花鳥風月・・・気ままな写真日記

ようこそ、どんこの小部屋へ。ゆっくりくつろいでください。
日常を出来得れば自然と融合したいと思っています。
 

初詣・・・2024年1月

2024-01-05 | ひと いのち

 2024年(令和6年)1月5日(金)

 元日の朝、わが家の庭から見た初日の出です。

 正楽寺にお参りにいきました。

 お寺の内部にある位牌堂に先祖・身内が眠っています。

 地区内にある四宮神社は散歩道にあります。別名は:蔵満神社。 

 閑散としていましたがm、参道では数人の方と会いました。

 県境にある四山神社です。

 こちらはお詣りの人で賑わっていました。

 一宮神社:野原八幡宮です。私はここで”紐解き”の祝(七五三)をしてもらいました。

 お詣りの客で大混雑でした。いらっいらっしゃいませ、コメント欄はオープンです。

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好天気に恵まれた初詣・・・2023年1月

2023-01-04 | ひと いのち

 2023年(令和5)1月4日(水)

  先ず、地元の蔵満神社へ参拝しました。

 立派なしめ縄です。

 菩提寺の正楽寺です。本堂内に位牌堂があり私の先祖たちも安置されています。

 次は四山神社です。行列が出来ていました。

 ここで破魔矢を求めてきました。

 野原八幡宮です。「風流」は国の重要無形民俗文化財も登録され「風流踊り」ユネスコ無形文化遺産に登録されています。

 参拝するまで30分もかかりました。s

 元日に仏壇に供えた雑煮などです。「拝みイワシ」を飾る風習があります。魔除けといういわれがあるようです。(コメント欄は閉じています。お越しいただきありがとうございました。)

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明けましておめでとうございます

2023-01-01 | ひと いのち

 2023年(令和5)1月1日(日)

 新年の夜明けです!コメント欄オープン。

 

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令和2年(2020)の初詣

2020-01-04 | ひと いのち

 2020年(令和2年)1月4日(土)

 快晴の元旦、初詣に行きました。先ずは菩提寺である正楽寺です。本堂内にある位牌堂には餅を飾りました。 

 蔵満(四宮)神社です。地区の人は「四宮さん」と親しんでいます。

 野原八幡宮(一宮)。10月には節頭行事などがあり賑わいます。

 歴史のある山門です。

 最後は四山神社。灯台(手前)と慰霊塔が見えます。南の階段は131段ありますが、今年は北の坂道から上りました。

 商売の神様として有名です。長い行列が出来ていました。

 大型商業施設・シティーモールの「であいの広場」では荒尾太鼓の打ち初めが賑わっていました。【コメント欄は閉じています。】

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秋のお彼岸

2019-09-30 | ひと いのち

  2019年(令和元年)9月30日(月)

 彼岸の中日の23日、正楽寺では秋の彼岸法要が行われました。いつもなら連れ合いも前日からお斎(とき)の弁当の準備に行くのですが、身体の不具合で今回は失礼しました。初めてのことです。婦人部の皆さんは頑張っておられました。

 住職さんのお子さんも中学3年生、小学6年生になりました。

 台風の翌日とあって参拝者は例年よりちょっと少なく106名でした。

 法話は天草の佐々木教将師でした。

 彼岸の最終日の26日は「お取越し」で御前様がお参りにこられました。連れ合いが饅頭を作り、お供えしました。

 ことしは高温続きで、彼岸花の色が冴えません。

 わが家の庭にも咲きました。

 リコリスの1種でしょうか。

 これは露草。

 暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったものです。雲にもようやく秋の気配がしてきました。

 

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入院生活記

2019-06-02 | ひと いのち

 2019年(令和元年)6月2日(日)

 5月15日、朝猛烈な腹痛に見舞われました。1回普通便の後下痢。激痛が治まりませんでしたが病院へ行く気力もなくそのまま家で寝ていました。翌日やっと起きられたので新生翠(みどり)病院を受診。胃のレントゲン、腹部のCT検査、胸部のレントゲン検査等を実施。即刻入院と相成りました。早速24時間点滴が始まりました。個室を用意していただました。

 病室は3階の一番西側です。雲仙普賢岳が見えます。眼下には介護老人福祉施設 白寿園があります。当病院の初代院長が開設されたものです。現院長は三代目になります。

 雲仙普賢岳の頂上には雲の傘が被っています。

 有明の月です。

 翌5月17日の大腸内視鏡の検査結果です。胃に近い部分の腸がかなり傷んでいました。主治医は三代目院長の鴻江勇和先生です。ずっと体調が優れずいろいろな医療機関に貰った抗生剤等の飲み過ぎが原因のようでした。おまけに市販の鼻炎カプセルやサプリまで服用していました。

 

 白寿園の鯉のぼりが薫風になびいています。絶食は15日から22日まで8日間、24時間点滴も入院時から23日まで8日間でした。点滴で命をつなぎました。不思議に空腹は感じませんでした。

 きれいな夕陽も見られます。

 白い建物は1昨年ガンで入院していた荒尾市民病院です。

 病室の北側です。正面の緑の小山が屋形山、その向こうに万田山が見え、写真右の方に小さくグリーンランドの観覧車が見えます。130度ばかりのパノラマ写真です。

 主治医の鴻江先生は初め看護士、介護士のスタッフは皆さんはとても親切で明朗でした。短い入院生活でしたが安心して過ごせました。

 入院中の食事の変遷です。退院後もまだ堅い物や香辛料、アルコールは控えるように言われています。

 最後の昼食に添えられていたメッセージカードです。栄養士さんにお会いした時に調理スタッフの皆さんにお礼を、と伝言しておきました。

 6月は私の誕生月です。まだ本調子ではありませんが、早く元の体調に戻るよう精進したいと思っています。 

 

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アジサイ(紫陽花)たちが出迎え

2019-05-30 | ひと いのち

 2019年(令和元年)5月30日(木)

 体調が優れず、12日間ほど入院していました。絶食と24時間点滴が8日間続き、やっと27日(月)に退院することが出来ました。点滴で拘束されている上にネットもつながらない状況でしたのでブログも休んでいました。病気については皆さんの参考になるかも知れませんので、後日またこのブログで療養記を紹介したいと思っています。

 退院出来たといってもすっかり体力が衰えていて気力さえ喪失しがちで、金栗四三大先輩から叱られそうです。入院前にはまだこんな状態だったアジサイです。

 退院してみたらもう満開でした。

 もう一カ所のアジサイです。

 七変化すると言われますが今はこんな状況です。別名「七変化」の由来です。

 長崎に来航したシーボルトが愛人・”お滝さん”の名にちなみ「オタクサ」と命名した話は有名です。

 大写しにしました。萼(がく)は4枚からなっているので「四葩」(しひら)とも言われるそうです。

 あじさゐや月に色づき日に褪(あ)せて  成瀬桜桃子

 また川崎市で悲惨な事件が起こりました。胸が痛みます。 

 別の所にあるガクアジサイです。

 こちらは鉢植えのガクアジサイです。

 何だとお思いですか?

 捨てていたジャンボニンニクの花です。【コメント欄は今回まで閉じています。こちらからのコメント発信もぼちぼちとやっていきますのでご容赦下さいませ。】

 

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マラソンの父 金栗四三大先輩の生家

2018-10-21 | ひと いのち

 平成30年10月21日(日)

  「マラソンの父・金栗四三」 は今年の8月25日にアップしました。来年1月には生家が一般公開されるという情報を聞いて、熊本県玉名郡和水町中林(旧春富村)の生家を訪ねました。この田んぼの向こうに駐車場が設けられています。

 駐車場から東へ進みと瓦家の向こうにかすかに見えてくるのが金栗四三先輩の生家です。

  表通りから見るとご覧の案内の標識が見えます。200年前に建てられたそうです。を来年1月に一般公開されます。

  東の一角には「体力 気力 努力」の記念碑が建ち、「金栗四三オリンピック出場百周年」を記念して建立されました。

 

  記念碑の裏面です。略歴が記されています。

  生家の周辺です。

 

 

 

  生家の真向かいに「金栗瀬助翁の墓」の看板がありました。和水町商業観光課に問い合わせたところ、金栗四三家の先祖だという説明を受けました。

 前回紹介した長谷川孝道氏の著書です。読み応えがありました。 

  洋泉社刊行の「金栗四三の生涯 『マラソンの父』の波乱の人生」です。写真中心の気楽に読める本です。【コメント欄は閉じています。】

  

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マラソンの父 金栗四三

2018-08-25 | ひと いのち

 平成30年8月25日(土)

 2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリンピック噺」は熊本県は旧制玉名中学校(現・玉名高校)出身のマラソンの父・金栗四三(かなくりしそう)が主人公です。その玉名高校の白亜の殿堂と言われる本館です。この本館、前庭池、正門は2001年(平成13)年に登録有形文化材になっています。

 現役生徒たちの活躍ぶりを示す垂れ幕です。

 前庭には金栗四三の銅像が建っています。1969年(昭和44)に本人も出席して除幕式が行われました。

 時計台を眺めているようです。

 玉名高校は1952年(昭和27)第3回全国高校駅伝大会で初出場初優勝を果たしました。以後しばらくは毎年全国大会出場の常連校となりました。松下午太先生の指導に負うところが大きかったです。卒業後も活躍した選手も多かったです。第8回別府大分毎日マラソン(1959年・S34)で優勝した築地美孝さんもその一人です。私の1級上の先輩です。

  グランドでは野球部、サッカー部、陸上競技部の練習があっていました。今は駅伝部はありません。

  陸上競技部の練習風景です。

  玉名市のパンフレット。大河ドラマ放送決定を機に市役所には「金栗四三PR推進室」が設置され、大々的な広報活動が展開されています。生き生きした職員さんたちの応対ぶりが爽やかでした。

  その推進室が作成したパンフレットです。写真も豊富でとても分かりやすいないようになっています。

 

 また最新号の玉高同窓会会報にも「金栗四三先輩特集号」が8ページにわたって組まれています。今年は創立115周年という記念すべき年でもあります。11月10日には同窓会も計画されています。高校1年だった時に50周年でした。友人たちを誘い参加する予定です。なお、同窓会では「金栗四三先生銅像」の制作が計画され同窓会当日に除幕式が行われます。一般寄付には私も参加します。

  「玉名市立歴史博物館こころピア」で販売されているすごろく(税込み200円)です。当館では現在「ミニ金栗四三展」が開催中です。

  縁は不思議なもので金栗四三大先輩の六女(荒尾在住市内在住)のご長男を36年前、中学3年の時に担任しました。家庭訪問の折、金栗四三さんのお孫さんと聞いて感激したものです。お母様に電話したら遠方で元気にしているとのことでした。

 「54年8ヶ月6日5時間32分20秒3 玉名高校大先輩 金栗四三を偲ぶ54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」の私のブログです。

 最近復刻出版された本です。地元新聞記者だった長谷川孝道さんが情熱込めて書いています。一読を勧めたい著書です。

 

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癒しの画像・・・R子さん&末娘から(ガンと共に 8)

2017-06-30 | ひと いのち
 平成29年6月30日(金)

 28日、一時退院して23日ぶりに我が家へ戻りました。一番ほっとしたのはネットがつながることです。もちろん病院は治療するのが本務ですが、私が関係する機関や団体のメールなどのチェックは気になります。お世話になっている病院は建て替えが検討されていますので、そうなった暁にはIT関係も最新式になることでしょう。

 退院時には若干白血球は増えてはいましたがまだ安心レベルではないので、白血球が増える皮下注射をしてから自宅で飲む数種理の薬をいただいて帰りました。夜はやはり不眠傾向と胃の痛み、足のだるさなどの自覚症状がありますが、比較的元気で過ごしています。

 今朝は早くから松の芽摘みと植木の剪定を特別に依頼していたので、シルバーセンターから6名の方がやってきました。いつも私が一人で2か月ばかりかかっていた仕事を一部を残して1日で済ませてくれました。ありがたいことです。

 午前中、海岸へ一人で歩きにいきました。ゆっくりと歩きながら潮風をおなかいっぱい吸い込んできました。約4,000歩でした。この時期、渡り鳥の姿はなく、アオバトが11羽、アオサギ1羽、トビ1羽にハシボソガラス、ハクセキレイが数羽いました。ウグイス、ホオジロは鳴き声だけ聞こえました。満ちてきた海面をボラがしきりに跳ねていました。

 ご近所のR子さんは愛媛に嫁いでいます。私が母校である中学校に赴任した時の新1年生でした。今もこの仲間はラインで結ばれ固い絆を誇っています。
 メルボルンにいる娘さんが第二子を出産されたので当地に滞在中です。ラインは便利なもので、メルボルンの夜景を送ってもらいました。メルボルンのヴァージニア州のオオソリハシシギは荒尾干潟にやってきます。そういうご縁もあります。



これがメルボルのあるヴァージニア州の海岸から放鳥されたオオソリハシシギです。6年前の5月の撮影です。



 私の末娘が仕事先から送ってくれたホノルルの写真です。



 末娘は横浜のみなとみらい近くに住んでいます。



横浜港に入港した外国船。



 鳥好きの私にR子さんが送ってくれた画像です。





 どうもバンのようです。(違っていたらごめんなさい。)



 カナダから末娘の写真です。こういう標識は沖縄のヤンバルクイナ保護のためにもありますね。車に徐行をと呼び掛けているのでしょう。



 鳥の名前は調べましたが分かりませんでした。



 これはマガモかな?



 明治神宮の大樹、「いい気が貰えそう」と『かりそめのこととは思はでくらすこそ世にながらへむ薬なるらめ』の歌を添えて送ってくれました。二八番のおみくじ。(些細なことをくよくよして愚痴をこぼしたり、取り越し苦労をしないようにして、日々を暮すことこそ、健康長寿の良薬だ。)の意のようです。
 R子さん共々心を癒され、一層元気が出たような気がします。
 1年の半分が過ぎましたね・・・。

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古希同窓会に出席

2015-08-31 | ひと いのち
 平成27年8月31日(月)

 縁あって古希同窓会に招かれました。終戦の年の昭和20年(1945)と21年に生まれた人たちです。現熊本県天草市の離島・横浦島にあった御所浦北中学校卒業生です。卒業生の一人・NTさん(柳川市在住)の車に乗せてもらいました。朝が大雨のため濡れては困るとわざわざ小型のフェリーをチャーターしてくれました。フェリーの向こうに見えるのが人口700の横浦島です。



 私が大学を出て初めて赴任した地です。下宿していた酒屋兼雑貨屋を営んでいたO商店がまだ健在でした。55年前は島の人口は2000と言われていました。



 島にあった小学校、中学校は児童生徒数の減少で数年前に統合され、校舎や運動場や校門が名残を留めています。



 半世紀以上も前、3年生1クラス29名、全校生徒が140余名でした。29名中、出席者が10名です。勿論、フルネームで言えました。悲しいことには6人も浄土に召されていました。会の初めに亡くなった人たちを偲んで長い黙祷をしました。
 大学を出たばかりの私と年の差は7,8歳しかありませんでした。今こうしてみると誰が生徒か先生か分からないくらいです。(私は写っていませんが・・・。椅子に座っているのは宿のご主人です。)。55年ぶりに再会した人が3人もいました。



 会場の「民宿・瀬の浦」の前の横浦漁港、漁船がいっぱい係留されています。



 生徒たちと一緒に歩いていった通学路が懐かしい。卒業前、足を骨折したNT君を、私を含め交代で山道を負ぶっていった思い出話に花が咲きました。



 向こうが御所浦島(左側)です。牧島(右側)との間に橋が架かっていますが横浦島には架橋がありません。



 翌朝、またフェリーをチャーターしてもらいました。大阪へ帰るHIさん親子と柳川へ帰るNTさんの車が2台です。幹事のYOさんが桟橋で見送ってくれました。



 ウミネコも見送りです。



 横浦島が段々遠のきます。次は喜寿の祝でしょうか。私はもう出席できないことでしょう。



 29名を巣出させた翌年、私は「北中逍遙歌」(三節)を作りました。一節のみ紹介します。今も同窓会では細々と歌い継がれています。
     割れ石ケ浜 うち寄する 
      怒濤のしぶき 身に浴びて
      英気溢るる 百七十
      ここに北中の 健児あり   (注・翌年の生徒数は170余名に増えていました。)

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ブログ開設8周年

2013-09-08 | ひと いのち
 平成25年9月8日(日)

 開設の日はアオサギの写真でスタートしました。平成17年(2005)の9月2日でした。  



 1周年の写真はなぜか日本料理「みかげ」の料理を掲げています。平成18年(2006)9月。



 2周年。ミサゴのハントの様子はピントがぼけています。平成19年(2007)9月。



 3周年。家族から散らかってる部屋をアップして!とヒンシュクを買いました。平成20年(2008)9月。



 4周年。有明の月。平成21年(2009)年9月。



 5周年。海の夕陽です。平成22年(2010)9月。 



 6周年は「初秋 浦川沿いを歩く」。平成23年(2011)9月。



 7周年。「シロチドリ絶滅危惧種に指定」。平成24年(2012)9月。



 そして8周年。海を飛ぶアオサギです。平成25年(2013)9月。
 お陰様で9月6日現在、総閲覧数1,335,005件。訪問者実数376,176名に達しています。これからも変わらぬお付き合いをお願いいたします。

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54年8ヶ月6日5時間32分20秒3  玉名高校大先輩  金栗四三を偲ぶ

2012-06-21 | ひと いのち

 平成24年6月21日(木)

 今年はオリンピックの年。100年前、ストックホルムで開かれたオリンピックに日本は初参加をしました。玉名高校の大先輩・金栗四三さんはマラソンに出場しましたが途中棄権、これが大会本部には伝わらずに行方不明扱いになっていました。「1967年(昭和42年)3月、スウェーデンのオリンピック委員会から、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待され(中略)金栗を記念式典でゴールさせることにしたのである。この時、『日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します』とアナウンスされた。54年8か月6日5時間32分20秒3という記録はオリンピック史上最も遅いマラソン記録であり、今後もこの記録が破られる事は無いだろうと言われている。」【ウィキペディア】
 6月18日付朝日新聞・「天声人語」でも紹介されています。
 
 金栗四三さんの母校・玉名高校はどんこの母校でもあります。同じく【ウィキペディア】には「金栗はゴール後のスピーチで『長い道のりでした。この間に孫が5人できました』とコメントした。」とあります。なお「天声人語」には孫の数10人とあります。身内の方に確認したところ10人が正しいとのことでした。



 この前庭に金栗四三さんの銅像があります。在校中にこの大先輩のお話を聞いたことがあります。



 玉名郡和水町の実家のそばにお墓があります。直筆の「体力 気力 努力」の文字が墓石に刻まれています。



 数年前ご実家を訪ねたことがあります。



 玉名高校は体育祭の応援団、人文字が度々テレビでも全国放送され有名です。孫娘も通っていました。今度の6月30日にもTBS系「ぶっちぎりTV」で続編が放映される予定です。(体育祭の写真は孫娘の在校中のものです。)



 金栗四三さんの後輩たちは大先輩を誇りとして頑張っていました。(写真は一部再掲しています。) 





【お断り・間違って27日アップ予定の「シロチドリの雛」を一時公開してしまいました。このところパソコン不調によるトラブルです。コメントいただいた方には後日アップ時に返事を差し上げます。ご迷惑をおかけしました。

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わが家の桜が満開

2011-04-14 | ひと いのち
 平成23年4月14日(木)

 満開の桜を屋根に上って写してみました。



 このソメイヨシノは今は首都圏に住む長女の小学校入学の記念樹です。こんな大木になりました。この巣箱には今シジュウカラが抱卵していてヒナが5羽孵っています。



 長女にはこの春大学、高校にと進学した息子がいます。



 桜の樹は孫たちの成長も見守ってくれているのかも知れません。



 時々やってくるヒヨドリです。



 珍しくマヒワもやってきました。



 そよ風に花びらが舞い散る頃になりました。




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春眠・・・

2011-04-09 | ひと いのち
 平成23年4月9日(土)

 暁を覚えず・・・ではありませんが、春は本当に眠たいですね。春眠から覚めました。またよろしくお願いいたします。

 「春 暁」   孟浩然            熊本弁(どんこ・訳)

春眠不覺暁 春眠暁を覚えず       春は眠して眠して いつ朝になったのかも分からんだった
處處聞啼鳥 処処啼鳥を聞く       あっちこっちから鳥の鳴き声が聞こえてくるばい
夜来風雨聲 夜来風雨の声        よんべからずーっと雨風が強かったけん
花落知多少 花落つることを知る多少   花もいっぴゃこっぴゃ散ってしもうたっじゃなかろかな

                       ※「いっぴゃこっぴゃ」=「たくさん」の意。

 もう満開だった市内の桜はご覧のように雨でいっぱい散っていました。





 気がつけば遅咲きのわが家のソメイヨシノも七分咲きになっていました。













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