花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

上京思い出のスナップ(二)・・・平成14年2月~平成16年3月

2020-06-30 | 上京編

  2020年(令和2年)6月30日(火)

   首都圏に住む長女のマンションから撮った夕方の富士です。上の孫が小学3年、下の子が幼稚園(年長組)の頃です。2002年(平成14年2月)です。

 同年同月。巣鴨に行ってきました。18年も前のことです。誰が今日のコロナ騒動を想像したでしょうか。「密」は当たり前でしたよね。

 早稲田大学の大隈講堂です。翌・2003年(平成15年)の8月です。テツandトモの「なんでだろう~」が大流行していました。

 浅草仲見世もいつもの通り超密でした。2003年(平成15年)の10月。

 2003年(平成15年)の10月、長女一家と府中にある東京競馬場へ行きました。

 ちょっと馬券を買いましたが当たりませんでした。

 同じ年月。六本木ヒルズに行きました。タワーから見下ろす東京の町並みです。東京タワーが見えます。

 2004年(平成16年)の3月、上野公園の西洋美術館の前庭です。いろんな彫像が建っています。世間では「冬のソナタ」が大人気、韓流ブームが起こりました。ペ・ヨンジュン、チェ・ジウは一躍人気スターになり、日本中のおばさまたちは熱を上げましたね。

 不忍池の蓮は枯れていて、水面にはキンクロハジロなどの鴨が泳いでいます。

 六角堂。

 早咲きの桜を見に、花見客もご覧の通りです。

 こういう日常を早く取り戻したいものです。

 公園入口にある小さな雑貨店の内部。子どもの喜びそうな品々がいっぱいありました。【コメント欄は閉じています。】

 

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荒尾市の鳥シロチドリ・・・回想

2020-06-27 | 荒尾海岸の渡り鳥

  2020年(令和2年)6月27日(土)

  シロチドリは市政70周年記念の年(2012年<平成24>)に荒尾市の鳥に指定されています。今年の春はシロチドリを撮る機会が少なかったので過去の写真を紐解いてみました。2007年の蔵満海岸です。頭に黒い毛があるのがオスです。

 シロチドリの一部は荒尾で生まれ、育ちます。2008年の7月です。

 こうして羽を伸ばし、飛び立つウオーミングをします。2008年7月。

 女親はちょっと離れた所から見守っています。

 父親も同様です。

 たまにはいさかいも起こします。縄張り争いでしょうか。2009年5月。

 「あっちへ行け」と追い払っているようです。

 これは偽傷行動。カラス、犬、人などが産卵場所や雛に近づくとケガを振りしてバタバタと卵や雛から痛々しい格好で逃げていき、注意をそらします。

 近づくとパッと飛び立ちます。こうして命がけで卵や雛を守っています。

 シロチドリは一夫一婦で雛を育てます。2014年5月。

 親子連れです。慈愛を感じます。2014年5月。

 春の渡り。向こうの山は雲仙普賢岳です。2014年5月。

 光る波を浴びて・・・。2009年7月。

 真昼の大らかな交尾。2009年6月。シロチドリに敬意を表してコメント欄を開けました。

 

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梅雨の晴れ間

2020-06-24 | 日常

  2020年(令和2年)6月24日(水)

 近くの有明公園(私の母校・小学校の跡地、今は移転しています。)。草が伸びていました。(写真は全てスマホでの撮影です。)

 先日、グランドゴルフ仲間と定期の草刈りを早朝からしました。

 きれいになりました。

 わが家の菜園のスイカです。口の部分はカササギに囓られた後です。ここから雨水が入り、半分腐れていました。枠内は小玉スイカを切ったものです。

 いつもの散歩道。初めて出会う田圃です。梅雨の中休みの青空が映っています。

 もう田植もすんでいます。

 糸に絡んだコサギが2日ほど同じ場所にいましたが、田圃の持ち主が放してくれたようです。足跡が残っていました。

 散歩道の東の空です。

 浦川沿い。小岱山が東に見えます。

 アザミの花。

 誕生日に次女一家がお祝いに来てくれました。

 

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梅雨時の花々

2020-06-21 | 花・植物・果実

  2020年(令和2年)6月21日(日)

 うっとうしい日々ですが庭に咲く花々をアップしました。ユリの一種でしょうか。アマリリスではないかと知人のアドバイスでした。

 テッポウユリ。

 初夏に咲く小菊です。

 去年は5本貰って育ちましたが、種が取れずにいたら1本だけ芽が出て、育っています。

 これはウラシマかな?

 刺身で食べられる大きなアロエから1メートルくらい芽が出て花が咲きました。

 小岱山の水汲み場のご主人から10数年前にいただいたものです。ご主人はうちの水は”長生きの元”とおっしゃっていましたが。数年前に亡くなられました。

 白いダリア。

   アルストロメリア・プルケラ。南米のチリやペルーで自生するのでペルーのユリ、インカのユリと言われるそうです。

 君の名は?。花の名に疎いどんこです。マツバギクだと知人から教えてもらいました。

 サクラソウだったかな?

 カボチャの花です。

 こちらはナスの花。下向きですがちょっと手を添えて向きを変えてみました。【コメント欄は閉じています。】

 

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上京・思い出のスナップ(一)

2020-06-18 | 上京編

 2020年(令和2年)6月18日(木)時々

  コロナの影響でなかなか上京も出来ません。今回は過去の上京の思い出をたどってみます。平成10年(1998)10月、もう22年前です。東京芸術劇場へ行ってきました。

 確か1階ロビだったと記憶していますが・・・。この年、郵便番号が3桁から7桁に代わりました。

 平成12年4月。桜田門。ジョギングの若者です。プロ野球、セ・リーグは巨人、パ・リーは日ハムが優勝。日本シリーズでは巨人が3年ぶり、22回目の優勝をしています。MVPは巨人の内海投手でした。

 同日。皇居二重橋付近。

 平成12年(2000)4月。いつも航空機を利用していたのですが、この時は珍しく新幹線利用でした。車中から撮った富士山です。

 まだ雪を被っていました。大相撲春場所で白鵬が22回目の優勝を遂げています。

 平成14(2002)年2月、上野です。寒い時期、ダウン着用の若者が見られます。浜崎あゆみの「H」や宇多田ヒカルの「traveling」、演歌では氷川きよしの「きよしのズンドコ節」が大ヒットしていました。孫たちが良く唄っていました。

 アメ横です。この年の12月、映画監督の木下恵介さんが86歳で亡くなっています。

 同年2月。恵比寿にも足を向けました。 

 政界では鈴木宗男、辻元清美、田中真紀子などの逮捕や辞職が続出しました。

 同年2月。渋谷駅前の忠犬ハチ公銅像です。

 この年の流行語はアゴヒゲアザラシの「タマちゃん」、「W杯」。北朝鮮に拉致された5人が帰国しました。この年の漢字は「帰」。

 同じ平成14年(2002)2月、池袋。駅前のビックカメラには良く行きました。

 先日、横田滋さんが愛娘・めぐみさんとの帰国が叶わず無念の死を遂げました。平成17年3月、横浜港で撮ったものです。平成14年10月、小泉首相在任時、5人が帰国して以降、18年もの間、拉致された人たちの帰国は実現出来ずにいます。家族の老齢化が進み予断を許しませんが、相手が相手と言っても、政府の無力を痛感しています。私自身、今まで出来たことは募金と署名くらいですが、国民ももっと帰国へ向けて大きな声を挙げていきたいものです。

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古小代の里公園・・・熊本県南関町

2020-06-15 | 紀行

  2020年(令和2年)6月15日(月)

 わが家から東へ25分のところにある陶器の里です。荒尾市と玉名郡市にまたがる小岱山(しょうだいさん)の麓には江戸時代から盛んに陶器が焼かれていました。

小代焼(小岱焼)は資料によると細川忠利が寛永9年(1632)に焼物師を豊前から連れてきて焼かせたのが始まり。これまでの焼物を「古小代」と称しています。明治維新後すたれて消えていましたが、昭和になって有志の努力で復興、今は県内に12の窯元があります。

 南関町には「古小代の里公園」が整備されています。

 先ず目を引くのが「瀬上窯跡」です。

 連房式の登窯です。

 最上段から見下ろしました。

 古いかけらが残っています。

 土を漉(こ)す「水簸槽(すいひそう)」です。

 結構広い作業場です。

 通路跡も残っています。

 今のロクロは電動式ですが、この時代は足で蹴って回す蹴轆轤(けろくろ)でした。

 ロクロは穴に据え付けられていました。案内板の説明のように何基も据えられていて、大量生産されていたのでしょうね。周囲には梅の木がいっぱい植えられていて、梅の里という感じもしました。【コメント欄は閉じています。】

 

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荒尾競馬追想記(三)・最終編「さらば海の見える競馬場よ」

2020-06-12 | 郷土 荒尾

 2020年(令和2年)6月12日(金)

  この記事を竹馬の友・故松尾誠志君に捧げます。松尾君とは同じ小学校、中学校で学び、終戦後の混乱期を野球を通じて仲良くなりました。彼は明治大学を卒業後家業の豆腐屋を継ぎ、奥様共々仕事に精励、二人の息子さんを立派に育てました。ご長男は医師となりレディースクリニックの院長、次男さんは事務長として活躍しています。二人とも中学時代の私の教え子です。

 松尾君は馬主となり西城秀樹にちなんだヒデキと言う名の馬は駿馬でした。その後も数頭の馬を持っていました。彼のツテでいつも2階の特別席から楽しむことが出来ました。

 荒尾競馬最後の日も彼と一緒でした。この日は肥後赤牛のステーキなどが無料で振る舞われ、長い行列が出来ていました。

 最後の日とあって、前回の武豊騎手の来場と同様テレビ局も取材に大忙しでした。

 馬券売り場もご覧の状況でした。

 何でもそうですが最終日には人が押しかけてくるものです。パドックも人だかりです。

 大勢の観衆です。

 2階の特別席です。

 この姿もきょうが最後です。

 向こうは場外の取り付け道路。

 青い海が西に広がっています。

 

 荒尾競馬終焉のセレモニーです。

 数年前、松尾君が亡くなった時、友人代表として弔辞を読ませていただきました。いつも彼が言っていた「オレ、競馬は自分お小遣い銭の範囲でやっている。店の金には一切手を付けない」と言う話を紹介しました。葬儀が終わって二人の息子さんがやってきて「センセイ、見事親父からだまされてましたね。おふくろはいつもこぼしていましたよ。」と耳打ちしました。私は今も彼を折に触れてなつかしく思い出しています。

 

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水無月(六月)の菜園は・・・。

2020-06-09 | 菜園

 2020年(令和2年)6月9日(火)

  ニンニクです。

 大きいのはジャンボニンニク。

 5月17日、サツマイモを植えました。乾燥しないようにソラマメの枯れた茎で覆っています。右の列はニンニク、左の緑の葉はジャガイモです。

 今年のジャガイモは不作でした。

 スイカがソフトボールくらいの大きさになりました。5月25日。

 6月7日。右下をカササギに囓られていました。 

 ニンジン。

 ゴーヤ。花が咲いています。

 キウリ、葉は繁っていますが・・・。

 カボチャです。

 落花生。

 ゴボウ。

 モロッコ(幅の広いサヤ豆)です。

 地植えのトマト。手前の2本はナス。

 水無月の夕焼け空(パノラマ写真です。)。【コメント欄は閉じています。】

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ちょっと冴えないけれど・・・今年の紫陽花

2020-06-06 | 花・植物・果実

 2020年(令和2年)6月6日(土)

 五月の終わり、そろそろ色づいてきた紫陽花です。俳句や短歌と紫陽花を添えてみました。鑑賞してくださればありがたいです。

 俳句:紫陽花や帷子(かたびら)は時の薄浅黄 松尾芭蕉(最新俳句歳時記・山本健吉)

 俳句:紫陽花やはなだにかはるきのうけふ 正岡子規(ネット)

 短歌:紫陽花の花を見てゐる雨の日は肉親のこゑやさしすぎてきこゆ 前川佐美雄(ネット)

 俳句:紫陽花やかなしきごとも言へば言ふ 加藤楸邨(最新俳句歳時記・山本健吉)

 俳句:新書開く紫陽花の雨晴るる刻 鈴鹿 功(俳句歳時記・京鹿子社)

 俳句:母一人子一人に咲く濃紫陽花 西川照子(俳句歳時記・京鹿子社)

 短歌:嘘いくついいわけいくつ吐きて来しくちびるに花花は紫 藤原龍之介(ネット)

 俳句:紫陽花の青し男がひとり病む 佐藤泰之佑(俳句歳時記・京鹿子社)

 短歌:思い切り愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花 俵万智(「サラダ記念日」・俵万智)

 俳句:ゆあみして来てあぢさゐの前を過ぐ 山口誓子((最新俳句歳時記・山本健吉)

 短歌:あぢさゐの花踏みてゐしほそき雨その雨の音ひぐらし強し 高野公彦(ネット)

 俳句:紫陽花や湖底の如き控の間 正木ゆう子(「静かな水」春秋社)

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荒尾競馬追想の記 (二)武豊騎手来る

2020-06-03 | 郷土 荒尾

  2020年(令和2年)6月3日(水)

 2011年(平成23年)の12月1日、荒尾競馬閉幕を間近に武豊騎手がやってきました。この日はご覧のような横断幕が掲げてありました。

 産地直売の軽トラです。

 いつもは閑散としているパドックには人だかりがしていました。

 地元のテレビ局も数社競って取材していました。

 さあ、武豊騎手の登場です。

 走路に出ます。

 向こう正面をトップで走っています。

 スタンドもファンでいっぱいです。

 ゴール200メートルの直線、依然としてトップです。

 10番が並びかけました。

 最終的には武豊騎手は交わされ2着でした。ご愛敬でしょうね。

 インタビューが始まりました。

 爽やかな笑顔で荒尾競馬83年の功績を称えてくれました。

 荒尾競馬には女性騎手も活躍していました。

 彼女たちともお別れです。当時の前畑市長がねぎらいの言葉をかけてくれました。【コメント欄は閉じています。「荒尾競馬追想記(三)最後の日」も近日中にアップします。】

 

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