朝、7時20分に消防詰所に集合し、綾部分団第2部が揃って、熊野新宮神社に一年の無火災、無事故、無災害を祈念して参拝した。
8時から綾部小学校で綾部分団の出初式に参加。今年度、指導員だったため、表彰状をいただいた。
9時半からは、市民グラウンドでの市の出初式に参加した。足元には雪があったが、日差しがあり、比較的楽だった。
パレードでは、ポンプ車の後ろに乗って敬礼する役を務めた。大志万さんに携帯で写真を撮っていただいた。
午後は13時から、消防の新年会。自治会長さんは少なかったが、OBの方々にはたくさん来ていただいた。
16時からは、月見町通りの石畳整備事業の完成式に出席した。
この事業は綾部出身の松本英昭元自治省事務次官にずいぶんお世話になり、宝くじの助成金からその工事代金ほとんどの補助を受けて、月見町の飲食店街をさらに発展させようと行われた。
谷垣代議士にも尽力してもらったため、この完成式に来れるよう日程調整をしたが、どうしても予定がつかず、僕が秘書として代理出席をさせていただくことになった。
月見町の「のれん会」の方々が、食べ物や飲み物を振る舞われ、大勢の市民で賑わっていた。
往時を偲ばせる芸妓さん姿の方々も来られて、花を添えられていた。
司会はレイチェルが英語で同時通訳しており、空港にでも来ているような気分になった。
月見町も昔の雰囲気を忠実に再現することで、祇園などより敷居が低く、安価な日本文化観光地として、外国人観光客を呼び集められないだろうかと、府中丹広域振興局の西村悦雄商工農林部長と火に当たりながら話していた。
イスラエルで道をたくさん歩いているユダヤ人聖職者には、政府が生活費を支給しているそうだ。
日本も失業対策として、ちょんまげを結って、着物で刀を差した侍や町人の格好をしてもらう人をつくり、外国人観光客の増加を図ったら、仕事づくりにもなるのではないだろうか?
来賓懇親会に1時間ほどだけ出席して、消防団の新年会二次会に戻った。
午後から携帯を家に置き忘れて出かけていたので、連絡も入らず、ゆったりと過ごすことができた。
迷惑メールの着信にいちいち反応しなければならないような時代になってしまったが、月見町が繁栄していた頃のような「ゆとり」が取り戻せる社会になればいいなと思う。