花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

懐かしい 「金魚の郷(さと)」  熊本県長洲町

2011-04-28 | 風景
 平成23年4月28日(木)

 お隣の長洲町は金魚の産地として有名です。「金魚の郷」は子どもの遊び場としてオープンしましたが、今はこの箱物は閉鎖されてます。(撮りおきです。2月の中旬の紀行です。)
 



 この日は土曜日とあって子ども連れの家族が見られました。

 

 人工の川には鯉が泳いでいます。



 子どもの笑顔はいつ見てもいいですね。



 孫たちが小さい頃はせがまれて良く連れてきたものでした。



 10年前のチョロ1とチョロ2です。この子たちもこの春には高校生、中学生になりました。



お断り:変更になりました】5月5日(木)NHK15:05~16:18ドラマ「見知らぬわが町」が放送されます。私の住む荒尾市とお隣の福岡県大牟田市を舞台にしています。NHK福岡放送局の制作です。但し広島県は5月7日(土)10:15~11:18です。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

満開の庭の牡丹

2011-04-25 | 花・植物・果実
 平成23年4月25日(月)

 東の庭のひとかたまりの牡丹が満開になりました。今年も雨よけにパラソルを差しています。



 こちらは南向き、座敷の前です。



 この1枚は雨上がりの朝の撮影です。



 わが家の牡丹はピンクが主流です。







 少し遅れて咲く紫です。





 花瓶に挿してみました。



 器に水を盛って浮かべるとまた趣が異なります。玄関に置いています。

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月探鳥会  荒尾海岸

2011-04-23 | 荒尾海岸の渡り鳥
 平成23年4月23(土)

 4月17日(日)、恒例の探鳥会が行われました。今年は市長、副市長も参加されました。海岸の清掃をしてから探鳥をします。案内のチラシです。



 市長は環境省九州事務所からラムサール条約の指定候補地として荒尾海岸をお願いしたいとの話があったことを紹介し、課題は多いようだけれども市としても前向きに検討したいと挨拶で触れておられました。

 

 開会式後野鳥の会のメンバーがアドバイスしながら海岸で休息中の渡り鳥などをウオッチングをします。



 以下の写真は別の日に同じ海岸で撮影したものです。飛んでいるハマシギです。



 全長21㎝の旅鳥です。







 着陸の態勢です。





 オオソリハシシギ(全長41㎝)との大きさの違いが分かります。



 この日は遠く兵庫からも二人の参加がありました。

コメント (21)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜見納め・・・グリーンランドの桜

2011-04-20 | 郷土 荒尾
 平成23年4月20日(水)

 市内にあるテーマパーク・グリーンランドの桜を見にいきました。



 週末には県内外の学校からの貸切バスが数十台も押し寄せる人気のスポットです。







 4月12日の画像です。桜は満開の桜が見事でした。向こう正面の建物はホテルヴェルデです。



 1基ある風力発電塔のプロペラも回っていました。



 もう市内の桜も遅咲きのわが家の桜もすっかり葉桜になってしまいました。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

荒尾海岸のオオソリハシシギ

2011-04-17 | 荒尾海岸の渡り鳥
 平成23年4月17日(日)

 ハマシギたちに混じってオオソリハシシギが数羽来ていました。旅鳥として春に渡来してくる全長41㎝の比較的大きな鳥です。



 左の鳥の足に付けられているフラッグには「23」と言う数字が読み取れます。安尾さんに問いあわせたらオーストラリアで付けられたようだとのことですが、今確認中です。



 小さい鳥はハマシギです。



 漢字では「大反嘴鷸」と表記します。「くちばし(嘴)大きく反っているシギ(鷸)」と言う意味です。とくとご覧ください。











コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

わが家の桜が満開

2011-04-14 | ひと いのち
 平成23年4月14日(木)

 満開の桜を屋根に上って写してみました。



 このソメイヨシノは今は首都圏に住む長女の小学校入学の記念樹です。こんな大木になりました。この巣箱には今シジュウカラが抱卵していてヒナが5羽孵っています。



 長女にはこの春大学、高校にと進学した息子がいます。



 桜の樹は孫たちの成長も見守ってくれているのかも知れません。



 時々やってくるヒヨドリです。



 珍しくマヒワもやってきました。



 そよ風に花びらが舞い散る頃になりました。




コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万田坑周辺を歩く

2011-04-11 | 万田坑関係
 平成23年4月11日(月)

 市の万田坑跡が世界遺産に暫定登録されたことはこれまで度々紹介してまいりました。詳しいことは万田抗HPをご参照ください。
 周辺の整備も進んでいます。(3月の半ばに立ち寄った記事です。)



 丸印は旧職員社宅の門です。職員社宅はこのように煉瓦・ブロックの塀に立派な門構えで、一般坑員の社宅とは格段の相違でした。建物は現存せずに塀と門だけがあちこちに残っています。



 炭坑全盛時の一端が偲ばれます。ブロック塀が両脇に残っています。



 朽ちた車が歳月を物語っています。この煉瓦の塀はまだしっかりしていました。



 門には木製の扉があったことが分かります。



 隆盛を誇った石炭の町で優雅な生活を送っていた職員家族の夢の跡です。炭坑の町荒尾・大牟田ではかつて「三井さん」「職員さん」などと「さん」付けで呼んでいたと言われています。



 「沈殿池」は坑内から汲み上げられた水を一時的に貯めて、不純物を沈殿させる働きをしていました。



 煙突の跡です。



 手前の赤煉瓦は汽罐場の跡です。



 このようになっています。



 案内板の一部で当時の様子をご覧ください。



 知り合いのボランティアガイド・Iさん(中央青帽子の方)です。炭坑OBで経験に基づく奥の深い名ガイドをされます。

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春眠・・・

2011-04-09 | ひと いのち
 平成23年4月9日(土)

 暁を覚えず・・・ではありませんが、春は本当に眠たいですね。春眠から覚めました。またよろしくお願いいたします。

 「春 暁」   孟浩然            熊本弁(どんこ・訳)

春眠不覺暁 春眠暁を覚えず       春は眠して眠して いつ朝になったのかも分からんだった
處處聞啼鳥 処処啼鳥を聞く       あっちこっちから鳥の鳴き声が聞こえてくるばい
夜来風雨聲 夜来風雨の声        よんべからずーっと雨風が強かったけん
花落知多少 花落つることを知る多少   花もいっぴゃこっぴゃ散ってしもうたっじゃなかろかな

                       ※「いっぴゃこっぴゃ」=「たくさん」の意。

 もう満開だった市内の桜はご覧のように雨でいっぱい散っていました。





 気がつけば遅咲きのわが家のソメイヨシノも七分咲きになっていました。













コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“夢”  復興へのエール

2011-04-04 | 花・植物・果実
 平成23年4月4日(月)

 わが家の庭には桜より早くシャクナゲが咲き始めました。これは「夢」と言う品種です。東北大地震で亡くなられた方々、成し遂げられなかった夢をいっぱいお持ちだったことでしょう。被災された方々は一日も早く平穏な生活に戻りたいと願っていらっしゃることでしょう。遠い九州の地からエールを送ります。







 やっとプランターのチューリップが咲き始めました。



 三種の木瓜(ボケ)も春を待ちわびていました。



 私の好きなピンクです。



 馬酔木(あしび)。阿蘇の地から戴いてもう40年近くになります。



 小さい花も頑張っています。春はきっとやってくるのですね。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿蘇文学の旅(その一)

2011-04-01 | 文化、文学、芸術
 平成23年4月1日(金)

 春まだ浅い時期のこと、阿蘇に文学散歩と洒落込みました。

 夏目漱石が熊本の第五高等学校(今の熊本大学)に英語教師として5年間在任したのは周知のことですが、同僚山川伸次郎との阿蘇中岳登山がもとで名作「二百十日」が生まれました。同じ年に「草枕」も発表されています。漱石と伸次郎が泊まった温泉宿が「養神館」(今の「山王閣」)です。
 訪問の趣旨を話すと、快く玄関から庭へ入らせていただきました。



 

 当時の建物も保存されているそうで六畳間のちゃぶ台には恵比寿ビールが2本置かれてるとか。外輪山を背景に漱石は何を考え続けているのでしょうか。



 与謝野鉄幹・晶子夫妻は昭和7年に阿蘇内牧の永田氏邸(今の旅館「蘇山郷」)に六女・藤子と共に泊まっています。永田氏は夫妻を泊めるためにわざわざ豪勢な杉材を使って部屋を新築したと言われてます。今も「杉の間」として残っているとのことです。



 この素敵な庭の一角に歌碑が建っています。





 記事は「阿蘇観光協会」のパンフレットを参照させていただきました。「山王閣」と「蘇山郷」には、ただ写真を撮るだけだったのに親切に対応していただき、ありがとうございました。まだまだ阿蘇には探訪したい文学の足跡があります。いつかまた続編をお届けできればと思っています。
 きょうから4月。わが家の吉野桜はまだ蕾。ポストカードには有明公園のきのうの写真を使いました。

コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする