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クリスマス

2013-12-24 22:11:13 | 日記・エッセイ・コラム

大学3年から4年にかけて、カトリックの修道院の寮に下宿していたことがある。入居していたのは信者の子女たち、そこに例外に信者でもない私が入れてもらったのである。まして親元を離れたのも初めてだったので、見るもの、聞くもの、すべてが新鮮だった。朝、寮生たちが「おみどう」と呼んでいた礼拝堂から聞こえる讃美歌の美しい声で目を覚ました。信者たちはその朝の礼拝に参加していたようだが、私はとうとう一度も参加したことがなかった。

                                                                                                                           

その「おみどう」に入ったのが、クリスマス・イヴだった。隣の上智大学でフランス語を教えている先生に誘われて、おみどうへ初めて入った。その日は隣の音大ンの学生の洗礼式(そのうち式名を思い出すつもり)が行われていた。同じ階でイタリア語の翻訳をしている女性が代母になって、式が行われていた。図らずも彼女の式に立ち会ったこととなった。

                                                                                                                                 

おみどうは祭壇に向かって、数列、長い机が並んでいた。腰かけると、机の下にクッションを敷いた足台があった。ひざまずいて祈る時膝を乗せるためのもののようだった。上智の先生がひざまずいて、祈り始めた。私も真似をして、足台に膝をのせ、机の上に両手を組んで祈りの恰好をした。目を閉じ、1分かそこらだろうが、じっとしていた。そして目をあけ、隣を見ると、彼女は未だじっと祈っている。あわててまた目を閉じ、手を組んだ。そしてまたしばらくして、目を開けてみると、彼女は未だ祈っていた。その祈りの深さにびっくりした。もう一度手を組んで、とポーズをとると、院長が飛んできて「あなたはそんなことをしなくてもいい」と言って、椅子に座らせた。それでも彼女は変わらず祈り続けていた。祈りとは、一種の陶酔状態なのだろう、とその時思ったものだ。

午後11時から告解が始まり、ミサは真夜中、12時きっかりに始まったように思う。 神父さまがお供(なんていうのかわからないが、まだ若い人)をつれて式を始めた。その若い人はアテネフランセのフランス語で一緒だった。

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魚の目

2013-12-24 20:58:03 | 日記・エッセイ・コラム

半月ほど前から右足の小指と薬指の間に痛みを感じていた。どこかに傷があり、それがふれて痛いのだろうと触ってみたが、傷もないし、腫れてもいなかった。歩くと痛いが放っておいた。数日前、指をこじ開けてみると、皮膚が固くなっている。真中が盛りがっているみたいだ。そこにふれるので痛いらしい。なんだろう。まず、魚の目を疑ったが、靴が当たるところならいざ知らず、指と指との間でむしろ柔らかいところだ。

私は子どものころから靴をはかされて育ったので、不幸なことに典型的な靴足である。子どもの頃は訳あって靴屋さんに足に合った靴を作ってもらっていたが、大きくなってからはそんな余裕はなくなり、靴に足を合わせるようなはき方をしてきた。だから靴ずれになり、新しい靴は嫌いだった。とはいえ、魚の目が出来たことはないし、魚の目の痛さも知らなかった。いまは、もう長いこと、柔らかいウォーキングシューズしかはいていない。

                                             

皮膚科に行くと、魚の目だと言って鋏で目を切り取ってくれた。切り取るのは痛かった。「なんでこんなところにに魚の目が出来たんですか」と聞くと、「靴が当たっているんでしょう」と言う返事。靴が当たるとすれば当たるのは外側だろうと思うけど、とふに落ちない。靴はもう何十年も同じメーカーの同じ形の靴を履いている。長く生きてきたけど、こんなこと初めてだ、とむしろ驚いている。「ガーゼを当てておいた方がいいですよ、でないとまた魚の目が出来ます。放っておくと反対側にも出来ます」と先生。「これが魚の目」だと言って固くなった角質を手にのせてくれた。処置はそれだけ。

行く春や、鳥啼き魚は目に涙、なんてのんきなことを言っていた。                                                  

目が取れたら痛くなくなるだろうと思ったが、歩くとやはり当たるらしく痛い。家に帰って、よくよく魚の目の部分を眺めてみた。上の角質が取れたので、目の部分が赤くなっているが、未だ芯が残っている感じ。たぶん、この芯に隣の小指が当たるのだろう、そして芯が神経に触るのだろう。で、ガーゼを切って貼り付けた。

                                                       

魚の目だとわかったので、ネットで調べた。ネットには処置の仕方がたくさん載っていた。魚の目の由来は、固くなった角質部分が魚の目のように見えるからだそうだ。鶏眼ともいうそうだ。ふ~ん、魚や鶏の目に見えるかなぁ??芯を取り除かないと何度も角質が出来てくるとも書いてある。そこでスピール膏を買ってきてもらった。ついでに、5本指の靴下も買ってきてもらった。接触防止になるかもしれない。                                                        

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