定年後の田舎暮らし

 定年後、神奈川県から北海道のニセコへ移住し、田舎暮らしを始めました。

北海道胆振東部地震

2018-09-08 07:00:36 | ニセコ周辺

 9月6日未明の3時過ぎ、倶知安町が設置したけたたましい防災報知器の音にたたき起こされました。その3秒後、大きな揺れが生じて地震だ!と、飛び起きました。

 すぐにTVをつけると、苫小牧安平町で震度6強の地震があったことを伝えていました。我が家に被害はなさそうでした。しかし、その後すぐに停電になってしまいともかく眠って朝を迎えました。

 幸いに断水にはなっていません。水道管理をおこなっている東急で自家発電をしてくれたのでしょう。そのうちにあちこちからお見舞いの電話やメールが届きました。インターネットは切断され、テレビは見ることができないため、どこで何が起きたのか全く分かりませんでしたが、どうやら地震の影響で苫小牧の大きな火力発電所が打撃を受け、その影響で北電の火力発電全部が運転を停止したようでした。その結果、全道が停電になっているらしい。復旧の見込みは立っていないことが、電話の内容から分かってきました。 テレビでは朝から連続して被害の様子を大きく伝えているようでした。

        

 ともかく、水は出ているし、食料は冷蔵庫、冷凍庫に十分あるので心配はありませんでしたが、我が家はオール電化になっているので困りました。倉庫からカセットコンロを持ち出しました。ガスボンベは6,7本あるので調理は大丈夫です。ところがトイレは水タンクを使用しない電動式のため、使用後の水が流れません。風呂水を運んで流すことにしました。

     

     そのうちに復旧するだろうと思っていましたが、復旧工事が上手く進んでいないらしく、町からの防災報知器から、「電力の復旧の目途は立っていません。」と、何度も放送されます。このままではあす以降になるかもしれないと、改めて、懐中電灯をかきあつめて新しい電池に交換し、クリスマス用のローソクや大きめのローソクを揃えました。

       

            

               

      大きなローソクはなかなか無いのですが、私が押し花教室で昔、ローソクに押し花を溶かしこんで作った作品?が、長時間明るく灯してくれ助かりました。夕方、質素な食事を早めに済ませました。懐中電灯もキセノンランプは明るくて電池の消耗も少ない感じです。

         

     水は断水していませんでしたが、何日でも停電になると何時水が止まってしまうかもしれません。手持ちの蛇口つきの水タンクは使用しやすいので、これらのタンクに飲み水を貯めておき、風呂にも溢れるほど水を貯め込みました。

     妹や娘から「すごいことになっているよ。」と連絡してきますが、テレビが見れないので世間で何が起きているか全く分かりません。スマホのニュースを読んでいましたが、電池式のラジオを持っていないのは迂闊でした(ーー;)。

     近くの友人が車のTVで映像を見れますよと教えてくれ、車庫へ行ってみましたが、電動式のシャッターが動きません・・・車で出かけることもできないのです。しかし、手動で何とか開けられるはずだと、主人が前面を探して小さなボックスがあるのを見つけ、鍵があれば開けられると、家じゅうの鍵の中から何とか小さな鍵を見つけ出して、ひもを引っ張って力いっぱい手て押し開けると、開けられました。

     しかし、今度はシャッターを手動で閉めることができません。業者に聞いて、ヒモを入れ込むと電動状態になるので、引っ張ったままで動かさなければならないことが分かりました。

     多くの方からお見舞いの電話をいただいているうちにスマホの電池が心細くなってきました。車を使って充電できるらしいと聞き、スマホと車のシガレットライター口をUSBで接続して、無事充電できホットしました。電池を使った充電機も販売されていると聞きました。

     町へ下りてみると、交通信号がついてなく、一部でお巡りさんが立って交通整理をしていましたが、マックスバリューやコープでは停電のため、店の前だけに一部の食料品や日常品などを並べて販売をしていました。一人5個までと制限もあった様。電気店など、どこも長い行列ができていました。

     ガソリンは我がyでは幸いに満タン状態になっていたので助かりましたが、これも一人10Lまでとなっていたようです。

     夕方7時ごろ、防災報知器から「倶知安町の一部で電気が復旧されましたが、そのほかの地域は明日まで対応ができません。」と、報じられていました。

     長い夜を迎えて、寝るしかない・・・と布団に入り込み、2時半頃トイレに起き上がると、突然灯りがつきました!(#^.^#)。

     全道的には半分以下くらいしか復旧はできていないようで、断水した地域は悲惨です。早めに元の生活に戻ることができてラッキーでした。どうやら胆振の厚真町では震度7の北海道では初めての強い地震だったようで、今でも多くの方々が救助・避難をされているち報じられ、心が痛みます。「北海道胆振東部地震」と、命名されました。

     それにしても北電では今回のようなブラックアウトが生じることを想定していなかったのでしょうか?数年前まで原発を動かしてそれに頼っていましたので、残った火力発電にそのほとんどを頼らざるを得なっかったと聞いています。

     初めての経験でいろいろと学ぶことがありましたが、たくさんの友人達やブログ友、年賀状くらいしか連絡を取り合っていない方々からもお見舞いや心配をしていただき、つくづく、人のつながりはとても大切だと、有難く、痛感させられました。

コメント (6)
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