平成27年10月30日(金)
今月の10日過ぎに、山鹿市にある博物館周辺にぶらりと行ってきました。全国第二位と言われる用水橋(石橋)である大坪橋が移設復元されていて、その景観が目を楽しませてくれます。
こうして移設されているのは文化財を大切する地元の人々の熱意の表れでしょう。私の近くの浦川に架かっていた美麗な「海下橋」はどこへ消えたか記録すら残っていません。雲泥の差です。
今は橋の上を歩くことは出来ません。
大坪橋の説明の碑文です。
江戸時代後期と言われる民家もひっそりとたたずんでいます。
博物館の東側には肥後古代の森公園として整備がされてます。
が、一歩奥へ入ると台風後の倒木がそのまま放置され、蜘蛛の巣だらけで見学にはかなり支障があり、木の枝をよけながらいくつかの写真を撮るのが精一杯でした。草も伸び放題で、早く快適に見学できるようにして欲しいものです。
東には不動岩が遠望できました。かつて旧姓鹿本中学の生徒がストライキでたて籠もった場所だと言われています。
今月の10日過ぎに、山鹿市にある博物館周辺にぶらりと行ってきました。全国第二位と言われる用水橋(石橋)である大坪橋が移設復元されていて、その景観が目を楽しませてくれます。
こうして移設されているのは文化財を大切する地元の人々の熱意の表れでしょう。私の近くの浦川に架かっていた美麗な「海下橋」はどこへ消えたか記録すら残っていません。雲泥の差です。
今は橋の上を歩くことは出来ません。
大坪橋の説明の碑文です。
江戸時代後期と言われる民家もひっそりとたたずんでいます。
博物館の東側には肥後古代の森公園として整備がされてます。
が、一歩奥へ入ると台風後の倒木がそのまま放置され、蜘蛛の巣だらけで見学にはかなり支障があり、木の枝をよけながらいくつかの写真を撮るのが精一杯でした。草も伸び放題で、早く快適に見学できるようにして欲しいものです。
東には不動岩が遠望できました。かつて旧姓鹿本中学の生徒がストライキでたて籠もった場所だと言われています。