大卒で就職して5年が過ぎようとしていた2001年、このままの人生に疑問を感じて、英語で生きていくために留学するか迷っていた。留学先はイギリスのウェストミンスターかアメリカのシアトルの二択。そんな時、「イチローがマリナーズに行く」ということが、私の決断に大きく影響した。
2001年9月、イチローと同じ年にシアトルに移り住んだものの、ホームシックと挫折感に苛まれていた私は、たまたま、911の影響で延期されたマリナーズの試合のチケットを友人から譲り受けた。
2001年10月7日、SEATTLE MARINERS 対 TEXAS RANGERS。三塁側の最上席からみたイチローは、あのバットの構えと、フィールドを動き回る俊敏さで、自分の世界を楽しんでいるように見えた。
それ以来、イチローは私の人生の師となり、彼の言動は私の日々の行動の源泉となり、彼の professionalism と idiosyncrasy は、間違いなく私の人生の指針だった。
一人の野球選手の引退。しかし、そこには応援してきたすべての人の、それぞれの人生が集約されている。
2001年9月、イチローと同じ年にシアトルに移り住んだものの、ホームシックと挫折感に苛まれていた私は、たまたま、911の影響で延期されたマリナーズの試合のチケットを友人から譲り受けた。
2001年10月7日、SEATTLE MARINERS 対 TEXAS RANGERS。三塁側の最上席からみたイチローは、あのバットの構えと、フィールドを動き回る俊敏さで、自分の世界を楽しんでいるように見えた。
その躍動する姿を見て、「俺もできる。人生を変えるためにここに来たのだから」。
2001年10月7日撮影@Safeco Field
それ以来、イチローは私の人生の師となり、彼の言動は私の日々の行動の源泉となり、彼の professionalism と idiosyncrasy は、間違いなく私の人生の指針だった。
一人の野球選手の引退。しかし、そこには応援してきたすべての人の、それぞれの人生が集約されている。
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