令和6年1月1日㈪、元旦。今年は大変な幕開けとなりました。
午前中で元旦の行事を終え、自宅でゆっくりしていたら、夕方突然に石川県能登半島を中心とする大きな地震が起き、津波警報も発令されました。被害の全容がまだ見えてきませんが、一人でも多くの命が救われることを願っています。
綾部市からも1日の20時45分、山崎善也市長の激励と指示を受けた4名の消防隊員が災害救助のために出発されました。隊員の皆様の任務の無事と活躍をお祈りいたします。
一気に正月ムードではなくなりましたが、元旦の朝からの行事を振り返っておきます。
朝5時、熊野会館にて実践倫理宏正会の元朝式に参加。コロナ禍以来、来賓としてのお招きはなくなったが、今日は会員として久しぶりに参加させていただいた。
これまでは会長の「年頭の辞」を綾部の会員が代読されていたが、今年はネット中継で上廣哲治会長の挨拶を聴かせていただいた。上廣会長のお話を直接聴くのは初めてだったが、今の自分の気持ちにスッと入ってくるお言葉だった。
分からないことを考えても不安になるだけ。考えるのは程々にして実践のための行動を起こすべし。人間は考えるより先に行動を起こし、後からその行動を総括する。動く前から心配するな。
前例に捉われずに、行動を起こしていくことこそが時代を切り拓く。というお話だった。
続いて、6時過ぎから寺山に登った。登り口で山崎清吾副市長と一緒になったので、お話しながら約15分登山した。綾部市の主だった方々が集まってこられて、7時からボーイスカウト綾部第二団主催の元旦国旗掲揚式が行われた。
式典の途中では雨に降られ、空は雲に覆われて、残念ながら初日の出は拝めなかった。
下山し、麓の若宮神社(四方義規宮司)の歳旦祭に参列した。
9時からは氏神である熊野新宮神社(出口孝樹宮司)の元旦祭に参列した。
3人の子どもたちもお宮参りをさせてもらった氏神様であり、毎年、子ども達にも元旦祭に参列させるようにしている。これから先も末永く大切にしてほしい。
祭典終了後、お神酒(梅ジュース)、みかんの接待の後、お供え物を片づけるのを子どもたちにも手伝ってもらった。
今日は何人かから「弟の耕治さんを初めて見た」と声をかけられた。「源太郎さんもお父さんに似ていると思っていたけど、それと比ではないくらい耕治さんの方がそっくりですね」とおっしゃる方もあった。
耕治は東京あやべ会の幹事の一人として、松本英昭会長が逝去された後の会の建て直しのため、綾部出身の若手の発掘に取り組んでいるようだ。年末にも若手の綾部出身者の会を新橋で開催し、小源太や甥の涼基も参加していた。
僕が声をかけた他の参加者からも「面白かった」と高評価の声を聴いたので、継続して掘り起こしに努めてほしい。小源太もいろんな人と話ができて楽しかったと言っていた。
小源太の声と耕治の声もよく似ていることに気がついた。夜は久しぶりに小源太の寝息を聞きながら寝た。幼い頃もこんな感じだったなと思いながら。
今年は耕治も小源太も久しぶりにゆっくり綾部にいるようだ。