花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

旧三川坑跡見学記

2018-08-13 | 万田坑関係

 平成30年8月13日(月)

  7月下旬、隣の大牟田市にある旧三川坑跡を見学に行ってきました。土日祝日と一般にも開放されています。現在は大牟田市が管理しています。かつては日本のエネルギーを支えて戦前戦後の産業発展に寄与した石炭産業の花形でした。「数々の歴史の舞台となった三川坑」(YouTube)。 

  三井港倶楽部の敷地内からも入られます。

  三井港倶楽部は瀟洒な建物です。次女はここで結婚式を挙げました。

  ボランティアガイドさんが案内してくれます。元炭坑マンの方です。この時間の見学者は大牟田市内から見えたご婦人と私だけでした。暑さで見学者が少ないとのことでした。炭坑電車を牽引する機関車が年代別に展示されています。

 

  第二斜坑の入口をたどります。

  腰をかがめて歩きました。

  坑口はコンクリート塞がれています。右側にあるトロッコ電車で有明海の地下深くに埋蔵する石炭を掘りに坑員たちは下っていくのです。

 昭和38年(1963)三川坑炭塵大爆発は大惨事になりました。 

  今なお一酸化炭素中毒に苦しむ人々がいます。11月9日午後3時12分頃の大爆発は458名の死者、839名の一酸化炭素中毒を出すという戦後最悪の炭鉱事故となりました。

  第二斜坑坑口建屋から巻揚機室へ通じる線路が残っています。

  大きな第二巻揚機。第二斜坑の人車を引き上げるのに使われたそうです。出力400KW、ロープ直径34mm、長さ2,800mと書いてありました。

  跡地のスナップ。

  泉水池が残っています。鯉などがサギ類に食べられないようにネットが張られていました。

  昭和天皇もこの池をご覧になったそうです。

  ボランティアガイドさんの方々は見学者をここで受け付けています。【コメント欄は閉じています。】

 

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特急A列車で行こう くまもと世界遺産三角西港&万田坑 見送り

2015-12-29 | 万田坑関係
 平成27年12月29日(火)

 熊本の世界遺産、三角西港と万田坑をA列車で結ぶツアーを見送るために地元の婦人部のグループなどがぜんざいでおもてなしをしようとJR荒尾駅の一室を借りてぜんざい作りをしていました。



 この日は三角西港からシークルーズ「Vista Bonita(ビスタボニーア)」号で有明海を楽しむ予定でしたが
天候不良で貸切バスに変更され、万田坑見学をして、ここ荒尾駅からA列車で熊本駅へ向かい解散のスケジュールです。



 一行が到着し、列車に乗り込み手土産などの荷物を下ろします。



 荒尾のゆるキャラ「マジャッキー」も出迎えです。



 地元の「炭坑ガールズ」がホームで見送りのダンスを披露してくれます。



 お客さんも全員ホームへ出て楽しんでくれました。



 温かいぜんざいでおもてなしをしてくれる女性群です。



 列車に乗り込み、炭坑ガールズもメンバーがチラシや、野鳥の会提供のシロチドリの折り鶴などを配ってくれました。



 荒尾が生んだ天才少女詩人・海達公子ファンクラブメンバーも見送りです。



 熱烈な見送りを受けて、一行は喜んで出発しました。



 A列車は薄暗くなったホームから遠ざかっていきました。



庭に春の兆しです。



 今年最後のブログです。また来年お目にかかりましょう。

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世界遺産登録の前々日

2015-07-08 | 万田坑関係
 平成27年7月8日(水)

3日(金)夜、深夜にも万田坑を含む「明治産業革命遺産」が世界遺産に登録されるとの見込みで、万田炭鉱館で開かれているパブリックビューに出かけました。西ドイツのボンで開かれている会議の模様がスクリーンで生中継されるイベントです。大勢の人々が駆けつけていました。マスコミも総動員の状態でした。



 市長も深夜の登録を前提に喜びの挨拶をしていました。



 元炭坑マンのFさんも喜びをインタビューされていました。



 昨年11月に結成された荒尾市盛り上げ隊の炭坑ガールズのメンバーも応援に来ています。



 4歳の幼女から40歳の熟女まで多彩です。リーダーは左端のHさんです。





 テレビカメラも両サイド、後ろ正面からダンスを撮っていました。







 ガールズを含め、市民こぞって盛り上げようという意気込みが感じられました。



 10時過ぎに事務室内がざわざわとして、急遽記者会見があり、日韓の調整がつかず決定が明日(4日)に先送りされるとの発表があり、退散しました。4日にも決着がつかず、ご承知の通り5日(日)の夜10時ごろに登録が決定しました。
私は4日から熱が出て、登録決定の夜には行けませんでした。
 光あるところには影があります。双方を正しく見つめ、遺産の活用、継承に努めていきたいものです。 
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万田坑D-K LIVE Project 2014

2014-11-10 | 万田坑関係
 平成26年11月10日(月)

 D-Kとはデジタル掛け軸のことです。万田坑で行われたので行ってきました。“デジタルアートの先端を走り続けた”長谷川章さんが手がけています。



 昼の万田坑です。



 D-Kライブ中の万田坑。  





 角度を変えた昼の万田坑。



 随分雰囲気が変わります。





 長谷川さんが解説をしてくれました。



 また別の角度から。



 万田坑ライブの遠望。次回行く時には三脚は必須だと反省しました。

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第12回万田坑市民まつり

2014-05-01 | 万田坑関係
 平成14年5月1日(木)

 主催は万田坑市民まつり実行委員会。これまた「民」が主体のイベントです。市長・議長など来賓もなく、いきなり荒尾太鼓で幕開けです。



 「荒尾ひょっとこ笑炎隊」も会場を沸かせます。



 フラダンス・・・(1)。





 小雨模様の天気にも関わらず大勢の観衆がつめかけました。



 愛嬌を振りまくひょっとこ。



 創作ステージ万田坑実行委員スタッフビラ配りを頑張りました。



 世界遺産登録までもう一息です。子どもたちも応援メッセージを幟に書いています。 



 フラダンス・・・(2)。



 ぜんざいも無料で振る舞われました。





 熱演の荒尾太鼓。



 スナップ。まだまだ午後からもいろいろと出し物、層踊りなどがありましたが、アップはひとまずこれにて・・・。



5月になりました。

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万田坑市民まつり(第二部)

2013-05-06 | 万田坑関係
 平成25年5月6日(月)

 第二部は演芸大会を中心にお届けします。荒尾太鼓のオリジナル曲の披露などがありました。







 観客席のテント。出番を待つ人も太鼓の演奏に聴き惚れています。



 万田保育園児の踊り。幼児の演技にはひときわ大きな拍手が湧きます。



 いい天気で観客も続々・・・。



 アロハ・ウリウリグループのフラダンス。



 ストリートダンス。



 全部は紹介できません。



 荒尾市のイメージキャラクター「マジャッキー」と応援に駆けつけた山鹿市の鞠智城イメージキャラクター「ころう君」(写真右)です。



 お祭りの最後はビンゴゲームでしめくくり、終始笑い声の絶えない半日でした。【コメント欄はお休みです。】
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万田坑市民まつり(第一部)

2013-05-03 | 万田坑関係
 平成25年5月3日(金)

 4月29日の祭日、知人に誘われ、「万田坑市民まつり」に出かけました。【主催:万田坑市民まつり実行委員会。NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ。共催:荒尾市観光協会。後援:荒尾市教育委員会】。実行委員会の有志で餅つき大会もあり、演芸大会の参加者に配られたり、即売されたりしました。
 旧万田坑など一連の施設は世界遺産登録を目指して関連各県と連携し、官民一体となって運動を推進しています。



 中央は知り合いのFさん。左は「炭鉱のまちファンクラブ」N理事長さんでしょうか。



 餅つき体験も出来ました。



 揉み手も多く、和気藹々(あいあい)でした。



 「子どもスケッチ大会」には例年の4倍以上、百名ほどの参加者があり美術協会のS会長さん(枠内)も大喜びでした。



 美術クラブの生徒を引率して来られた大牟田市のT中学校の先生が事前の諸注意をなさっていました。



 どんこの母校の美術クラブの生徒たちも先生引率で参加していました。熱心な先生がたに頭が下がります。



 それぞれ好みの場所に散らばります。親子連れの参加もあります。





 第二部では演芸大会やスナップを中心にお届けします。
 遅くなりました。5月のポストカードです。

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万田坑周辺を歩く

2011-04-11 | 万田坑関係
 平成23年4月11日(月)

 市の万田坑跡が世界遺産に暫定登録されたことはこれまで度々紹介してまいりました。詳しいことは万田抗HPをご参照ください。
 周辺の整備も進んでいます。(3月の半ばに立ち寄った記事です。)



 丸印は旧職員社宅の門です。職員社宅はこのように煉瓦・ブロックの塀に立派な門構えで、一般坑員の社宅とは格段の相違でした。建物は現存せずに塀と門だけがあちこちに残っています。



 炭坑全盛時の一端が偲ばれます。ブロック塀が両脇に残っています。



 朽ちた車が歳月を物語っています。この煉瓦の塀はまだしっかりしていました。



 門には木製の扉があったことが分かります。



 隆盛を誇った石炭の町で優雅な生活を送っていた職員家族の夢の跡です。炭坑の町荒尾・大牟田ではかつて「三井さん」「職員さん」などと「さん」付けで呼んでいたと言われています。



 「沈殿池」は坑内から汲み上げられた水を一時的に貯めて、不純物を沈殿させる働きをしていました。



 煙突の跡です。



 手前の赤煉瓦は汽罐場の跡です。



 このようになっています。



 案内板の一部で当時の様子をご覧ください。



 知り合いのボランティアガイド・Iさん(中央青帽子の方)です。炭坑OBで経験に基づく奥の深い名ガイドをされます。

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旧三井港倶楽部  福岡県大牟田市

2010-08-18 | 万田坑関係
 平成22年8月18日(水)

 旧三井港倶楽部は大牟田市指定の近代遺産の一つです。



 ランチの後フロントの方の親切な勧めで2階を見学しました。写真も自由にどうぞとは嬉しいことでした。



 かつての三井関係の社交倶楽部の名残を今に留めています。



 2階からみた前庭です。



 館内には数々の書、絵画、絵皿等が展示されています。これも自由に見学、撮影が出来ます。



 「色絵輪花大皿」は有田焼十二代今泉今右衛門の作です。絵画も藤岡一、佐々木義雄、田崎広之助、林武などそうそうたる画伯の作品があります。ほんの一部を紹介しました。



 前庭の芝生から建物の全容を撮りました。かつてここではチョロ2の親の結婚式・披露宴行い、この前庭では記念の集合写真を撮りました。懐かしい場所です。

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万田坑復坑祭   熊本県荒尾市

2010-05-01 | 万田坑関係
 平成22年5月1日(土)

 去る25日、世界遺産を目指している万田坑がグランドオープンしました。パンフレットです。



 万田坑が出来て108年目に当たるので、関係者108人による賑やかなテープカットが行われました。円内はお祝いの挨拶をする前畑市長です。



 県内の各テレビ局や新聞社も大勢詰めかけていました。



 一日坑長を務める荒尾市出身のシンガソングライターの関島秀樹さんも早速入場門で観客のお出迎えです。



晴天に恵まれました。



 イベント会場では「荒尾太鼓」「さのよい踊り」あらお観光大使を委嘱されている嘉門達夫×関島秀樹の「スペシャルライブ」が行われ、「炭坑節尚志踊り」で締めくくられました。これからゴールデンウイークにかけて多彩な催しが目白押しです。



 長蛇の列は無料で振る舞われたダゴ汁めあての客です。



 ダゴ汁は美味しかったと評判でした。



 一歩外から見ました。整備され芝生が植えられています。調整池越しにゆったり眺めることが出来、市民の憩いの場になりそうです。



 5月です。爽やかに過ごしたいものですね。でも世間はGWだというのに風邪をひいてしまいました。コメント欄もお休みです。

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世界遺産シンポジウムin荒尾  「九州山口の近代化遺産群」

2010-03-04 | 万田坑関係
 平成22年3月4日(木)

 ~三池炭鉱の世界遺産登録を目指して~のサブタイトルのもと、先日荒尾総合文化センターで開催されました。パンフレットの表・裏です。





 アトラクションは地元有明高校の太鼓とブラスバンドのコーポレーションに次いで荒尾高校の書道とブラスバンドのコーポレーションで盛り上がりました。



 基調講演は●「九州・山口の近代化遺産群」の世界遺産への取組について・東大大学院教授、世界遺産特別委員会委員長等の西村幸夫氏と●「日本における近代の産業遺産と三井三池」・工学院大教授、九州・山口の近代化遺産群専門家委員会委員・後藤 治氏のお二人でした。



 アトラクションは豊淵会の皆さんの炭坑節の軽快な踊り。



 「三池炭鉱の世界遺産登録へ向けての今後の展望と課題について」のシンポジウムは都市経済評論家・加藤康子氏をコーディネーターに関係者5名で、貴重な報告や提言がなされました。



 専門家による高度な理論や理念もさることながら、地域住民の意識や理解をどう深め、高めていくかも重要な課題だと痛感しました。
 地元出身のシンガーソングライターの関島秀樹さんの-世界遺産をめざす万田抗に捧ぐ-「未来へのおくりもの」の歌が披露され、喝采を浴びました。



【お断り】コメント欄は閉じさせていただきました。
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万田抗おもしろ講座修了

2010-02-15 | 万田坑関係
 平成22年2月15日(月)

 平成21年7月から全8回にわたったガイド養成講座の最終回の模様をお伝えします。締めくくりは万田坑現地でのガイドの実習でした。取り柄のない私ですが、お陰様で無遅刻、無欠席の優秀な!?成績で修了することが出来ました(笑)。
 シンボルの第二竪坑は改修中です。この4月には新装オープンの運びです。



 まず先輩のガイドさんが見本を示してくれます。



 竪坑の櫓は改修済みです。画面中央の木材の柱は擦木(すれき)と呼ばれ、昇降するエレベータのクッションの役を果たします。これを作るのは竪坑大工で誇り高い職種だったそうです。



 先輩ガイドTさんはユーモアたっぷりでさすがです。



 炭鉱OBのIさんのガイドには体験がにじんでいて説得力抜群です。



 講習会参加者はみんなの前でめいめい、講座参加の感想と今後の抱負を発表しました。



 みなさんの思いを楽しく聞くことが出来ました。



 戴いた修了証です。藤木さんを初め講座関係者の皆さんには大変お世話になり、ありがとうございました。講座修了生は希望により4月からのボタンティアガイドとして登録されるとのことです。関係者はそれを望んでいます。



 周辺では整備工事の際発掘された社宅跡の調査が行われていました。煉瓦の塀は職員住宅の名残です。一般鉱員の社宅とは雲泥の差があったと言います。

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三池炭鉱の近代化遺産巡り(四・最終回)  福岡県大牟田市・熊本県荒尾市

2010-02-12 | 万田坑関係
 平成22年2月12日(金)

 ちょっと間が空きましたが、三池炭鉱の近代化遺産巡りの最終回です。前回紹介の三池集治監跡からは徒歩での探訪です。
 国指定史跡・重要文化財の宮原坑跡です、1898-1931まで稼働していました。



 坑夫の昇降に使われた第二竪坑の櫓はきれいに塗装されていました。高さは22mあります。地下を覗き込む一行です。



 煉瓦造りの捲揚機室です。



 手前には石炭を運ぶ炭車が残っていました。赤いサビが歴史を物語っています。



 近くには昭和30年代に建てられた2階建てのモダンな職員住宅が保存されています。

 次に向かったのは宮原坑から歩いて20分の諏訪川鉄橋です。ここには石炭を運ぶ電車が通っていました。宮原坑-万田坑へと通じ、船で積み出す三池港までと続くルートになっていました。



 はるか南の方角に万田坑の櫓が見えます。草が生い茂って歩けない状況ですが、案内役の藤木さんを初め関係者は観光化出来ないかと模索しておられます。



 一行は線路の土手沿いの小径を歩き万田坑へとたどり着きました。
 なお、「万田坑おもしろ講座」の最終編も近々アップします。
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三池炭鉱の近代化遺産巡り(三)  福岡県大牟田市

2009-12-26 | 万田坑関係
 平成21年12月26日(土)

 「万田坑おもしろ講座」の一環として参加した「三池炭鉱の近代化遺産巡り」の3回目です。
 三池集治監跡です。政府直轄の刑務施設でした。ここの囚人たちは主に宮浦坑の石炭発掘に従事させられていました。現三池工業高校はこの敷地内にあります。塀と石垣は福岡県の重要文化財に指定されています。高さは5メートル。説明役の藤木さんが小さく見えます。





 この塀の高さはを見ると脱走は不可能です。



 一部が剥げ落ちて歴史を感じさせます。



 宮浦坑跡は宮浦石炭公園となっています。



 石炭ボイラーの排煙用煙突です。高さは31,2mあります。





 斜坑口が見えます。斜坑を降りる人車や坑内機械なども展示されています。 



 東側には石油化学コンビナートの痕跡が見えます。



【次回「宮原坑跡、諏訪川鉄橋」等で終わります。ご覧いただきありがとうございました。コメント欄は今回も閉じさせていただきました。】
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三池炭鉱の近代化遺産巡り(二)  福岡県大牟田市

2009-12-05 | 万田坑関係
 平成21年12月5日(土)

 ちょっと間が空きましたが、「三池炭鉱の近代化遺産巡り」の2回目です。



 三井港倶楽部を後にして「藤本伝吾の墓」へ小さな山道をたどり行きました。
 若い頃長崎で、石炭採掘の技術を学んだ藤本伝吾は柳川藩から石炭採掘の権利を与えられ、財を成した。しかし、二代目藤本伝吾が逝去して以後、石炭山採掘の権利は藩営となり、晩年は不遇だったといいます。



 龍湖瀬坑跡です。三池炭鉱が近代炭鉱として大規模化する以前の面影を残すものです。旗竿石が残っています。「露頭坑」と呼ばれたことが分かります。



 大浦坑跡。安政4(1857)年~大正15(1926)年。官営化後、初めて近代技術によって開かれた炭坑。現存の遺構は第一斜坑坑口跡のみ。普段は入ることが出来ません。





 石炭産業科学館は充実した施設で、歴史と技術が一覧できます。ここで昼食となりました。





 地元の新聞社の取材を受けました。



 石炭を掘る機械の変遷を見ることが出来ます。



 勝立坑跡。初めて機械化され、Dポンプが使われました。第2竪坑の基礎のみ残っています。明治33年から昭和3年まで活躍しました。



 解脱塔。碑陰には「明治二十一年八月三池集治監吏員立之」とある。石炭採掘に強制労働をさせられた三池集治監の囚人埋葬地であったことから、亡くなった囚人の慰霊のために立てられたものです。囚人労働は三池炭この歴史の中でいわゆる「負の遺産」と言われる一つです。





【お断り】
①世話係の藤木さんの説明、その他関係資料を使わせていただいています。
②草稿の段階で不手際から一時公開してしまい、迷惑をおかけしました。
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