最初に三遊亭円朝で陰影のない撮影した時、人肌を重ね塗りしたのが、ただ汚れのムラに見えて、三脚などそのままにして一色のベタ塗りにし直した。寒山と拾得など着衣はボロでも形だけで、陰影を描かない日本では汚しの表現は、あまり用いられない。 数年前、シャレコウベを掲げた一休禅師を初めて制作した時、私にとって重要な人物とは思っておらず寒山拾得展の脇役に過ぎなかったので、本来汚い雲水姿こそ似合う一休禅師に正装を着せてしまった。掛け軸状に制作した一点は元サンデイエゴ写真美術館の館長であったデボラ・クロチコさんの元へ旅立ったが、ここに至ると『一休禅師』で小4の私がイメージした汚い雲水姿で再制作を試みたい。ちなみに汚れは埃っぽい窓際に何週間も置きっ放しにしておいたホンモノ?を予定している。