現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

足利義満の天皇簒奪問題

2012-05-16 16:15:45 | 虚無僧日記
足利3代将軍「義満」は 自分の子「義嗣(よしつぐ)」を
天皇にしようとしていた。これを「簒奪(さんだつ)」事件
といいます。

後小松天皇の父「後円融天皇」と「足利義満」は母
同士が姉妹で、従兄弟であり、しかも同い年でしたので、
義満は、「後円融天皇」にライバル心を持っていました。

また、後小松天皇は義満と後円融の后との不倫の子とも
噂されるほど、義満は後小松天皇に対し 父親のように
振舞うのです。そして、後小松天皇にわが子「義嗣」を
次の天皇にするよう強要します。

事実「義嗣の立太子」の儀まで行っています。義満の子
「義嗣」が皇太子となったのです。ところが、このわずか
2週間後、「義満」は謎の死を遂げます。

毒殺されたとされますが、その首謀者は? じゃじゃじゃ~ん

なんと「義嗣」の母違いの兄「義持」という説が最近
浮上してきました。この時すでに、義満は将軍職を「義持」に
譲っていましたが、「義持」は名ばかりの将軍で、実権は
父の「義満」が握っておりました。「義持」にしてみれば、
母違いの弟が天皇になれば、弟の下に立たされることに
なります。それは腹にすえかねるという思いがあったで
しょう。

「将軍義持」は 父「義満」を暗殺し、「義満」がとり決めた
政策を悉く反故にします。「義満」の建てた相国寺も金閣寺
のみを残して、破却してしまいます。もちろん「義嗣」の
立太子の件も無かったことにしてしまいます。後には弟
「義嗣」を殺しています。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください