菅内閣の日本学術会員6名任命拒否は憲法第15条と全体の奉仕者であることを忘却したとんだ食わせ者の無責任の蔓延

2020-10-12 09:38:42 | 政治
 日本学術会議の会員任命は1938年当時の国会答弁では「学会の方から推薦をしていただいた者は拒否しない、形だけの推薦制である」としていた政府側の日本学術会議法解釈が今回菅義偉によって6名が任命拒否されたことに政府側が “任命をそのまま受け入れなくてもよい”とする法解釈を掲げたことは明らかに日本学術会議法の法解釈変更であって、この法解釈変更は前以って国会及び国民に説明する責任を負うと前のブログで書いた。

 だが、政府側は解釈変更ではないとする新たな根拠を掲げた。2020年10月7日の衆議院内閣委員会閉会中審査と翌日の2020年10月8日の参議院内閣委員会閉会中審査で政府側証人が答弁で披露した。もちろん、その根拠の正当性如何が問われることになる。

 政府側が掲げた根拠に正当性があるのかどうか、衆議院内閣委員会閉会中審査からは自民党の薗浦健太郎と立憲民主党の今井雅人、参議院内閣委員会閉会中審査からは立憲民主党の元TBS記者杉尾秀哉の関係する質疑応答を取り上げ、窺ってみる。

 薗浦健太郎は東京大学法学部卒、48歳、元読売新聞社記者、麻生太郎衆議院議員政策担当秘書、千葉5区当選4回、靖国神社への内閣総理大臣やその他の国務大臣の参拝は問題ない、選択的夫婦別姓制度の導入に反対、伝統と創造の会幹事長等の顔を持っている。

 薗浦健太郎「今話題になっている学術会議についていくつか質問します。学術会議の会員は特別職の国家公務員です。国民の税金で運営されています
。今は大変な時期で枠を超えた科学的知識の結集というのが求められている。

 学術会議は政府機関ですが、どういう役割が期待される組織なのか、また任命権の話が出ていますけども、今回の措置が日学法違反ではない、学問の自由を侵害したものではないということを国民に分かるように明確にご説明して頂きたいと思います」

 自民党議員らしく政府の任命拒否を全て肯定する立場から質問をしている。

 三ッ林裕巳(ひろみ・内閣府副大臣)「日本学術会議は我が国の科学者の内外に対する代表機関として科学の向上・発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映・浸透させることを目的として設置された国の行政機関であり、その会員の任命権者は日本学術会議法に於いて内閣総理大臣とされております。

 憲法第15条の規定により明らかにされているとおり、公務員の選定・罷免権が国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではなく、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提としております。

 任命権者たる内閣総理大臣がその責任をしっかりと果たしていくという一貫した考え方に立った上で会員を任命する仕組みは時代に応じて変遷しており、その中で日本学術会議に総合的・俯瞰的観点からの活動を進めて頂くため、任命権者である内閣総理大臣が日本学術会議法に基づいて今回の任命を行ったものであり、法律違反という指摘は当たらないものと考えております。

 また憲法23条に定められた学問の自由は広く全ての国民に保障されたものであり、特に大学に於ける学問・研究、その成果の発表、教授は自由に行われるものであることを保障したものであると認識しております。

 従いまして先程述べた任命の考え方は会員等で個人として有している学問の自由への侵害になるとは考えておりません」

 薗浦健太郎「(1983年(昭和58年)11月の参議院文教委員会の)政府側答弁から解釈変更があったのかどうか」

 三ッ林裕巳「昭和58年の日本学術会議法改正の際に形式的な発令行為という趣旨の政府答弁があったということは承知しております。日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、憲法第15条第1項の規定に明らかにされているとおり、公務員の選定・罷免権は国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者である内閣総理大臣が推薦どおりに任命しなければならないというわけではない。

 昭和58年の法改正により、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提にしており、解釈変更を行ったものではありません」

 6人の任命拒否は法解釈変更ではないとする新たな“法解釈”が国会で示されたことになる。実はこの新手の法解釈が示されている文書をこの衆議院の閉会中審査が開催された2020年10月7日の前日、2020年10月6日に内閣府と野党とのヒアリングで内閣府が野党に対して公表したと各マスコミが伝えている。その中で2020年10月8日付の『東京新聞」がその文書にハイパーリンクをつけて紹介している。『日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について』(内閣府日本学術会議事務局/2018年11月13日)

 広く知るべし・広く知って貰いたいという意味でハイパーリンク付きで紹介したのだと思う。記事は「内部文書」扱いしている。2年間も公表せずに身内だけの了解事項としていたのだから、内部文書なのは当然で、それ以上にハンコを打ってなくても、マル秘文書扱いしていたと批判されたとしても、文句は言えまい。

 この文書の核心部分は首相が学術会議の推薦通りに任命する義務はないとしている点だとマスコミが伝えている以上、野党側は2020年10月7日と10月8日の国会での学術会議6名任命拒否の追及に当たって、この文書の総理大臣の日本学術会議会員任命規定は法解釈変更に当たるか、あるいは正当性に何らかの欠陥があるとする理論武装を打ち立て、追及に臨まなければならなかった。

 この手の理論武装が何一つできなかったなら、法解釈変更だとする反旗を早々に降ろして、政府の言い分を全て認めるべきだろう。なぜなら、野党の法解釈変更の追及に対して政府側は「日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、憲法第15条第1項の規定に明らかにされているとおり、公務員の選定・罷免権は国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者である内閣総理大臣が推薦どおりに任命しなければならないというわけではない」ことと、「昭和58年の法改正により、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提にしており、解釈変更を行ったものではない」を今後とも法解釈変更否定の正当性論理として用い続けるのは火を見るよりも明らだからだ。実際にも10月7日だけではなく、10月8日も使い続けて、法解釈変更否定の論拠としている。

 10月7日の今井雅人にしても、10月8日の杉尾秀哉にしても、両者共に『日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について』の文書に触れているから、理論武装して論戦に臨まなければならなかったが、果たして臨んでいたのだろうか。先ずは今井雅人の追及から。

 今井雅人「この問題について色々と言われているのはこの問題の本質はただ一点だけだと思っている。それは人事の公正性です。安保法制のときに集団的自衛権に慎重だった内閣府法制局長官が更迭されました。中立であるべきNHKのトップにお友達人事というのがあった。

 最近記憶の新しいところでは黒川検事長。これは検事総長にしたいからと言われているけれども、それまでの解釈を捻じ曲げて定年延長するということも行われてきた。そして今回学問の世界にまで恣意的人事が行われているんではないだろうか。そういう疑義が出てきている。ですから、今日の私の質疑は果たしてそうしたことは行われたんだろうかということについて質疑をさせて頂きたいと思っています。

 少し私の方が整理させていただきますと、日本学術会議は昭和24年に設立されましたが、昭和58年に法律の改正が行われております。このときに推薦する会員を選挙制から推薦制に替えたのは皆さんご存知です。このときの議事録を今日読ませて頂きますが、2つあります。一つは『実質的に総理大臣の任命で会員の任命を左右するものではない』

 二番目はこちらの方が大事ですね。明確に書いてありますけども、210名の会員が会員・連携会員から推薦されておりまして、ここから入りますから、『そのとおり』、そのとおり、『内閣総理大臣が形式的な発令を行うというように私どもは解釈してございます』という答弁をされています。

 このとおりですね、憲法15条、65条、72条を根拠とした上で、こういう解釈をしている。そういうことなんですね。そして平成16年、今度ね、協力研究学術団体を基礎とした推薦制から日本学術会議が会員候補を推薦する方向に変更するという案に改正されました。このときの議事録を全部読ませて頂きましたが、この形式的な任命ということを変更するということに関しては何も議論されておりません。

 ですから、58年の見解をそのまま踏襲しているというふうに考えられます。問題はそのあとなんです。次のページに添付しておりますが、平成30年の11月13日、『日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について』というペーパーがここにございますけども、これが出てきてるんですけども、問題となっているのは2ページ目ですね。上のところです。3行目です。『内閣総理大臣に日学法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる』。そういう整理がされているんです。

 そこで質問させて頂きます。昭和58年の答弁はですね、『推薦されたものをそのとおり内閣総理大臣が形式的に発令するというふうに私共は解釈しています』

 このように答弁しております。しかし平成30年は『必ずしもそれは義務ではない』ということですね。これは両方とも憲法15条を照らした上でこういうふうになっていて、これは小学生が読んでも表現は違いますね。片方は『形式的に任命してくださいねというふうに私共は解釈しています』

 もう一つは『それは義務ではない』ということです。明らかに違うことを言っていることになる。この違いは私は解釈変更だと思うんですが、当時はこれは解釈変更だと思われませんか。憲法がどうのこうのってやめてくださいね。両方とも、憲法第15条に基づいた上でこういう答弁が、別々の表現があるので、その整合性はどうなのかということを聞いている」

 大塚幸寛(内閣府大臣官房長)「お答え申し上げます。あの、今回任命につきましては任命権者である内閣総理大臣がこの法律に基づきまして特別職国家公務員として会員としたのでございます。憲法第15条第1項を引用させて頂きますが、これはやはり公務員の選定・罷免軒が国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者である内閣総理大臣が、推薦どおりに任命しなければならないということはないということでございまして、これは会員が任命制になったときからこのような考え方を前提としておりまして、考え方を変えたということはございません」

 今井雅人「じゃあ、お伺いしますけども、58年のときの答弁、間違っているということですか、これ。だって、推薦された者をそのとおりに内閣総理大臣が形式的に発令を行うという解釈をしておりますよ。明確に答えられておりますが、そのときからそうじゃなかったという答弁をされておりますけども、そのことはその答弁は間違っていたということでございますか」

 大塚幸寛「58年の答弁は承知してございますが、今回の任命につきましては先程申し上げましたようにあくまでも任命権者である内閣総理大臣が推薦どおりに任命しなければならないわけではなく、これにつきましては任命制になったときからこのような考え方は一貫しており、その考え方のもとで採用したということでございます」

 ここで一言入れる。「任命権者である内閣総理大臣が推薦どおりに任命しなければならないわけではない」規定となっていて、「任命制になったときからこのような考え方は一貫している」なら、なぜ昭和58年のような全員任命の答弁になったのかという質問も成り立つが、「それは当時の答弁者に聞いてみなければ真意は分かりません」と巧妙狡猾な言い抜けで逃げるのは目に見えているが、巧妙狡猾な言い抜けであることを知らしめるために質問する価値はあると思う。

 今井雅人「時間がないので、何も答えていないですよ。何も答えていないですよ。だって、明確に言ってるじゃないですか。『そのとおり内閣総理大臣が形式的発令行う』って言ってるんですよ。先程参考人は違うことを仰ったんですよ。そういう答弁をしているから、副大臣、どうですか。今伺って、おかしいと思いませんか?おかしいと思いません?どうですか」

 三ッ林裕巳(内閣府副大臣)「昭和58年の国会答弁、私も承知はしております。決して今回の任命につきましては任命権者である内閣総理大臣が日本学術会議法に基づいて特別職の国家公務員として会員を任命したということでことであります。憲法第15条第1項に明らかにされているとおり公務員の選定・罷免軒は国民固有の権利であるという点からすれば、任命権者である内閣総理大臣が推薦とおりに任命しなければならないわけではありません。

 日本学術会議が任命制になったときからこのような考え方を前提としており、考え方を替えたということではありません」

 今井雅人「私の日本語の能力が足らないんでしょうか。このとおり形式的な発令を行うということは必ずしも義務ではないことと一緒なのか。とても理解できないですよ。ちょっともう一回整理して、きちっと整理してください。言っていることがメチャメチャですよ。いいです、(答弁を)求めておりません。

 その上でですね、突然、平成30年の11月13日にこういう(手に持ったペーパーのこと――『日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について』のこと)論点整理みたいなことが行われているんですね。こういうことが行われるということは必ず端緒があるはずですよ。きっかけ。

 なぜこのときにこういう議論をしなけれがいけなかったのか。それを説明してください」

 福井仁保(内閣府日本学術会議事務局長)「私の方から説明させて頂きます。平成29年に今の期前の第24期の半数改選がございます。このあと1年程経って、今回の25期の半数改選に於きまして、非任命者よりも多い候補者を推薦すること、これについて推薦と任命の関係の法的整理を行ったものと承知をしております」

 今井雅人「事実関係だけちょっと申し上げますね。決めつけるわけではありませんが、平成30年の11月13日、この直近5年間で色んな重要な法案が可決されています。平成25年特定秘密保護法、平成27年安保法、平成29年(「テロ等準備罪」を構成要件とした)共謀罪法(正確に聞き取れなかった)。このとき多くの学者が反対しました。この翌年にこのペーパー。時系列で行くと、そういうところなんですよね。

 だから、みなさんが、これ関係あるんじゃないのっていうふうに思ってしまっている。事実は分かりません。しかし時系列から行くと、そういうことになるんです。で、お伺いしたいのですが、この検討は官邸の方から検討して頂きたいと、こういう指示がありましたか」

 福井仁保(内閣府日本学術会議事務局長)「官邸の指示に基づいて始めたものではないというふうに承知をしております」

 今井雅人「官邸関係から一切指示はなかったですか」

 福井仁保「そのように承知をしております」

 今井雅人「分かりました。私は先程申し上げたとおり、この文章をどう読んでも解釈の変更としか読めません。であれば、やはりこれは変更したときに国会なりに報告をすべきだと。つまりこの答弁、58年の答弁と違う整理をしてるんですね。それは解釈変更だと言われても仕方ありません。それをなぜ公表しなかったか教えて下さい。公表と根拠です」

 福井仁保「当時事務局としても当たるべき当面の(?)現状ということで始めさせて頂いたので、特に公表するようなものとして理解しておりませんでした」

 今井雅人「先程の私の議論を聞いて頂いたと思いますが、58年のときはそのまま推薦者を形式的に任命するというふうに解釈をしています。しかし今回の整理は必ずしも全てを推薦する義務はないというふうにですね、明らかに違うことを言っているんですね。58年のときは『解釈』という言葉まで使っています。そういう解釈をしています。で、ご丁寧にその後ですね、『内閣法制局に於きまして法律案の審査のときに於きまして十分にこの点を詰めたところでございます』

 ご丁寧に『内閣法制局で見解まで詰めました』ていう、ここまで言ってるんですよ。ここまで言っておいて、これと違う内容を言ったのに解釈の変更じゃないと、報告の義務はないと。おかしいと思いませんか」

 大塚幸寛(内閣府大臣官房長)「解釈の変更ということに関しましては改めてお答え申し上げますが、58年の答弁についても形式的な発令行為と発言されている。これは事実でございます。

 ただ、必ず推薦のとおりに任命しなければならないという言葉では言及されておりません。その前提と致しまして憲法第15条第1項の公務員の選定・罷免軒は国民固有の権利であるという考え方が当時からございまして、任命権者である内閣総理大臣が推薦とおりに任命しなければならないわけではない。その解釈は一貫しているものでございます」

今井雅人「話になりません」

 以下、今井雅人の追及は続くが、堂々巡りの罠にはまってしまって、そのことに気づかずに堂々巡りを続けているから、この辺で切り上げることにする。

 次は立憲民主党杉尾秀哉。

 杉尾秀哉(政府側作成の「答弁問答」のペーパーを手に持ち)「1983年5月2日(検索してみたが、出てこない)参議院文教委員会、そして1983年5月12日の同じく参議院の委員会。中曽根総理、丹羽大臣、政府側証人、繰り返し繰り返しですね、『学術会議は政府の指揮監督を受けない』、『総理の任命で会員の任命は左右されない』

 中曽根総理に至っては『政府が行うのは形式的任命に過ぎない』。この答弁問答どおりに答弁されている。11月には丹羽大臣が『学会の方から推薦を頂く者は否定しない』とはっきりと仰ってます。これがなぜ、資料(閣府日本学術会議事務局作成文書のこと)、お配りしましたけども、資料3でございます。それがなぜ2018年、『推薦どおりに推薦する義務はない』。こういう文書になったんです」

 大塚幸寛(内閣府大臣官房長)「お答え申し上げます。1983年、昭和58年の日本学術会議法改正の際に先程私も読み上げました形式的発令であるという趣旨の政府答弁であることは承知をしております。一方で憲法第15条第1項の規定に明らかにされているとおり、公務員の選定・罷免権は国民固有の権利であるという考え方からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦どおりに任命しなければならないというわけではない。

 これは1983年、昭和58年の法改正によりこの学術会議が任命制になったときからこのような考え方を前提でしているものでございます」

 杉尾秀哉「今答弁したように憲法15条、67条、72条、こういう議論というのは1983年当時にやった記録というのはあるんですか」

 木村陽一(内閣法制局第一部長)「この58年の法改正のときに法制局として何か、例えば答弁しているという記録は恐らくないと思います。ご指摘の答弁問答ですございますけども、当時総理府が撮影したものでありまして、その記載がなされるに当たりましてどのような議論がなされたのかにつきまして詳らかではございません。

 昭和58年の対象になっております日本学術会議法の一部改正の立案の以前から、政府と致しましてはこれも学問の自由や大学の自治に関係する文部大臣による国立学大学学長等の人事に関してで憲法第15条第1項の規定に明らかにされている公務員の選定・罷免権は国民にあるという国民主権の原理との調整の必要性については累次答弁をしてきております。

 このような国民主権の原理を踏まえますと、内閣が国民及び国会に対して責任を負えない場合にまで申し出のとおりに必ずしも任命しなければならない義務があるわけではないと一貫して考えてきております。

 従いまして昭和58年の日本学術会議法の一部改正に於きましてもこれと同様の考え方に基づいて立案が成されているというふうに考えているところでございます」

 杉尾秀哉「1983年当時、そういう議論をしたことを示す文書はまったくない。学者の間でも今のような説明は明らかに詭弁だと。2016年、2017年に事実上解任して、このあと義務はないと言う文書を創ってるんですよ。後付の理屈以外に考えられない」

 杉尾秀哉も堂々巡りの罠にはまり込んでいる。これ以上質疑を文字起こししても意味はないから、切り上げることにした。

 今井雅人も杉尾秀哉も1983年(昭和58年)11月当時の参議院文教委員会での日本学術会議会員任命に関する政府側答弁と今回の6人任命拒否の実態乖離に拘り過ぎて、つまり解釈変更ではないか、解釈変更ではないかの一点張りで、政府側が任命拒否の正当性論拠としている、あるいは法解釈変更否定の論拠としている2018年11月13日付の内閣府日本学術会議事務局作成文書(『日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について』)内容の正当性に注意を向けていない。

 注意を向けない結果、実際に質疑応答を見てきたとおりにこの文書を論拠とした政府側の任命拒否の正当性、あるいは法解釈変更否定正当性は延々と繰り返されて、追及は野党側が望む答えを何一つ見い出すことができない堂々巡りに陥ることになる。

 今井雅人は「平成30年の11月13日、『日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について』というペーパーがここにございます」と言い、杉尾秀哉は「このあと義務はないと言う文書を創ってるんですよ。後付の理屈以外に考えられない」云々の表現で内閣府日本学術会議事務局作成の文書に触れているから、目を通していないはずはない。目を通していなければ、質問もできない。だが、この文書が結論の一つとしている「内閣総理大臣に、日学法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる」と1983年(昭和58年)11月当時の政府側答弁の違いに拘ることになった。
 
 先ず2018年11月13日内閣府日本学術会議事務局作成の「日本学術会議法第17条による推薦と内閣総理大臣による会員の任命との関係について」は法解釈変更そのものの文書となっている。

 この文書の4ページに次のような記載がある。

 〈3 日学法第7条第2項に基づく内閣総理大臣の任命権の在り方について

 内閣総理大臣による会員の任命は、 推薦された者についてなされねばならず、推薦されていない者を任命することはできない。その上で、 日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうかについて検討する。〉との文言で検討開始を伝えている。

 総理大臣が学術会議の推薦通りに任命する義務はないとする法解釈について内閣府副大臣の三ッ林裕巳は「昭和58年の法改正により、日本学術会議会員が任命制になったときから、このような考え方を前提にしており、解釈変更を行ったものではありません」と言い、内閣府大臣官房長の大塚幸寛も「これは会員が任命制になったときからこのような考え方を前提としておりまして、考え方を変えたということはございません」と両者共に法解釈変更を否定して、学術会議の推薦通りに任命する義務はないとする規定は、いわば1983年当時からの終始一貫したものであることを正当性論拠としているが、総理大臣が学術会議の推薦通りに任命する義務はないとする法解釈が1983年当時からの終始一貫したものあるなら、〈日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうかについて検討する。〉(内閣府日本学術会議事務局文書)必要性は生じない。

 もし別の結論を得る検討なら、検討内容は〈日学法第17条による推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうか〉でなく、総意的な可能性として望んでいる別の検討内容が記されていなければならない。あくまでも〈推薦のとおりに内閣総理大臣が会員を任命すべき義務があるかどうか〉を総意的な可能性として望んだ検討である。

 そして検討の結果、望んだ通りの結論が同じ4ページに次の通り記載されている。決して前々からある結論ではない。前々からある結論を踏襲しているなら、そうであることを伝える文言が記されなければならない。

 〈(1)まず、
 ①日本学術会議が内閣総理大臣の所轄の下の国の行政機関であることから、憲法第65条及び第72条の規定の趣旨に照らし、内閣総理大臣は、会員の任命権者として、日本学術会議に人事を通じて一定の監督権を行使することができるものであると考えられること

 ②憲法第15条第1項の規定に明らかにされているところの公務員の終局的任命権が国民にあるという国民主権の原理からすれば、任命権者たる内閣総理大臣が、会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないことからすれば、 内閣総理大臣に、日学法第17条による推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる。〉・・・・・・

 まさに法解釈変更を行った瞬間である。三ッ林裕巳と大塚幸寛が内閣総理大臣のこのような任命規定を前提として1983年の日学法改正が行われたとする答弁は真っ赤なウソそのものとなる。

 問題は法解釈変更ということだけではない。法解釈変更の主たる論拠を憲法第15条第1項の規定に置いているが、第1項の規定に基づいて任命拒否を可能とするにはそれ相応の責任が生じる点について触れていない点が問題となる。先ず憲法第15条そのものを見てみる。

 日本国憲法「第3章国民の権利及び義務第15条」
 
 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
 2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
 3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

 国民主権の原理から言って、国民にあるとする公務員の終局的任命権は総理大臣の学術会議会員の任命権よりも優先することになる。いわばあくまでも国民固有の権利に基づいて総理大臣が国民の任命権を代行することになる。代行である以上、誰に対してどのような任命権を発令したのかの説明責任を国民に対して自動的に負うことになる。日本学術会員の任命権は直接的には総理大臣が握っているからと言って、好き勝手に、あるいは自らの思想信条の好みで選定・罷免していいわけではない。

 公務員の選定・罷免に関して内閣総理大臣が国民に説明責任を負うことは上に挙げた内閣府文書にも、〈任命権者たる内閣総理大臣が、会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないことからすれば、〉と明確に触れている当然の役割であろう。説明責任がなければ、〈会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるもの〉かどうかは国会も国民も判断不可能となる。

 公務員の選定・罷免が総理大臣個人の恣意性に流されるといった障害を避けるためにも、公務員の選定・罷免を固有の権利としている国民に対して直接的任命権者である内閣総理大臣による選定・罷免の説明責任は必須の条件となる。選定・罷免の説明責任を疎かにして国民固有の権利に基づいて公務員の選定・罷免を行いましたではその選定・罷免が正しく行われたのかどうかは国民は知り得ない立場に置かれることになり、憲法第15条第1項の規定を総理大臣自らが蔑ろにすることになる。

 憲法第15条第1項の蔑ろ・軽視は憲法第15条第2項の規定、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」の「すべての公務員」の中に総理大臣も入るのだから、「全体」の中から国民を抜いた「一部の奉仕者」に成り下がる。

 だが、6名任命拒否を首相の菅義偉は「法に基づいて適切に対応した結果だ」とし、官房長官の詭弁家加藤勝信も「任命権者である総理大臣が法律に基づいて任命を行った」と述べるのみで、6人をどのような理由で任命から外したのか、一切の説明責任は果たしていないし、果たそうとする姿勢すら見せていない。まさに「全体の奉仕者である」ことを忘れている。
 菅義偉と加藤勝信のこのような態度は菅内閣全体で憲法第15条違反を侵していることになる。

 菅義偉はこのような日本国憲法違反だけではなく、日本学術会議法違反も侵していることが分かった。「菅首相、推薦リスト「見てない」 会員任命で信条考慮せず―学術会議会長と面会も」(時事ドットコム/2020年10月09日19時49分)

 ここで別「時事ドットコム」記事の「任命拒否が判明した推薦候補」の画像を参考のために引用しておく。
 記事は2020年10月9日の午後4時半頃から30分程度行われた内閣記者会加盟報道各社のグループインタビューでの菅義偉の発言を伝えている。

 菅義偉(日本学術会議側が作成した105人の推薦リストは)「見ていない。広い視野に立ってバランスの取れた行動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきことを念頭に判断した。

 (会員任命を最終的に決裁したのは9月28日で)会員候補リストを拝見したのはその直前だったと記憶している。その時点では最終的に会員となった方(99人)がそのままリストになっていた」
 憲法第15条第1項の規定「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」を根拠に日本学術会議会員の任命権者である内閣総理大臣が「国民固有の権利」を代行して会員任命を行う規定に基づいて、〈会員の任命について国民及び国会に対して責任を負えるものでなければならないことから〉、会員の選別も止むを得ないと内閣府文書で法解釈変更を行っていながら、憲法第15条第1項の規定と内閣府文書の法解釈変更をも反故にして、6人の任命拒否は私が行ったのではないとしている。

 しかも、説明責任をないままにして「広い視野に立ってバランスの取れた行動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在であるべきことを念頭に判断した」と平気で言える無責任はとんだ食わせ者である。説明責任があって初めて総理大臣の任命が「広い視野に立ってバランスの取れた行動を行い、国の予算を投じる機関として国民に理解される存在である」かどうか、個々の会員についても、団体そのものについても、判断可能となる。

 記事は、任命拒否は〈学者個人の思想・信条が影響したかについても「ありません」と否定した。〉と伝えているが、任命拒否理由の具体的な説明責任がないままである以上、否定どおりに受け取りなさいとすることはできない。

 菅内閣な日本学術会員6名任命拒否を巡ってかくまでも無責任を曝した。菅義偉は「雪深い秋田の農家の長男に生まれた」との庶民性をウリにしているが、とんだ食わせ者である。

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