花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

摩周湖から知床へ  北の国紀行(四)

2007-06-30 | 北海道旅行
 平成19年6月30日(土)

 霧の摩周湖と言われていますがこの日は快晴、遠くまで見渡せました。前日は全く霧で見えなかったそうですから、コバルトブルーのカルデラ湖が九州からの客を歓迎して、その素晴らしい景観を見せてくれたのでしょう。みなさんと一緒に歓声を上げました。中のポツンとあるのはカムイシュ島です。



 こちらは湖の右方向です。
 


 振り返って見ると遠く山脈が見せました。方位磁石を持っていかなかったので方角は全く分かりません。地図から察すると雌阿寒岳、雄阿寒岳などでしょうか、。

 

 売店で牛乳と飲むヨーグルトを買いました。



 昼食は国後島が見えるという国後展望閣です。あいにく霧で国後島は見えません。2羽のウミネコがトビを追いかけていました。北海道の野鳥を見られるかも知れないと期待して荷物にならない程度の300㍉ズームレンズを一眼レフにセットしたものを持っていきましたが、遠くてうまく撮れませんでした。



 しかし、車中からは何頭も野生のエゾシカが見られました。残念ながら走っているバスからはなかなかうまく撮れません。今のバスは窓も開きません。
 やっとキタキツネに出会いました。前の車が禁じられているエサを窓からやっていたようです。そのためバスも一時止まりました。思いがけないキタキツネとの出会いでした。





 ようやく知床峠に着きました。真向かいの羅臼岳には残雪が見られます。



 雲海の向こうにやっと国後島が見えました。はるばる遠くへ来たものだと目頭が熱くなりました。



 「北方領土 わが国固有の領土です」と碑文に書かれていました。したたかな国に及び腰の外交力では返還もいつになることやら、と言う思いです。








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梅雨の中休み  庭の花々

2007-06-28 | 花・植物・果実
 平成19年6月28日(木)時々

 昨日はわが家の寒暖計は正午には32度を超える真夏日でした。梅雨だと言うのにほとんどこの界隈は雨が降らないのに、梅雨の中休みだと新聞は書いています。

 旅行記も中休みして気分転換をしましょう。

 少雨のお陰で紫陽花はすっかりしおれて見る影もありません。代わってモチノキの陰にノウゼンカズラの花がパッと咲きました。



 花の形がトランペットに似ていることからトランペットフラワーとも言います。「栄光」の花言葉からは何となく元気を貰えそうです。



 赤色系の花はうっとうしい季節の、滅入りがちな気持ちを払いのけてくれる感じです。



 百日草は日持ちのいい花で、この花は不死身と言う言葉がふさわしいと思います。最近は図鑑などでも和名でなく「ジニア」などと表記されています。いいことかどうか考えたりします。



 これもカタカナ。ペチュニア。「ツクバネアサガオ」(衝羽根朝顔)を当てますが原産地が南アメリカだからカタカナもやむを得ませんか。



 色違いが多いのも特色。



 撫子ですが図鑑の見出しはダイアンサスです。別名:セキチク(石竹)


 
 梨の木陰に毎年咲く桔梗です。このひっそり感は好きです。元気を貰える赤い花も好きだと言うのと少々矛盾しているようですが。。。。


 
 桔梗の花言葉はかくありたいと望むことばかり。「変わらぬ愛」「気品」「誠実」「従順」。。。。




 






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阿寒湖畔  北の国紀行(三)

2007-06-25 | 北海道旅行
 平成19年6月26日(火)

 2日目の朝になりました。
 まだ夕べのアイヌコタン古式舞踊の余韻が残っているような感じです。快晴でホテルの庭へ出てみると目の前に阿寒湖が広がり、真正面に雌阿寒岳がそびえています。阿寒湖はマリモであまりにも有名です。ヒメマスも生息しています。冬は凍結しワカサギ釣りやスケート、スノーモービルなどのウィンタースポーツが盛んだと言うことです。冬にも訪れたい所です。



 あのフキが大きな葉を広げていました。比較するものがないので大きさはご想像にお任せします。(この付近のはのノーマルサイズだとことです)



 湖畔を右に沿って歩いていたら足湯がありました。隣町まで来たという弁慶にちなんで付けられているようです。



 ボッケ遊歩道になります。。「ボッケ」とはアイヌ語で「煮えたぎる」という意味です。湧き出る温泉を彷彿と思い起こさせる言葉です。浅瀬に釣り人の姿が見えました。



 白樺の小径は恋人たちが腕を組んで歩くのにふさわしい雰囲気です。



 阿寒湖の中島です。遊覧船はここを通ります。



 白樺林の中に二つの花を見つけました。(花の名前はブログ仲間のTAKEさんから教えていただいて差し替えています。)



 ボッケの花暦の看板です。いろいろな花が見られます。この先に啄木の歌碑もあったのですが、時間がなく引き返さざるを得ませんでした。



 次回は摩周湖・知床峠をご案内いたす予定です。




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足寄~阿寒湖温泉・アイヌコタン 北の国紀行(二)

2007-06-24 | 北海道旅行
 平成19年6月24日(日)

 初日の走行距離は千歳空港-阿寒湖温泉まで約300キロです。
 バスは十勝平野を左に見ながら一路東へ東へと進みます。左手に遠く裏大雪の山々が見えます。日本一大きな町の足寄で小休止しました。日本一はラワンブキと言う大きな蕗もあります。道路沿いに風呂敷を広げた位の大きな蕗の葉が至るところで見られます。いえいえ大風呂敷ではありません。それほど大きい葉っぱで、茎は2メートルにもなるそうです。
 おやつタイムでカマンベールチーズなどを賞味して、皆さん結構買わされました(笑)。かの有名な歌手の看板が出迎えてくれました。足寄が生んだ大歌手です。



 初日のホテル阿寒荘の夕食です。アイヌコタンに行くため到着後すぐあたふたと夕食です。温泉は戻ってからとの指示でした。昼は機内で弁当だったので、北海道での初めての食事です。





 食事もそこそこに迎えのバスでアイヌコタンへ向かいました。これはオプションで1人千円の別料金です。アイヌとは「人間」、コタンとは「“宅地”の意。コタンはアイヌ民族の生活の本拠地でありアイヌの社会を形成する最も小さな単位」です。



 両脇の店の一つです。熊の剥製に劣らぬ店主の風貌です。



 コタンの奥にあるオンネチセ入口のフクロウが迎えてくれます。オンネチセとはアイヌ語の「とても大きな家」と言う意味で、アイヌ民族の伝統的な古式舞踊や創作ユーカラ劇などを上演する劇場です。



 小さな子どもも加わって、可愛さに大きな拍手がわいていました。



 原住民として豊かな自然と同化していた民族が本土から進出してきた倭人によって奪われたものを思うとき、精神文化の誇りを失わない芯の強さをも感じとることの出来る踊りでした。



 最後は観衆も踊りの輪の中に加わり、賑やかなフィナーレでした。



 帰途立ち寄った店で少し値が張りましたが手彫りの携帯ストラップなどを買い求めました。イニシャルもサービスで彫ってもらいました。

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北の国紀行(一) 千歳~阿寒湖温泉①

2007-06-22 | 北海道旅行
 平成19年6月22日(金)

 急に旅の風に誘われて北海道へ4泊5日の旅へ行ってきました。2月下旬の北陸旅行(2泊3日)、3月下旬の上京(2週間)に次ぎ今年三度目の旅になります。
 H交通社の「はじめての北海道5日間」と言うツアーに乗っかりました。9年前、退職の記念に長女一家4人、次女一家4人と合わせて10名での旅行以来9年ぶりの北海道でした。

 機内で配られた弁当を食べました。遠く別の航空機が見えましたがあっという間に近づき、消えてしまいました。



 福岡を11:10に発ったANA289便は予定通り13:25に千歳空港に着きました。大勢の観光客で到着ロビーは混雑していました。一行は43名です。最高齢は85歳の婦人です。74歳の妹さんとの参加です。



 バスは南下した後、日勝スカイロードから道東自動車道に出て一路摩周湖-知床へ向かいます。
 シシャモの「むかわ町」を通り、スズランの「平取町」へ行く途中は沙流川が見えます。



 日高峠で小休止しました。日高ファームランド店内では夕張の応援キャンペーンが見られました。



 ここの前の白樺の木です。北海道に来たなあと実感させる光景です。秋にはイチョウのように黄葉します。



 日勝峠を越え、東へとバスは進みます。左手に遠く十勝岳の雄姿を見ながら清水町、音更町を過ぎていきます。耕地面積が一農家当たり35~37haと言いますからいかに広いかが分かります。



 北海道の代表的な農産物と一つであるビート(砂糖大根)の砂糖工場です。



 車中からの撮影も多く、少し見苦しい点があると思いますがご了承ください。
 地名等誤りがないように努めましたが、お気づきの点がありましたらご指摘いただければ幸いです。
 次回はアイヌコタンなどを中心にアップします。
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雨を迎えた紫陽花・ユリ

2007-06-20 | 花・植物・果実
 平成19年6月20日(木)

 【お断り】ひょいと旅の風に誘われて北海道へ4泊5日の旅に出ていました。コメントへの返信が遅れましたことをお詫び申し上げます。近々また旅の思い出をアップします。よろしくお願いいたします。

 出かける前の葉っぱが枯れかかっているガクアジサイです。ずっと雨が降らず、やきもきしていました。



 それでもけなげに咲く紫陽花の花は季節の使者です。



 薄紫はどこか弱々しく、上品な貴婦人を思わせます。



 赤は情熱。カッと咲きながらそれでも純情さを保っています。



玄関松の木陰にひっそりと咲くテッポウユリです。





 これはオリエンタルハイブリットという品種でしょうか。定かではありません。

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 暗くなって帰り着きました。
 朝の紫陽花を早く見てみたい衝動にかられています。





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「無医村に花は微笑む」  筆者との60年ぶりの手紙での再会

2007-06-16 | 文化、文学、芸術
 平成19年6月16日(土)

無医村に花は微笑む―亡き妻が遺した「花笑みの村」での村医十九年

ごま書房

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 去年の12月8日の記事で、この「無医村に花は微笑む」の著者・将基面 誠氏のことについて紹介したところたくさんの方からコメントが寄せられ、感動一入のものがありました。 記事
 小学校3年次のほんの短い間の出会いでした。ずっと探していた人の名前に巡り会った喜びは言葉では言い表すことが出来ませんでした。

 出版社へ手紙を託す方法も考えましたが、ずっと控えておりましたところ、今年の4月、将基面氏のご子息(次男・匡昭様)から、思いがけなくブログにコメントをいただいたことがご縁となって、かれこれ60年ぶりに、手紙での上で再会を果たすことが出来ました。

ご子息のコメントの記事

 12月8日の記事はご子息の匡昭様がコピーをしてお父様に差し上げられたと伺いました。
 匡昭様とのメールのやりとりをコピーで報告し、4月26日、こちらから先にお手紙を差し上げました。今は公園になっている小学校の跡地や4年生になってからの学芸会の写真等を添えました。3年生次の写真は1枚も写っていません。終戦直後で写真どころではなかったのです。
 私信なので詳しい紹介は出来ませんが、すぐにお返事をいただきました。お母様の故郷と言うことで身を寄せていたこと、平壌の収容所から脱走し、命からがら祖国の土を踏んだことなどが詳しく綴られていました。
 「あまりに身辺の変化が激しくてしっかりした記憶がありません」と綴られていました。やむを得ないことです。

 一家で身を寄せられていたI家のM子さんは将基面さんのいとこだと分かりました。私と一緒に級長をしていた聡明な彼女は中学2年で夭折しました。転居先でこの報せを受けた将基面氏はお母様共々涙を流したと述懐されていました。

 将基面 誠氏が一時転校されて私たちと一緒に過ごした校舎の一部です。学校の百年史(昭和51年刊)より引用しました。



 現在は校舎は新築移転して、公園になっています。昔を偲ぶのはこの榎だけです。



 将基面さんが送ってくださった対談や人となりが掲載されている機関誌等の一部です。



 岩手県では中学校道徳の副読本にもご本人と親交のある津村節子氏の文章「花笑みの村」の格調高い文章が採用されています。



 他の機関誌の関係記事です。将基面 誠氏の業績の一端や人となりを伺い知ることが出来ます。





 44歳の若さでお亡くなりになったお母様は「男は将来命を賭けないといけないような事がある」と諭されていました。そして亡くなられる一週間前の「直情的にならないように」と言う言葉が遺訓になりました。
 「親は尊敬の対象ではなく敬愛の対象」とおっしゃる氏の言葉には説得力があります。

 ブログを読んでくれた多くの方々から、その後、将基面 誠さんとは連絡が取れましたか?著書を読んでとても感動しました、身内にもこの著書をプレゼントしました、テレビドラマは見ました等々多くの反応がありました。

 出会いのきっかけを作ってくださったご子息の匡昭様、気軽にお手紙をくださった将基面 誠様に心からお礼を申し上げます。

 そしていつも応援してくださる私のブログ仲間にはこの稿で報告に代えたいと思います。本当にありがとうございました。





 
 

 
 
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「湧水の郷」 と早咲きのコスモス

2007-06-14 | 花・植物・果実
 平成19年6月14日(木)

 十日に一度、車で30分かかる水汲み場へ行きます。「湧水の郷」という名前です。小岱山の山麓にあります。所在地はお隣の玉名市になります。地下を150メートルボーリングし、堅い花崗岩をくり抜いて汲み出すミネラル分の多い水です。



 水汲み場はみんなで三箇所もあり、大勢の客に対応出来ます。
 ボーリングをしている時に偶然立ち寄った旅の僧が、
 「これはいい水です。『八効功徳延命水』と命名しなさい」
 と言われたそうですが、長すぎるので『延命水』と名付けたと聞きました。



 2リットル以下は無料、20リットルまでは50円、それ以上は100円と格安です。地域の農家から持ち寄られる新鮮な野菜類や加工品も即売されています。
 一箱400円の完熟トマトを買いました。ジュースにしています。



 帰り道、休耕田を利用してコスモス園にしている山の麓にさしかかったら、もう早咲きでしょうか、コスモスがいっぱい見られました。



 近寄ると名前は分かりませんが蝶がとまっていました。



 風が強くて、コンデジでは撮りづらかったです。


 
 美味しい水を汲んで、一足早いコスモスを見て幸せ気分でした。





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アオサギ ラブラブものがたり

2007-06-12 | 鳥・昆虫・生き物
 平成19年6月12日(火)

 近くの浦川沿いの田んぼもだいぶ田植えが進んでいます。
 今日は珍しいアオサギの求愛の場面に出くわしました。

 なぜか水戸黄門の主題曲が流れてくる。
 ♪人生勇気が 必要だ くじけりゃ誰かが 先に行く 
   あとから来たのに 追い越され 泣くのがいやなら さあ歩け

♂(左)「おれ、蒼太だよな。よろしく」
♀(右)(横目でチラリと見てつぶやく)「わりかし、イケメンじゃない」



蒼太「幸せだなあ。ぼかぁ君といる時が一番幸せなんだ・・・」
青子「古~い。せめて陣内くらいの新しさで口説いてよ」(小さくつぶやく)



 蒼太は求愛のポーズで大きく羽ばたいて見せる。

青子「人がいるわよ」
蒼太「大丈夫、向こう向いてる」
青子「だめよ、まだ明るいわ」
蒼太「でも 夜はね・・・鳥目だから」
青子「そっか、忘れてた」



青子「だれかが双眼鏡で見ている」
蒼太「きっと、この辺を縄張りしているどんこだよ」
青子「プライバシーの侵害ね」
蒼太「かめへん、かめへん」
青子「何で急に大阪弁が出てくるの?」
蒼太「興奮すると大阪弁でも名古屋弁でも出てくるんだ」

 

 無音。静かに氷川きよしの♪「大井追っかけ音次郎」の曲が流れる。演歌か!



 もうだれも邪魔する者はいません。田園は二人のために、いいえ二羽のためにあります。





 どこからか今度は黄門さんの声が聞こえてくる。
 「どんこさん、もういいでしょう」    --幕--
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参勤交代道の石畳  阿蘇路(三)・最終編

2007-06-10 | 紀行
 平成19年6月10日(日)

 昨日紹介した的石お茶屋跡より南へ行ったところに細川藩の参勤交代の難所、石畳の道があります。
 駐車場から階段を上がるり小さな石橋を渡って、左折します。



 大桧です。樹齢何年なのでしょうか。古色蒼然としています。



 参勤交代道は間もなく石畳へ通じます。



 坂の下お客屋跡の標識が立っていました。屋敷の跡を偲ぶよすがは微塵もありません。




 石畳の道が急にあらわれました。重い石を運ぶために、多くの農民たちが駆り出され汗と涙を流したことでしょう。



 ここにも名もない小さな石橋がありました。故郷を目の前にして心急がせて歩く参勤交代の一行を見送っていたのでしょうか。



 これで久しぶりの阿蘇路は終わりです。


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的石お茶屋跡 阿蘇路(二)

2007-06-09 | 紀行
 平成19年6月9日(土)

 的石お茶屋跡は熊本県阿蘇市の西部にあります。細川藩の参勤交代の行列は、江戸-大阪-(海路)-大分鶴崎から山また山を越え肥後・大利-坂梨-内牧を経てこの的石で休息し、石畳の道を通り、二重峠を越え熊本に向かうのです。
 案内板には「元禄10年2月に小糸右エ門忠経の屋敷を御茶屋と定め、改築の上御茶屋番に任ぜられ、その後代々御茶屋番を努めました。」とあります。
 大利、坂梨、内牧の御茶屋跡はほとんどなく、ここだけが昔日の面影を残しています。
 隼鷹神社の参道を通り御茶屋跡へ歩きます。



 御茶屋泉水です。「くまもと名水100選」ひとつです。向こう側に少し見える家が現在の小糸家です。



 小糸家の高野槇は回りが3.1メートル、高さが22メートル、樹齢250年と言われています。



 隼鷹神社の右手には北外輪山の伏流水を引いて作られた泉水に架かっている小さな二つの石橋がありました。歩いてみましたが訪れる人の足跡は感じませんでした。ひっそりと時だけが静かに流れているような不思議な空間でした。



 隼鷹神社は入口の鳥居の大きさに似ず、こぢんまりとしてました。境内には熊本が生んだ歌人・宋不旱の「隼鷹の宮居の神はやぶの中の石のかけにておはしけるかも」の歌碑が建っています。



 振り返るとまた別の石橋が見送っているように泉水に影を映していました。



 ここで一句。

  苔むすやいのちの水の湧く泉    どんこ

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空を見上げる 6月の青空

2007-06-07 | 天文・気象・気候
 平成19年6月7日(木)

 棕櫚の街路樹が茂っている通りです。九州南部は梅雨入りが報じられていますが、北部にあたるここはご覧のとおりの青空です。ここ数日、珍しく黄砂もない日和が続いています。



 通称・ガードよ呼ばれる跨線橋から見た多良岳です。真下をJR鹿児島本線が走っています。



 多良岳上空です。長崎県と佐賀県にまたがっている山です。



 小さな「一部(いちぶ)」と言う名の漁港です。雲仙普賢岳が見えます。あの大火砕流から3日で16年になり、沈降の行事が行われたと報道されていました。
 東京出張中にこの大火砕流発生を知り愕然としたことを思い出します。



 護岸工事が行われていました。少しずつ昔の自然が消えていくようです。







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高瀬裏川花しょうぶまつり 

2007-06-05 | お祭り
 平成19年6月5日(火)

 熊本県は玉名市です。第17回の「高瀬裏川花しょうぶまつり」が5月の20日から6月の16日まで行われています。
 2日(土)夕方出かけてみました。車で25分くらいでしょうか。



 高瀬裏川には江戸時代商人たちが商品運搬に作った小さな石橋が残っています。高瀬は当時の肥後五ケ町に一つで栄えていました。石橋ファンにはお馴染みの立派な高瀬眼鏡橋や秋丸眼鏡橋は街の玄関にあたる往還の出入り口にありますが、この紹介はその方面の愛好者にお任せします。
 土戸橋の下では野点茶会があっていました。抹茶がお菓子付きで200円です。表の道路は歩行者天国でたくさんの市(出店)がありました。



 菖蒲はまだ五分咲きくらいとのことでした。





 上町橋を渡っていく子どもです。なぜか女の子ばかりでした。浴衣姿もかわいかったです。狭い橋ですが、恐がりもせず渡っていました。



 メインの「花しょうぶコンサート」は大勢の観客を集めていました。



 地元玉名高校出身の関島秀樹の“もっとやさしくったっていいだろう”をテーマにしたギター弾き語りと自らの作詞作曲の歌は小雨を吹き飛ばす熱演で、観客を魅了していました。



 同じ中学、高校の同窓生なので陰ながら応援しています。

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「あそ路」の高菜飯定食 久しぶりの阿蘇(一)

2007-06-03 | 紀行
 平成19年6月3日(日)

 免許センターでの自動車免許更新が20分そこそこで終わったので、久しぶりに阿蘇へ廻ることにしました。国道57号線を通ります。大分へ抜ける1本道のため車はかなり混んでいます。風がなく連日の大陸からの黄砂で肝心の中岳の噴煙はおろか五岳と言われる山々も見えません。

 内牧温泉へ廻って小さな温泉街道路にさしかかったら車が大渋滞でした。政界を揺るがしたあの方の葬儀が行われていました。浄真寺付近には喪服姿の人で溢れていました。後で弔問客が4千人だと聞きました。 
 やっと通り抜け、ミルクロードと呼ばれる338号線を走りました。標高940米の矢護山でしょうか。

 

 天気がいいと阿蘇五岳を眺めるスポットからの画像も、黄砂にくすんでご覧の通りです。



 久木野の風力発電塔でしょうか、3基ほど見えました。


 
 見下ろすヘアピンカーブの向こうに阿蘇平野が広がっています。



 再び国道57号線に戻り、“元祖たかなめし”で有名な「あそ路」に寄りました。食事時間には建物西側にある駐車場がいつもいっぱいになり、もう2台分しか空いていませんでした。

 

 私は「高菜飯定食」(1,260円)を食べました。ダゴ汁、ホルモン煮込み、おからなどが付きます。量が多くて高菜飯は三分の一は残してしまいました。








 
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バラ園 おもやい市民花壇

2007-06-01 | 郷土 荒尾
 平成19年6月1日(金)

 私の街には「おもやい市民花壇」と言うボランティアグループによるバラ園があります。約四千平方メートルの広さがあり、八十種千七百株のバラが植えられています。入場無料で誰もが自由にバラの花を見ることが出来ます。
「もやい」=「一緒になること。共同」と言う意味です。



 バラはほとんど年中咲いていますが、見頃は今頃です。毎年五月五日にバラ祭も行われます。



 こんなコーナーもありました。



 バラには名前札が立っていません。管理していた人に聞いたら「美しかと思ってもらえば名前など、どがんでんも良かですバイ」(美しいと思ってもらえば、名前などどうでもいいのです)とすまして答えてくれました。

 本音は「プリンセス○○」などと標識を立てていると、根こそぎごっそり持っていかれたるするのを防止する策でもあるようです。
 夜でも出入り自由です。「花泥棒は?」と聞いたら即座に「いる、いる!」との言葉が返ってきました。
 
 









 赤やピンクのバラです。











 終わりは紫のバラで締め括ります。名前が分からないのもいいものです。



 今月のポストに貼るカードです。



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