四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

清明高校、府立植物園を視察

2024年01月17日 | 京都府議会

 17日㈬朝8時前事務所を出て京都へ。10時から京都府議会 文化生活・教育常任委員会の管内視察に参加した。

 最初は北区にある府立清明高校(越野泰徳校長)へ。昼間定時制の普通科、単位制の学校として、最近、受験倍率が2倍近くになるなど人気が出てきている。

 昨秋、北海道札幌市で札幌市立札幌開成中等教育学校という中高一貫の学校を視察したが、そこと同じような自由な学校づくりが行われていた。

 清明高校は中学時代、不登校だった生徒も数多く通っているが、そう行った子でも大半が登校できているそうだ。

 大学での授業に近い、こうしたフレックス型の高校が他の全日制高校にも広がった方が良いか?また広げられるか?と質問したところ、越野校長は「広げた方が良いし、広げられる」とおっしゃっていた。

 高校だけでなく、中学校でもいずれこういったスタイルが当たり前となるだろう。清明高校は校長先生のリーダーシップで、運営方針が明確な良い学校づくりがなされていた。

 精神的に弱い子も多く通っているため、チルスペースやカームダウンスペースという一人になったり、精神を落ち着ける場所も用意してあった。

 

 午後北区と左京区にまたがる京都府立植物園(戸部博園長)へ。

 100周年を迎えた植物園の老朽化したバックヤードなど、改良が必要な施設や今後の運営についての説明を受けた後、園内を見学した。

 視察の中心はバックヤードなど、一般のお客さんとは違うところを多く回った。

 

 視察後は綾部に戻り、17時半からあやテラスにて、綾部青年会議所(上畑隆昭理事長)の新年例会に出席した。

 若い皆さんの存在感のある活動に期待しています!


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第20回記念「あやべ寄席」チケット購入はお早めに!

2024年01月16日 | アート・文化

 16日㈫来る3月20日(水・祝)14時~、ITビル(西町1丁目)にて開催する第20回記念「あやべ寄席」のチケットとチラシを預かった。

 今回は第20回記念特別ゲストとして、テレビでも大活躍の桂小枝さんにお越しいただくことになった。そのためか、チケットがいつになくハイペースで売れているため、ご希望の方は早めにご購入ください。

 プレイガイド市社協(川糸町)、あやべボランティア総合センター(本町2丁目)、FMいかる(西町2丁目)、あやべ福祉フロンティア(里町、清山荘内)、そばの花(上八田町)、いかるがの郷(味方町)、里山ねっと・あやべ(鍛治屋町)などです。

 前売券は1,000円で、前売券が完売した場合は当日券は販売しません。多くの皆様のご来場をお待ちしております。

 お問い合わせは、あやべ寄席事務局☎080-6176-1334(後藤)まで。

 

 綾部鉄工工業協同組合(波多野隆史理事長)新年会に出席し、挨拶させていただいた。昨年12月の組合設立70周年記念式典では、綾部中学校の吹奏楽部に演奏させていただき、また全国大会出場に対しての寄付をいただいたことの御礼も申し上げた。


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井上重典先生の叙勲祝賀会

2024年01月14日 | 議員活動

 14日㈰11時半から福知山市のロイヤルヒル福知山にて、同期の京都府議であった井上重典先生の叙勲祝賀会に出席した。

 最初発起人代表である杉山金三元福知山市議が挨拶され、京都府副知事、福知山市長、国会議員、自民党府議団代表幹事が順番に挨拶された。

 私も来賓挨拶の最後に、井上先生と同期当選である隣りの市の府議としての立場でお祝いの挨拶をした。

 井上先生と最初に会ったのは2009年、自民党が大敗して下野した衆院選の谷垣禎一先生の選挙事務所であり、当時、私は落選中で谷垣禎一事務所で秘書をしていた。井上先生は選対の総務部長だったと思う。

 あの選挙は大変厳しく、谷垣先生も数千票差での薄氷の勝利だった。選挙戦の最後の最後、井上先生を中心とする福知山市議の皆さんが自らの携帯電話で電話を相当かけられ、その踏ん張りで谷垣先生が選挙区で勝利し、その後、自民党総裁になられたことが、今の自民党政権につながっていると思う。

 歴史に「もし」があるとすれば、あの時の福知山市議の皆さんの踏ん張りがなければ、歴史は変わっていたかもしれない。

 府議になってから、井上先生が常に名前を出されていた政治家は芦田均元総理。芦田元総理は井上先生と地元が全く同じ、郷里の大先輩にあたる方で、国道9号線を作る際、説明に来た建設省の官僚に「君たち、僕のふるさとを知ってるの?」と芦田総理がおっしゃったというお話は何度も聴いた。だから、9号線は自分の地元を走っているんだ、と。

 その話をした後には「政治家はどれだけ地元のために働けるかが大事。かつ仕事は形として残さなければならない」とおっしゃっていた。

 井上先生には、私が本会議や予算委員会等で質問に立つ際には後ろから「ゲンちゃん、(北部の声を)押し込んでいけよ!」と激励していただいていたが、今は引退され寂しく感じている。

 これからもお元気で、また幾度も飲んでお話を聴かせていただきたい。


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初点式

2024年01月13日 | アート・文化

 12日㈮綾部建設業協会(吉田博美会長)新年会萬家で開催されて出席した。

 挨拶ではまずは昨年の災害復旧に対する御礼、加えて「地域交響プロジェクト・被災地支援プログラム」で建設業者に委託されるのは小さな仕事で割に合わないところはあるだろうが、この制度でなければ民家や民地の土砂撤去などが進まないので、今後も協力をお願いした。

 また、犀川、八田川の本格復旧や整備を京都府にお願いしていること、府道安場田野線のバイパス工事、府道三俣綾部線の拡幅工事は道路設計が完成し、1月24日、25日に安場町、上延町でそれぞれ地元説明会が開催されること、府道舞鶴和知線の中上林清水自治会内の狭隘箇所も昨年、用地買収が整い、来年度には工事できる見込みになっていることなどを報告した。

 終わった後、本田太郎事務所の西地康弘秘書を誘って、数年ぶり居酒屋まつり山中光男さん会いに行った。飲み屋さんはいろいろな意見が集まる場所でもあり、時々は寄って話をしておかなければと思っている。

 

 13日㈯午前中亀甲家にて、茶道裏千家淡交会両丹支部綾部分会初点式に出席して、両丹支部の副支部長としても挨拶させていただいた。

 挨拶の中では、昨年12月議会の文化生活・教育常任委員会「中学校での武道教育」について質疑した際に、茶道や華道、書道、吟道でも「武道教育」が目指す趣旨に沿った教育が可能ではないかと発言したことなどを報告した。

 濃茶席、薄茶席、点心席を回り、今日も勉強させていただいた。「お道具拝見を!」のタイミングは水差しの蓋が閉じた時、と学んだ。


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日本一の綾部中学校になる

2024年01月11日 | 教育・子育て

 11日㈭今月発行予定「げんたろう新聞」第158号原稿書き。12月議会の報告を中心とした紙面を考えている。

 

 会長を務める綾部中学校PTA第5回運営委員会に出席した。これで今年度役員による運営委員会は最後となり、後は次年度役員との引継ぎ会のみとなった。

 今回は最後の提案として、綾部中学校PTA懇親会を3月に計画することにした。あやテラスができて、500名ほどの全PTA会員に参加してもらっても、立食なら何とかできるだろうと。中学校のPTAは「何か行事をする」というより、先生と子ども達の「橋渡し役」として、会員相互のコミュニケーションを図ることを重視した方がいいと思っている。

 ただ、結局はいつもの30名ほどしか集まらず、会場はもっと狭いところになる可能性も高いので、綾部中学校PTAの会員の皆様にはぜひご参加をよろしくお願いします。

 

 会長に就任した当初に役員の皆さんには「やりたくない事業は特にしなくていいです。やりたいことは応援するので、どんどんやりましょう!」という活動方針を説明し、運営委員会では子ども達や保護者を代弁しての学校への要望や質問に時間を割いてきた。その結果、実現したこともあるし、今後の検討事項としてもらっていることもある。

 今日も学校から、課題の検討状況について報告があった。先生達だけで検討するのではなく、生徒会役員を中心に子ども達も意見を出し、話し合いをしているようで、自主的にルールを作っていくことは、大切な勉強になる良いことだと感じた。

 

 家に帰ってご飯を食べようとすると、食卓に綾部中学校生徒会の機関紙「HOPE」が置いてあった。新しい生徒会目標は「日本一の学校になる」だそうだ。

 生徒会役員のインタビューも掲載されており、全員が「本気で学校を変える」とか「日本一の学校をつくっていきます!」「日本一の学校に変えられるので楽しみです」と前向きに変化を起こそうとしていて、大変頼もしく感じた。

 副会長になった温二郎「これから学校を変えれるとワクワクします。みんなが楽しめるように頑張るゾー!」と書いていた。ぜひ頑張ってほしい。

 

 綾部の町が小さくてもキラリと光ってきたのは「綾部人気質に、変化を恐れず、常に時代の先端をいこうとする気概があったから」だと思う。

 マンモスは絶滅したが、変化に対応した小動物は生き残ることができた。綾部のような小さな町が「マンモス思考」では生き残れるはずがない。

 綾部中学校の生徒会機関紙に書いてあるように「できる、できないは関係なく、挑戦する心を大切にしたい」という精神がとても大切だと、改めて子ども達から教えられた。


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初ゑびす大祭

2024年01月10日 | 寺社行事

 10日㈬並松商工会(高橋辰夫会長)会員として、初ゑびす大祭の甘酒接待の当番になっており、朝8時に熊野新宮神社へ。

 他の当番の方々と共に、さっそく甘酒を仕込んで準備。今年の甘酒はうまくできていたと思う。

 10時からは綾部恵比寿神社の祭礼で、綾部恵比寿神社奉賛会長として祭主を務めた。雨の心配をしていたが、祭礼の間は雨が上がった。

 奉賛会の会員だけでなく、山崎善也市長、種清喜之市議会議長はじめ、熊野新宮神社総代、商工会議所、青年会議所、市内商店街、市内企業、近隣自治会などの多くの来賓に参加していただいた。

 お祭りは夕方4時まで。午後は雨が降って来て参拝客が伸びなかったが、多くの方々にお参りいただきまして、無事に終了いたしました。ありがとうございました。

 終了後は甘酒接待所を片づけ、18時から並松商工会の総会に出席した。次年度の会長は古和田功蔵さん、副会長(会計)は野々垣泰輝さんと決まった。


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青空の下で

2024年01月09日 | 寺社行事

 日㈫10時から大本本部七草粥接待出席した。青空はきれいで、よく晴れて長生殿は美しかった。

 大本本部の小林龍雄本部長綾部市の山崎善也市長の挨拶の後、他の来賓の皆様と共に、七草粥と薄茶の接待を受けた。美味しいお粥だった。

 いつもはにごり酒「五郎八」をいただくのだが、今日は午後に予定があり、飲むのを控えた。

 

 帰り道、準備中の初ゑびす大祭の会場に立ち寄り、奉賛会の皆様に挨拶した。並松商工会の甘酒は今年はよくできていた。

 15時半から青野町FEサービスにて、京都府環境整備事業協同組合(野村拓也理事長)からバキュームカー3台と人員6名が能登半島地震の復旧支援に急きょ出発することが決まり、高屋奈尾子中丹広域振興局長、山崎善也市長らと激励式に出席し、挨拶させていただいた。

 宵ゑびすの会場に顔を出した。毎年、綾部太鼓の皆さんが太鼓演奏で盛り上げてくれている。綾部恵比寿神社奉賛会長として、21時頃まで会場にいて参拝者の方々に挨拶した。


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今年初めての「あやべMBTミーティング」

2024年01月08日 | MBT

 日㈪午後から事務所に行き、次号のげんたろう新聞の原稿書きや製作。12月議会の報告を中心に、1月下旬に発行できるよう準備している。

 代表を務めている「あやべMBTプロジェクト」で主催する異業種交流会「あやべMBTミーティング」1月19日㈮19時から21時、オスキーニ(綾部市青野町由良ビル2階)で開催します。会場がいつものDip jyoti綾部店とは違いますので、ご注意ください。

 今回はシンガポール人の旅する若き料理人、ジョーイくんの料理での交流会です。参加費は4000円で、定員20名です。

 

 

 綾部の異業種交流会として一昨年4月から3ヶ月に一度開催(以前は2ヶ月に一度)しており、綾部市民はもちろん、市外の方でもどなたでもご参加いただけますので、ぜひお申込みください。

 自らの仕事や趣味、活動の宣伝をしていただいても結構ですし、ただ食べて飲んで話してという方も大歓迎です。


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長い一日

2024年01月07日 | 消防

 日㈰朝7時40分から綾部小学校体育館にて、綾部市消防団綾部分団(保坂朋宏分団長)出初式に参列した。雨のため、体育館での開催となった。

 分団長挨拶、閲団、表彰などの後、来賓として挨拶させてもらった。

 今年は綾部分団の新入団員がゼロだったそうだ。活動のためには一定の人数も必要なので、自治会の皆様のご協力を得て、ぜひ新入団員を増やしていきたいと思った。

 

 9時からは日東精工アリーナにて、綾部市消防出初式に参列した。開会前本田太郎事務所の西地康弘秘書と一緒に記念撮影。女性消防団シルキーファイヤーの松下可奈さんが撮ってくださった。

 パレードの時は良い天候となった。今年は吉本興業の「京都府住みます芸人」のきゃろっとキャベツの漫才や白波瀬博之団長との掛け合いなども行われた。

 儀式放水由良川花庭園にて。

 種清喜之市議会議長、西地康弘秘書と昼食を食べ、13時からは中丹文化会館にて、「綾部市二十歳の集い」に出席した。

 二分の一成人の豊里小学校4年生と綾部高校ダンス部のパフォーマンスが披露された。豊里小学校の子達は大変しっかりしていた。

 夕方からは現長にて、綾部市消防団綾部分団第二部(田中良樹部長)の新年会OB団員として出席した。今年は現役団員も多く参加してくれて良かった。

 二次会以降もお付き合いして、最後はOB組だけで締めの会。帰りになると雪が結構強く降ってきていた。明日は積もるだろう。


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自民党京都府連の新春懇親会

2024年01月06日 | 政治活動

 日㈯朝7時12分発の特急京都へ。9時半からリーガロイヤル京都にて、自民党京都府連の幹事長、府議団長、市議団長との会議出席。

 10時半からは自民党府議団の新年最初の議員団会議に出席した。会議前には西脇隆俊知事、副知事が挨拶に来られた。

 11時半からは自民党京都府連の新春懇親会に出席した。綾部支部から、大槻俊昭副支部長、梅原哲史副支部長、種清喜之幹事長、酒井裕史会計、松本幸子幹事、本田文夫幹事、後藤光幹事にも出席してもらった。

 夕方自民党綾部支部の役員有志との新年会花山で。

 18時半からは熊野新宮神社の社務所にて、並松商工会(高橋辰夫会長)甘酒仕込み作業に参加した。9日、10日の初ゑびす大祭に向けての毎年恒例の行事であり、皆さん手慣れておられる。

 作業後は缶ビールやワンカップ酒で、しばしの懇談。

 今月9日、10日はぜひ熊野新宮神社境内にある恵比寿神社をお参りいただき、甘酒接待をお受けください!


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綾部商工会議所の新年互礼会

2024年01月04日 | 議員活動

 日㈭11時から綾部商工会議所(材木正己会頭)主催令和六年新年互礼会あやテラス開催され、例年の倍ほどの約300人が集まった。コロナが明け、久しぶりに飲食を伴う形で開催され、今年は鏡割りも行われた。

 ここ数年は飲食がなかったので、挨拶をさせてもらっていたが、今年は「定位置」である乾杯の発声役に戻った。少し挨拶もさせていただいてから乾杯した。

 挨拶ではしばらくお時間をいただいて「綾部の魅力」について話をした。

 時々、「綾部の魅力を一言で言うと何ですか?」と難しい質問をしてくる人がいる。仕方なく「美しい自然とか、豊かな人情」と全国どこでもありきたりな答えでお茶を濁しているが、その「綾部の魅力」に関連して、年末に面識がなかった東京の方から「綾部を舞台にした演劇を東京で上演します」というメールをいただいた。「なんで?綾部が舞台になったんですか?」と訊ねたら、こういうことだった。

 その劇団の主宰者が目指していた俳優の道を30年前に諦めた後、「歌手のマネージャー」の仕事に就き、全国をキャンペーンに回っていた27年前、綾部に営業に来られたそうだ。

 綾部での営業は芳しくなく、営業後に1軒だけ開いていたラーメン屋で二人、無言でラーメンを食べた。その思い出がなぜかその方の脳裏に色濃く焼き付いていて、それを題材にできた芝居が「ふたりのゆめ」という作品だとのこと。

 ネットで調べてみると、その劇団の主宰者がこんなことを書いておられた。

綾部の皆様の温かい笑顔と優しさが忘れられず、綾部という場所が私の心の中にずーっと残ったまま約27年ほどの月日が流れ、今回、新作を描くにあたり、意識したわけでもないのに、自然と綾部の街を想い出しながら描いていた。

だから「何故綾部?」と聞かれても、具体的な意味はなく、しいて言えば「心の中に綾部があったから」ってところ。

 なぜその方の印象に綾部が色濃く残ったのか、それは分からない。しかし、これから私は「綾部の魅力を一言で言うと?」と問われたら、「感じてください」と答えるようにしようと思う。

 我々が何も思わず見ている綾部の町は、実はすごい魅力を秘めているのではないかと思うようになった。

 「ふたりのゆめ」劇団ふぁんハウスによって、今年の1月26日、27日、東京都港区の麻布区民センターで上演されます。あらすじは下記の通り。

 私はたまたま27日の10時からの東京での会合に出席するため、26日に前泊して東京に行く予定をしていた。あまりに運命的に日程が合ったので「ふたりのゆめ」を観劇しようと思っている。

 劇団ふぁんハウスの皆さんは役作りのために11月23日に綾部を訪れ、その様子は「団長の独り言」YouTube「綾部視察旅行」で紹介されています。

 東京方面の綾部関係者の皆さん、ご都合がつけば、ぜひ一緒に観劇しましょう!

 互礼会の後は、輝くん、光くん、山下くんと二次会へ行った。


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サラダ記念日

2024年01月03日 | アート・文化

 日㈫北陸の地震は余震が収まらない。道路も寸断されており、救援の手もなかなか届かないようだ。

 昼前から事務所に行き、いただいた年賀状の整理や返信作業を行った。

 「年賀状終い」の連絡もちらほらあり、ハガキ代が大幅に上がる来年は、さらにこの傾向が強まりそうだ。年賀状という文化も細くなりつつあり。

 になってテレビで大きな火の手が上がっているのを見て、地震による火事かと思ったが、そうではなかった。羽田空港の滑走路で日本航空機と海上保安庁機が接触し、奇跡的に日本航空機は全員脱出できたようだが、海上保安庁の職員が5名殉職されたそうだ。

 海上保安庁職員は北陸の被災地へ救援に向かおうとしておられたということで、大変悲しい出来事が起こってしまった。

 正月早々、なんでこんなにも災害や事故が起きるのかと、まだ始まったばかりの今年を憂う。

 

 日㈬今日は夜から雨になるそうだ。この正月3ヶ日、人手不足で妻は毎日、仕事に行っている。小源太と涼子は昼夜逆転生活でよく寝ている。温二郎だけは規則正しく寝て起きて、勉強してゲームをしている。

 食卓の上俵万智さん「サラダ記念日」の文庫本が置いてあった。誰のか?と聞いたら、小源太が「前に買ったけど、読んでなかった」と答えた。夜行バスの中で読もうとでも思って持って帰ったのだろう。

 この本が出版されたのは1987年(昭和62年)5私は13才、時代はバブルの真っ只中だった。パラパラっと読んでみて、時代感の分かる歌をいくつか発見した。

 

また電話しろよと言って受話器置く君に今すぐ電話をしたい

電話から少し離れてお茶を飲む聞いてないよというように飲む

 

 今の子は受話器なんか持ったことがないだろう。電話が一家に一台で、それが唯一の連絡手段だった時代ならではの歌だ。二番目の歌は娘と恋人の電話に知らぬ素振りで聞き耳を立てる父親の姿が想像できて面白い。

 

捨てるかもしれぬ写真を何枚も真面目に撮っている九十九里

 

 今の子ども達はもうフィルムのカメラを知らないのだろうな。デジカメやスマホでは何枚でも撮れるし、すぐに確認もできる。便利な時代になった。

 

今日風呂が休みだったというようなことを話していたい毎日

 

 銭湯は綾部市にはもうなくなってしまった。私は大学時代、下宿に風呂がなかったので「サカエ湯」という銭湯に行っていた。最初320円くらいだった銭湯代はやがて400円近くに値上がりし、節約のために二日に一回にするようにした。

 

「30までブラブラするよ」と言う君の如何なる風景なのか私は

 

 当時は30才までに結婚したいという女性が多かったのだろう。平成に入ってしばらくするとバブルが崩壊し、その数年後から社会に出た若者たちは「就職氷河期世代」と呼ばれる。晩婚化が進んで今の少子化の遠因になったのは、この句の数年後からだったのだと思う。

 結婚のことを「永久就職」という呼び方もあったが、離婚率が高まり、そういう言葉は死語になった。

 

万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

 

 すごい人が教壇に立っていたものだが、その価値に気がついていた生徒は何人いたのだろうか?

 「何もない」と思い込んでいる自分の周りにも、気づいていない大きな可能性があるのではないかとこの歌を読んで思う。

 明日は綾部商工会議所の新年互礼会。新しい年が本格的に動き始める。


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令和6年元旦

2024年01月01日 | 家族

 令和日㈪、元旦。今年は大変な幕開けとなりました。

 午前中で元旦の行事を終え、自宅でゆっくりしていたら、夕方突然に石川県能登半島を中心とする大きな地震が起き、津波警報も発令されました。被害の全容がまだ見えてきませんが、一人でも多くの命が救われることを願っています。

 綾部市からも1日の20時45分、山崎善也市長の激励と指示を受けた4名の消防隊員が災害救助のために出発されました。隊員の皆様の任務の無事と活躍をお祈りいたします。


 一気に正月ムードではなくなりましたが、元旦の朝からの行事を振り返っておきます。

 朝5時、熊野会館にて実践倫理宏正会の元朝式参加。コロナ禍以来、来賓としてのお招きはなくなったが、今日は会員として久しぶりに参加させていただいた。

 これまでは会長の「年頭の辞」を綾部の会員が代読されていたが、今年はネット中継で上廣哲治会長の挨拶を聴かせていただいた。上廣会長のお話を直接聴くのは初めてだったが、今の自分の気持ちにスッと入ってくるお言葉だった。

 分からないことを考えても不安になるだけ。考えるのは程々にして実践のための行動を起こすべし。人間は考えるより先に行動を起こし、後からその行動を総括する。動く前から心配するな。

 前例に捉われずに、行動を起こしていくことこそが時代を切り拓く。というお話だった。

 

 続いて、6時過ぎから寺山に登った。登り口で山崎清吾副市長と一緒になったので、お話しながら約15分登山した。綾部市の主だった方々が集まってこられて、7時からボーイスカウト綾部第二団主催の元旦国旗掲揚式が行われた。

 式典の途中では雨に降られ、空は雲に覆われて、残念ながら初日の出は拝めなかった。

 下山し、麓の若宮神社(四方義規宮司)の歳旦祭に参列した。

 

 9時からは氏神である熊野新宮神社(出口孝樹宮司)の元旦祭に参列した。

 3人の子どもたちもお宮参りをさせてもらった氏神様であり、毎年、子ども達にも元旦祭に参列させるようにしている。これから先も末永く大切にしてほしい。

 祭典終了後、お神酒(梅ジュース)、みかんの接待の後、お供え物を片づけるのを子どもたちにも手伝ってもらった。

 今日は何人かから「弟の耕治さんを初めて見た」と声をかけられた。「源太郎さんもお父さんに似ていると思っていたけど、それと比ではないくらい耕治さんの方がそっくりですね」とおっしゃる方もあった。

 耕治は東京あやべ会の幹事の一人として、松本英昭会長が逝去された後の会の建て直しのため、綾部出身の若手の発掘に取り組んでいるようだ。年末にも若手の綾部出身者の会を新橋で開催し、小源太や甥の涼基も参加していた。

 僕が声をかけた他の参加者からも「面白かった」と高評価の声を聴いたので、継続して掘り起こしに努めてほしい。小源太もいろんな人と話ができて楽しかったと言っていた。

 小源太の声と耕治の声もよく似ていることに気がついた。夜は久しぶりに小源太の寝息を聞きながら寝た。幼い頃もこんな感じだったなと思いながら。

 今年は耕治も小源太も久しぶりにゆっくり綾部にいるようだ。


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