2024年(令和6年)12月15日(日)
冬の空が寒い。
広がる干潟・・・。
別の日。夕陽を撮す人影。
雲がかかる。
まだ残っている・・・。(コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございました。)
2024年(令和6年)12月15日(日)
冬の空が寒い。
広がる干潟・・・。
別の日。夕陽を撮す人影。
雲がかかる。
まだ残っている・・・。(コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございました。)
2024年(令和6年)5月4日(土)みどりの日。
南の牛水海岸から長洲、雲仙普賢岳方面を眺めました。
長州港から有明フェリーが対岸の多比良港向かって出港しました。
沖合には貨物船と海上保安庁の船が航行しています。
多良岳と雲仙普賢岳の裾野が広がっています。
北の荒尾港方面です。満潮時で荒尾干潟は見えません。
ヒルザキツキミソウ(昼咲き月見草)が咲いています。
孫娘のNanaがまたパンを焼いて持ってきてくれました。メロンパン(手前)と、チョコチップパンです。いらっいらっしゃいませ、コメント欄はオープンです。
2023年(令和5年)7月27日(木)
24日に海岸に行ってみましたが、更に漂流物・瓦礫が増えていました。北の方角です。
10メートルにもなる大木です。
この翌日(25日)、北部九州も梅雨が明けました。
まだ手つかずの状態です。
波に打たれてゴロゴロしています。
周囲を見回しても渡り鳥の姿も見えず、鳴き声も聞こえません。
長洲町の方角です。白砂の砂浜も瓦礫でいっぱい!。無残です。
排水溝にも大木が乗っかっています。(コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございました。)
2022年(令和4年)9月8日(木)
台風11号が沖縄近海で迷走していた2日お昼頃の雲仙普賢岳です。
こちらはその北側の多良岳です。
波打ち際ではおばあちゃんと孫娘の姿がありました。まだ波も穏やかです。
台風一過、7日の荒尾干潟です。干潮時です。
追加写真。大きな木の根っこが漂着していました。
海苔養殖の時期を前に準備をしている姿が見えました。
長年、放置されているテーラーです。もう赤いサビが見られます。コメント欄はオープンです。
2022年(令和4年)8月24日(水)
夕方の散歩はさすがに暑さで身体に応えるので、最近は5時に起きて連れ合いと歩いています。行きは海岸堤防取付け道路を、帰りは一段下の松並木の旧道を通ります。この時刻、まだ薄暗さが残っています。右手が海です。
今度は左手が海。松の古木が生い茂っています。
松ぼっくりがごろごろ転がっています。
左手の松がなくなりました。
竜宮の祠です。64年前に建立されています。昭和62年(1987年)1月、「日本白砂青松百選」に選ばれた記念の木碑が立っています。
東の空が赤くなってきました。
西の空。土手越しに眺めました。全てスマホの写真です。コメント欄オープンです。
2022年(令和4年)4月2日(土)
荒尾海岸には3月末から4月の初めにかけてこの緑の海草のようなものが見られます。
養殖海苔が黒から緑に変色し流れ着いたものです。
以前はこれを拾って食べていたものですが、今は放置されています。
こうして干潟いっぱいに広がっています。
波打ち際の緑の海苔。動画(50秒)をご覧ください。
黄昏(たそがれ)時の荒尾干潟。若いカップルの姿も見えます。
潮が満ちてきて海面も赤く染まります。連続してコメント欄オープンです。
2021年(令和3年)5月26日(水)
知人からシロチドリの卵を見つけたという知らせがあったので、出先から海岸へ回ってみました。茅花(つばな)が咲き乱れていました。
幼少の頃、まだつぼみの柔らかい芽を競って食べていた懐かしい思い出があります。
今の子どもたちはもう見向きもしないでしょう。
「茅花」(つばな)は春の季語です。茅花摘む大正生まれの貌を持ち 樋口知津(京鹿子歳時記)
シロチドリの卵は発見に至りませんでした。
駄菓子屋「ふく屋」さんのお菓子です。お店に時々お邪魔しています。【コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございました。】
2021年(令和3年)5月2日(日)
寄せられている海岸の砂山に草が生え、菜の花が咲いていました。
南には三角半島の山々が見えます。雲仙普賢岳もかすまず見えています。
貝殻の山です。
ハマダイコンの花でしょうか、いっぱい咲いていました。
ハマヒルガオ。その昔、「君の名は」の主題歌。♪今日砂山に ただ一人来て 浜昼顔に きいてみる・・・」と織井茂子が唄っていました。もうかれこれ68年くらい前になるでしょうね。
犬を連れて散歩する人も多いです。向こうには少しばかり渡り鳥たちが休んでいます。
5月になりました。正楽寺の住職さんが佐賀神崎町のご実家(浄徳寺)からシャクナゲを持ってきて下さいました。【今回もコメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございました。】
平成31(2019)年1月13日(日)
海の近くを通るJR鹿児島本線、界隈に用のなくなった海苔船が放置してあります。
海岸近くの人家のそばにも・・・。
これはもうすっかり朽ち果てています。
処分されないままの船です。
蔦が巻き、辛うじて船の形を留めています。
海岸の松林にはこうした無数の船が残骸をさらしています。私の住む蔵満区だけでもかつては50軒を超える海苔業者がいましたが、今は1軒もありません。
移植されたハマゴウです。根付いているかどうかはまだ分かりません。
カルガモの群れです。
マガモも混じっていました。
雲仙普賢岳です。
若い女性が干潟を眺めていました。
海苔の手入れをしたテーラーが帰路につくところです。
夕陽が落ちていきます。
冬の蔵満海岸界隈の風景でした。
平成30年6月26日(火)
梅雨時の雲が厚い夕暮れです。(画像は全てiPhone+での撮影です。)
翌日の晴れた日にまた出かけました。パノラマです。南西方向約100度くらいの視野です。
防波堤の先端から180度のパノラマです。左が北・福岡との県境、右が南・長洲方面です。正面が猫宮海岸。旧海水浴場跡です。
遠く四山の灯台が見えます。
防波堤に打ち上げられたクラゲ。回りには 生きている小さなスガイなどがへばりついています。
左が雲仙普賢岳、太陽の左側のかすかな山が多良岳。この時期は多良岳の北に陽が沈みます。
砂紋がきれいです。
秋の陽はつるべ落としですがこの時期はゆっくり、ゆっくりと沈んでいきます。
干潮時で海面と干潟の境目がくっきりとしています。
沖合に停泊している貨物船が小さく見えます。
真っ赤な夕焼け。
そろそろ陽が沈みます。
平和な海が続きますように・・・。YouTube・「2015創作ステージ楽曲抜粋2」の私の作詞した2曲『荒尾梨讃歌』と『干潟のあしたへⅠ』も入っています。時間のあるお方はご視聴下されば嬉しいです。
平成30年5月18日(金)
3月の撮りだめの夕陽の写真です。27日、自宅裏からの撮影です。
28日の海岸。飛行機雲です。
3月下旬には多良岳の頂上に陽が沈みます。
まん丸な夕陽です。
しずみかけた夕陽。
辺りはシーンとしています。
暗くなってきます。私の好きな黄昏時の帳(とばり)です。
29日の夕方。ボラが跳ねていました。
今宵も真っ赤な夕陽です。
きょう一日、ありがとうと囁きます。
あの山の向こうにも幸せが住んでいるのでしょうか・・・。
こうして人はまたあすを夢見るのでしょうね。
東からは月が昇ってきました。【コメント欄は閉じています。】
平成30年2月27日(火)
ことほか寒かった今年の冬、雲仙普賢岳に積もる雪の量も多かったようです。市の大型商業施設から眺めた雲仙普賢岳です。2月9日の撮影です。
今季の冠雪はやはり壮観です。
海岸へ回ってみました。すっかり潮が引いています。
どこからかシギ・チドリの声がしますが姿は見えません。
アップしてみるの海苔網のヒビが見えます。
頂上付近です。
昨年の大雨で漂着しいた瓦礫などの処理がまだ行われていました。
どこへ運搬していくのでしょう。
ハマシギやシロチドリの群れです。(iPhone8+で2月17日撮影)。
同日、カルガモの群れ。
同じくiPhone8+での撮影です。
新年度に着工予定のビジターセンター(仮称)の盛土の様子。
こちらはちょっと手前の駐車場予定地の工事状況です。舗装される予定です。
平成30年2月6日(土)
寒い日が続く荒尾の海岸です。榎の大木も寒そうです。手前は私の愛車です。
上空の雲も心なしか寒そう!
珍しく油絵を描いている人を見かけました。お隣の大牟田から来たそうです。「寒かでしょう?」と声をかけたら「寒なかです。」(寒くないです)と返ってきました。描画に集中されているのでしょうね。
昔の海水浴場はこの辺一帯でした。店が立ち並び、貸し切りボートで賑わっていました。市営の無料休憩所や三井系の会社の休憩所も数軒建っていました。全盛期にはダンスホールやパチンコ屋もありました。飛び込み合いも2,3台あり、私らも良く飛び込んで遊びました。iPhone8+でのパノラマ写真です。
良く見たら犬を遊びにつれてきている夫婦のようでした。
干潮で沖まで潮が引いています。雲仙普賢岳には雲がかかっています。
北西側の眺め。かすかに佐賀の背振の山脈が見えます。
普賢岳には積雪が見られるはずですが、くすんでいて見えません。
海苔舟が残照で黒っぽく見えます。
上空をヘリコプターが飛んでいきました。