今のところ高橋幸宏さんの『EGO』のジャケットでやったように石膏を削って岩肌を作るつもりである。物語は閭丘胤(りょきゅういん)という官吏が、天台山の国清寺に寒山と拾得という文殊、普賢菩薩の化身がいる、と豊干に聞き、有難いことでも期待して2人を訪ねて行く。しかし寒山と拾得は「豊干がしゃべったな」と笑いながら何処かへ消えてしまう。閭丘胤は〝感じるな考えろ”の典型として描かれている。と思う

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制作  


無呼吸症候群、寝入りも目覚めも良いので、つい忘れてしまうのだが、装置CPAPを着けないと、粘り気が失われて、こらえが効かない。一日の作業時間が短くなってしまうのは間違いがなく、やはり着けて寝たい。私は首が出来ていると仕上げの手前まで持って行くのが早い。写らない部分を作らない場合はなおさらで、被写体制作と撮影の二刀流には欠かすことの出来ないのだが、あれっまだ作ってる?ということが続いた。原因が判らず首をかしげていたことを考えると良かった。気がついていない人は多いだろう。 寒山と拾得は、間に豊干を置くが、二人の頭の向き角度を対応させ、対として描きたい。寒山と拾得、豊干と虎が寄り添って寝ている『四睡図』は必ず作りたいが、寒山拾得展と称すなら、スケジュールにより仙人3人を次回に回し、ということも考えたならないかもしれない。 龍虎図なんて考えていたのは誰だ?



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