花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

花の命 (一)

2008-04-30 | 花・植物・果実
 平成20年4月30日(水)

 どんこのつぶやきです。


 
 今年はどんこ草庵の満開の桜を紹介そびれていました。4月1日です。





4月10日にはこんなになっていました。



 俗に言う「ダイコンバナ」は近所から貰って植えたものです。



 以下どんこ草庵の庭に咲いた“命”の幾つかを紹介します。





 新高梨の花



 桃の花



 菩提寺の若院さんの実家からいただいた石楠花「ゆめ」です。



 花々はまだ続きます。
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渡り鳥の季節(一)

2008-04-28 | 荒尾海岸の渡り鳥
 平成20年4月28日(月)

 近くの海岸に渡り鳥たちがやってくるようになりました。石ころではありません。野鳥のかたまりです。これで約3千羽近くいます。暖かいオーストラリア方面からシベリアやアラスカへ戻る鳥たちが一時的にこの海岸で栄養を補給するために立ち寄るのです。



 どんこなどはもう興奮してしまうのですが、馴れない人はウジャウジャしていて気味が悪いと言います。



飛び立つと広い空もご覧のようになります。



 群れの中から幾つかの鳥を紹介します。これはチュウシャクシギ(中杓鷸)です。全長42センチです。



 ダイゼン(大膳)・全長29.5センチ。こ子はまだ冬羽です。



 この右を向いているのはこの海岸では数の少ないオオメダイチドリ(大目大チドリ)(全長21.5センチ)のようだと鳥見の先輩方が認定してくれました。



 昨日(27日)は全国一斉のカウント調査でした。どんこは所用で参加できませんでした。
 野鳥の会Yさんの調査では海岸一帯でシロチドリ(6)、メダイチドリ(89)、ダイゼン(352)、キョウジョシギ(176)、トウネン(43)、ハマシギ(2651)、ミユビシギ(5)、キアシシギ(28)、ソリハシシギ(1)、オオソリハシシギ(416)、チュウシャクシギ(118)でした。総数は何と3,885羽です。

 嬉しいことにシロチドリの雛のよちよち歩きが3羽いたと言うことです。孵化していたのだと嬉しくなりました。
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いつもと違う浅草

2008-04-26 | 上京編
 平成20年4月26日(土)

 入谷ふれあい市場前から「北めぐりん」と言う巡回バスに乗って浅草まで出ることにしました。100円均一という値段も嬉しい乗り物ですね。
 今回はいつもと違うところを歩いたり見たりすることにしました。お馴染みの雷門です。この底には彫り物があります。ソコまでは知らなかった!。知る人ぞ知る松下幸之助さんの寄進です。



 せっかく浅草まで行ったので、宝蔵門と五重塔の見える一枚を紹介します。



 この宝蔵門、本堂観音堂の東側の境内には参詣の人々があまり見向きもしない句碑などがひっそりと建っています。その幾つかを紹介します。人物・業績についてはリンクでご覧ください。
 初代市川猿翁の句碑です。



 久保田万太郎の句碑。俳句も読み取れます。



 川口松太郎の句碑。女優三益愛子の夫、俳優川口浩の父親としても知られています。左上の写真は今の浅草風景をセピアに仕上げてみました。



 これは才媛の誉れ高かった吉原の遊女・粧太夫の献碑です。柿本人麻呂のこの歌が万葉仮名で記されています。



 本堂の裏に回ると九代目・市川團十郎銅像がそそり立っています。迫力ある銅像です。





 花屋敷遊園地前を西に歩き、ひさご通りを右折し、しばらく行くと「江戸下町伝統工芸館・ギャラリー匠」があります。驚くことに年中無休、入場無料、写真撮影自由なのです。



 内部を一部紹介します。ここは一見の価値があります。お勧めです。



 今回の浅草紀行は人があまり行かないようなスポットをほんの少し紹介しました。4月15日の紀行です。首都圏紀行、まだまだ続きます(笑)。
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ああ 牡丹

2008-04-24 | 花・植物・果実
 平成20年4月24日(木)

 上京するに際して、シロチドリ抱卵の他にもう一つの気がかりだったのは、庭の牡丹の満開を見られないかも知れないと言うことでした。帰宅したら花はもうすっかり峠を越していました。
 出かける数日前の画像です。





 これは上京中、チョロ・ツーの母親(どんこの次女)が撮ってくれたものです。



でも、残っている花の幾つかを撮ることが出来ました。







 品種名は植えた当座は覚えていましたがすっかり忘れてしまいました。紫の花もあります。



 終わった花をそのままにしておくと樹勢が弱まりますので、切り落とします。



 花の命は短いものです。 
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シロチドリ抱卵

2008-04-22 | 荒尾海岸の渡り鳥
 平成20年4月22日(火)

 4月7日のことです。シロチドリの抱卵を珍しく見ることが出来ました。いつも海岸を散歩している近所のTさんが教えてくれました。人や車が通るそばの貝殻の砂地に何気なく3個産卵していました。



 車の中で待っているとシロチドリが辺りを警戒するように近づいてきます。左足にはこの海岸で付けられた標識があります。



 視線の先にはねずみ色をしたうずらの卵大の3個の卵があります。



 やおら、かがみ込んで抱卵に入ります。



 どっしりと卵を温めています。



 バイクが通り過ぎても動じませんが散歩する人が近づくとそうっと離れていき、2,3分もすればまた抱卵に戻ります。昼間はこの繰り返しです。



 上京するため、知り合いの野鳥の会Yさんに場所を教えておきました。
 20日にこの一帯で清掃活動後、探鳥会が予定されているからです。近くに空き缶などが散乱し、清掃する人たちが知らずに踏みつぶす恐れがあったからです。
 でもYさんからどんこが上京したその日にはもう卵はなかったと報告がありました。孵化したのかどうかは不明です。鳥友だちのグチさんの話だとなかなかこの海岸での孵化は困難なようだとのことでした。孵化後の卵の殻は親がくわえて持ち去ると言うことです。孵化期間は3週間くらいだそうです。

 Tさんは他にも数カ所見つけていましたが、ほとんどが次に行ったときにはもうなかったと言うことです。
 孵化してどこかで親鳥と連れ添っていることを密かに願っているどんこです。
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根岸を歩く (二) 終章

2008-04-20 | 上京編
 平成20年4月20日(日)

 15日は汗ばむ陽気でした。「笹の雪」の道路一つ隔てた向こうに台頭区立根岸小学校があります。小学校とは思えない校舎の壁面に「御行の松」のレリーフが豪快に飾られています。



 通りの一角に庚申塚があり花が手向けられていました。変わらぬ信仰の証でしょう。


 
 初代「御行の松」が安置されている不動尊です。現在の松は三代目だそうです。ここにも子規の句碑があります。

  松一本根岸の秋の姿かな  子規



 汗を拭き拭き歩きながら見かけた懐かしい感じのする店々です。福助せんべい店で醤油焼き、海苔巻きせんべいを買ってきました。


 
 路地裏です。



 小野照崎神社の富士塚です。



 最後は言問通りにある入谷鬼子母神です。子規の句。

   入谷から来る朝顔の車哉

 近くには「入谷朝顔発祥之地」「入谷乾山窯元之碑」が建っています。



 根岸探訪記はひとまず終わります。説明が冗長になりますので、要所はリンクさせていただきました。ご参照くださればありがたいです。
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根岸を歩く (一)

2008-04-18 | 上京編
 平成20年4月18日(金)

 子規庵のある根岸に行ってみたいと前々から思っていましたが、やっと実現しました。ひとり歩きです。山手線の鶯谷駅を降りると先ずびっくり。ラーメン屋さんの上に鳥居が乗っかっている光景が飛び込んできます。れきっとした「元三島神社」です。



 後ろから回ってみたら閑静な普通の神社でした。境内には正岡子規の句碑が建っていました。



 子規庵はひっそりとして、訪ねる人も少なくようでした。塀の貼付け画像は民家の至る所に掲示されていたものの一つです。



 八畳間でビデオを見て、子規が臥せっていた六畳の間で記帳をしました。展示の品々をじっくり見ました。35歳の若さで亡くなった偉大な足跡を垣間見ました。子規が病床から眺めたさほど広くない庭に降りて一回りしました。モンシロチョウが舞っていました。

  はるばると訪ねし庭に蝶の舞う   どんこ
 
 室内はもとより庭も撮影禁止で内部の画像をお届け出来ないのが残念です。

 次に落語家の林家三平ゆかりの三平堂へ行きました。水、土、日の三日間しか開放されず「どうもしません」との掲示がありました。



 昼は豆腐料理の老舗創業314年前と言う「笹乃雪」へ寄りました。ここでは豆腐を「豆富」と言っています。江戸で絹ごし豆腐を最初に作ったのもここだそうです。



 メニューにも子規の句がありました。この町は子規一色の感じです。私は「うぐいす御膳」と生ビールをいただきました。



 腹ごしらえも出来ました。もうしばらくあちこちと迷いながら歩き続けます。続きは、また次回へ・・・。
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赤坂サカス akasaka sacas

2008-04-17 | 上京編
 平成20年4月16日(水)

 13日、上京の翌日話題のTBS周辺のアカサカサカスへ行ってきました。今回は学校が始まっているのでチョロ・ツーは連れてきませんでした。こちらの孫二人が同行です。小雨交じりで肌寒い天気でした。
 赤坂駅からの玄関口には縦8m、横24mの「四季樹木図」(千住博作)が飾られています。陶板で出来ています。



 もうイベントもほとんど終わり、客足は多くはありませんでした。



 イベント広場です。



 ショッピングや食事が出来る店々が入っているBizタワーです。



 われわれはギネスブック認定の店、ベルギービールが売り物の「デリイウムカフェ レゼルブ」でランチを食べました。



 ランチメニューはパスタと肉料理の二種だけでしたのでこちらの肉料理にしました。



 まあまあでしたが、孫たちには今一のようでした。赤坂を後にして原宿ー新宿へ回ってきました。この3年で表参道ヒルズ、東京ミッドタウン、アカサカスのオープン時を訪ねたことになります。
「あんたももの好きですね」と言われます。間違いないので
「はい、好きですよね」と笑って答えています。
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オオソリハシシギ 飛翔

2008-04-14 | 荒尾海岸の渡り鳥
 平成20年4月14日(月)

 飛んでいる鳥をて自分も翼を付けて飛んでみたい、一度はだれでも夢見たのではないでしょうか。オオソリハシシギは人間のささやかな夢など気づきもしないように悠然と飛んでいます。



 これは着地寸前です。激しく羽ばたきをして静止の姿勢をとります。



 鳥は異種間でも仲良く混在しています。地球のどこかであっているような大国が小国を弾圧するようなことはしません。大きな鳥が小さな鳥を威嚇したり殺生したりはしないのです。



 小さなハマシギにぶち当たらないように着陸地点を見つけます。



 これは飛び立つ瞬間です。足がすーっと延びて、羽根も大きく開いています。



 同じく羽を広げていても着地する瞬間の姿は違います。視線にご注目ください。茶褐色はもう夏羽です。



 口を開けて鳴いているのはダイゼンです。
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柳川旅情(二) 御花(おはな)

2008-04-12 | 紀行
 平成20年4月12日(土)

 柳川には有名な「御花」(おはな)があります。御花は旧柳川藩主立花家の別邸です。江戸時代、この地域が「御花畠」と呼んでいたことに由来するとのこと。元禄十年(1697)頃、立花家四代鑑虎(あきとら)の時、別業(別邸)を営んで御茶屋と称し、亭名を集景と名付けたのが現在の御花に連なるものと考えられているとパンフには記されています。
 現在の建物、庭園の大部分は明治時代の終わり頃、十四代寛治(ともはる)によって新築されたもので、西洋館と大広間、庭園(松濤園)建造物群です。
 正門から西洋館と和館、庭園(松濤園)は昭和53年、国の名勝に指定されています。

 

 松濤園の全景です。仙台松島の景を模したとも言われ、園内には280本の松の古木があります。大部分は樹齢200年を超えるものだそうです。池には毎年10月頃から4月半ばまで約500羽の野鴨が集まるそうですが、この日は少ししかいませんでした。





 前日(3日)までは「柳川雛祭り・さげもんめぐり」が開かれて賑わっていたそうです。御花の御居間(おいま)にも豪華なさげもんや雛人形が飾られていました。
 「さげもん」とは「旧柳川藩時代に女の子が生まれた時、親戚、知人から贈られた着物のはぎれで、この子が一生幸せでありますようにと祈りを込めて、縁起のよい「鶴」「兎」「宝袋」「三番鼠」「這い人形」など一針一針縫い上げた手作りの布細工と鮮やかな七色の糸で巻いた柳川地方伝統の大まりを下げ輪の中央に、小まりと縫いぐるみを交互に下げ輪につりさげたものです。」(柳川観光協会HP)
 現在は料亭として使用されています。





 西洋館の一部です。



 館外には御花資料館「殿の倉」が藩主着用の甲冑等や姫君愛用の雛人形など貴重な品々が展示されています。本館とのセットで入場できます。



 次回は北原白秋生家を紹介する予定です。
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オオソリハシシギ

2008-04-10 | 荒尾海岸の渡り鳥
 平成20年4月10日(木)

 近くにある一部(いちぶ)漁港の下に、オオソリハシシギの群れが来ていました。ハマシギ、トウネン、メダイチドリの群れもいました。400羽を超える数です。



 先日紹介したダイシャクシギとは反対に、くちばしは上に反っています。全長41センチと大きなシギです。茶色っぽい色は夏羽です。もう衣替え(?)が見られます。



 南方から生息地のシベリア方面へ戻る途中にここで体力を付けるために立ち寄ったものです。有明海の豊富なエサがこれからの長旅を支えてくれています。(2枚目以降はデジスコでの撮影です)



 甲殻類、ゴカイ、貝類などを主に食べます。このようなアオサも食べているようでしょうか。



 長い嘴は絶好の道具でもあります。



 時間を惜しむように餌を獲るのに夢中でした。いよいよこれからが渡り鳥たちが北方へ帰る途中に寄り集まってくる季節の到来です。



 次回はオオソリハシシギの美しく飛ぶ姿を紹介します。
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柳川旅情(一)

2008-04-08 | 紀行
 平成20年4月8日(火)

 柳川は福岡県ですが熊本県北にあるどんこ草庵からは車で1時間はかからない距離にあります。先日沿岸道路が開通し更に時間が短縮出来ます。
 北原白秋の故郷としてあまりにも有名です。水郷柳川の名をほしいままにしています。柳の下には煉瓦色の白秋の歌碑があり、こう刻まれています。



 町のいたるところに張り巡らされている堀はどんこ船の行き交う水路でもあります。しだれ柳は風に揺らいでいました。堀を挟んでうなぎ屋や土産物屋が並んでいます。



 3日まであった柳川雛祭り「さげもんめぐり」の片付けがあっていました。



 観光客を乗せたどんこ船です。船頭さんのユーモア溢れるガイドはたっぷり楽しませてくれます。船から眺める柳川の風景もまたお勧めです。



 この近くの海から採れる魚貝類がたくさん並んでいました。イソギンチャク、ワラスボ、メカジャなどはここ独特のもです。



 旧柳川藩主立花家の別邸「御花」のすぐそばの船着き場を通るどんこ船です。向かいの白壁の家はうなぎ屋です。川面に映る影にも春の訪れを感じさせます。
 次回は「御花」を中心にご覧いただく予定です。



【お断り】少し気が緩んだのか妙に寒気と頭痛がして一昨日(6日)の昼から伏せっていました。チョロ・ツーは泊まると張り切っていましたが、ちょっと面倒をみる気力がなかったので迎えにきてもらいました。ブログの更新日でしたが出来ず、1日遅れとなりました。皆様へのコメントも遅くなっていて申し訳ございません。
 
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熊本城で遊ぶ

2008-04-05 | 孫たち
 平成20年4月5日(土)

 水辺動植物園を後にして、都会育ちのチョロ・ワンは歩き疲れ「もう帰ろうよ」としきりに愚痴っていました。今度4年生になるチョロ・ツーの方はいたって元気です。「せっかく来たのだから熊本城へも行こうよ」と電車内で言ったひと言でお城行きが決まりました。
 熊本城は昨年築城400年を迎え多彩な行事が展開されています。入場してすぐの左手に見える飯田丸五階櫓です。宇土櫓とも言っています。




 すぐに見えてくる大天守閣です。この一帯は西南戦争開戦三日前に謎の出火で焼失しましたが昭和35年に復原されました。



 大小天守閣です。大天守閣の6階展望所になっていますが、階段に行列が出来ているのに怖じ気づいたチョロ・ワンが「上らない」と言うのでやむを得ず引き返しました。「せっかくお金を払ったのに、もったいないよ、ねえじいちゃん」とツーの方は未練たっぷりでした。
 この度復原された本丸御殿は今月20日に公開されます。



 天守閣には上ろうとしないのに、武者返しで有名な石垣には這い上がっていました。



 帰りは下りの御幸坂です。桜の並木があります。手前がチョロ・ワン、野球のピッチャーの投げる格好をしているのがチョロ・ツーです。



 チョロ・ワンは8日間の里帰りをほとんどチョロ・ツーと過ごし、今日帰京します。カミさんが同行します。福岡空港までチョロ・ツーと一緒に送っていくことにしています。「また泣くよね」とチョロ・ツーは夕べからもううるうるです。
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熊本市水辺動植物園

2008-04-03 | 孫たち
 平成20年4月3日(木)

 首都圏から小学校を卒業したばかりの孫がひとりでやって来ています。長女の2番目の息子です。小さい頃チョロチョロしていたので、その父親がチョロ・ワンとニックネームを付けました。3歳年下の次女の息子には同じくチョロ・ツーと名付けています。こちらは地元在住です。
 JRと市電を乗り継ぎ、久しぶりに熊本水辺動植物園を訪れました。



 幼い頃から気が合ういとこ同士です。春休みは短い上に中学の入学式が7日にあるので、そろそろ帰京しなければなりません。つかの間を惜しむように、片時も離れず遊んでいます。



 水辺動植物園と言うだけのことはあり、こんな静かな水辺もあります。



 動物たちの表情です。





 チョロ・ワンはこのところ「長州小陸」と名乗って、チョロは卒業したと言い張っています。でも動物を見るより遊具の方が興味深いようでした。チョロ・ツーは怖いと言って、ゴンドラには乗りませんでした。



 桜は満開でした。花曇りで青空が見えず、桜が映えていませんでした。



 この後、また市電に乗り熊本城へ向かいました。
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昔の賑わいは・・(ふるさと三)

2008-04-01 | 風景
 平成20年4月1日(火)

 わが街荒尾は人口6万弱です。熊本県の最北端に位置しすぐ北隣は福岡県の大牟田市です。以前は大牟田の市電が県境まで来ていて、この四ツ山県境は市の一番の繁華街でした。
 この建物界隈はもう大牟田市です。終戦直後は闇市場で賑わっていました。闇市場がなくなってからもバラックの商店街がひしめき、盆正月には買い物客でごった返したものです。その片鱗も今は全くありません。
 大型集合商業施設が市の中央部に出来て、客足がそちらの方へ流れてしまったことが衰退の原因のようです。



 振り返ったこちら側が荒尾市です。市営バスの終点になっていました。市営バスはなくなり、民間のバス会社が後を引き継いでいます。
 左側には「大天地」「第二大天地」と言う2軒の映画館が競い合い、閉鎖後はパチンコ店になりましたが、そのパチンコ店も閉店してしまいました。



 県境の地点から東側を眺めると、この通りの左側にも「新世界」と言う映画館がありました。いずれも盆正月には立ち見の客で溢れかえっていました。その後この少し先にスーパーのダイエーの進出があり、一時は集客があり、賑わいを呈していましたが次第に客も疎らになり、撤退して一挙に淋しくなってしまいました。
 昼間というのに歩く人影さえ見かけません。



 JR荒尾駅です。駅舎はほとんど昔のままです。駅の手前がバス停になっています。西鉄バスと産交バスが乗り入れています。



 大正町です。以前は大正区と言ってここも繁華街の中心地でした。通りには銀行や郵便局がありますが往年の賑わいはありません。下校の小学生の声がわずかに活気を感じさせます。



 この子たちが大きくなった頃再びこの通りに活気が戻ってくるでしょうか。



 次回は今の賑わいのある地区を紹介します。4月のポストカードです。これから一年、芭蕉の俳句を掲げることにします。


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