2日㈫、北陸の地震は余震が収まらない。道路も寸断されており、救援の手もなかなか届かないようだ。
昼前から事務所に行き、いただいた年賀状の整理や返信作業を行った。
「年賀状終い」の連絡もちらほらあり、ハガキ代が大幅に上がる来年は、さらにこの傾向が強まりそうだ。年賀状という文化も細くなりつつあり。
夜になってテレビで大きな火の手が上がっているのを見て、地震による火事かと思ったが、そうではなかった。羽田空港の滑走路で日本航空機と海上保安庁機が接触し、奇跡的に日本航空機は全員脱出できたようだが、海上保安庁の職員が5名殉職されたそうだ。
海上保安庁職員は北陸の被災地へ救援に向かおうとしておられたということで、大変悲しい出来事が起こってしまった。
正月早々、なんでこんなにも災害や事故が起きるのかと、まだ始まったばかりの今年を憂う。
3日㈬、今日は夜から雨になるそうだ。この正月3ヶ日、人手不足で妻は毎日、仕事に行っている。小源太と涼子は昼夜逆転生活でよく寝ている。温二郎だけは規則正しく寝て起きて、勉強してゲームをしている。
食卓の上に俵万智さんの「サラダ記念日」の文庫本が置いてあった。誰のか?と聞いたら、小源太が「前に買ったけど、読んでなかった」と答えた。夜行バスの中で読もうとでも思って持って帰ったのだろう。
この本が出版されたのは1987年(昭和62年)5月で私は13才、時代はバブルの真っ只中だった。パラパラっと読んでみて、時代感の分かる歌をいくつか発見した。
また電話しろよと言って受話器置く君に今すぐ電話をしたい
電話から少し離れてお茶を飲む聞いてないよというように飲む
今の子は受話器なんか持ったことがないだろう。電話が一家に一台で、それが唯一の連絡手段だった時代ならではの歌だ。二番目の歌は娘と恋人の電話に知らぬ素振りで聞き耳を立てる父親の姿が想像できて面白い。
捨てるかもしれぬ写真を何枚も真面目に撮っている九十九里
今の子ども達はもうフィルムのカメラを知らないのだろうな。デジカメやスマホでは何枚でも撮れるし、すぐに確認もできる。便利な時代になった。
今日風呂が休みだったというようなことを話していたい毎日
銭湯は綾部市にはもうなくなってしまった。私は大学時代、下宿に風呂がなかったので「サカエ湯」という銭湯に行っていた。最初320円くらいだった銭湯代はやがて400円近くに値上がりし、節約のために二日に一回にするようにした。
「30までブラブラするよ」と言う君の如何なる風景なのか私は
当時は30才までに結婚したいという女性が多かったのだろう。平成に入ってしばらくするとバブルが崩壊し、その数年後から社会に出た若者たちは「就職氷河期世代」と呼ばれる。晩婚化が進んで今の少子化の遠因になったのは、この句の数年後からだったのだと思う。
結婚のことを「永久就職」という呼び方もあったが、離婚率が高まり、そういう言葉は死語になった。
万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校
すごい人が教壇に立っていたものだが、その価値に気がついていた生徒は何人いたのだろうか?
「何もない」と思い込んでいる自分の周りにも、気づいていない大きな可能性があるのではないかとこの歌を読んで思う。
明日は綾部商工会議所の新年互礼会。新しい年が本格的に動き始める。