現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「高度世界一」をめざす競争激化

2012-05-30 23:25:27 | 虚無僧日記
「スカイツリー」は、2014年竣工予定の中国の
「上海タワー」630m に対抗して、当初計画より
4m上乗せして 634m (ムサシ) にしたそうです。

674(むなし)でなくて良かったです。はい

これで「搭」としては 世界一ですが、複合ビルでは
すでに ドバイに 828m の「ブルジュ・ハリーファ」
があります。2010年に建ったばかりですが、直後に
リーマンショックによる株暴落で、ドバイは 今
ヤバイ状況にあるようです。

それにも懲りず、サウジアラビアで 2016年の完成を
目指して 1,000m級 の「キングダム・タワー」の
建設が計画中です。

クウェートでも 「千一夜物語」にちなんで 1,001m
のビルが計画されているとか。

さらにさらに、大成建設は 4,000m の「ハイパー
ビル」建設の構想を打ち上げました。

もう、「天国までの階段」を造るという“怪談話”
まであります。“神様お許しください”。いつか
“バブルの搭”は“バベルの塔”の二の舞になる
ことを畏れます。

ところで、名古屋のテレビ搭は 180m。建った
のは戦後まもない昭和29年(1954)。東京タワーに
先駆けて名古屋人の戦後復興への意気込みを示した
ものでした。階段でも上れる“人に優しい”搭
が一番好きです。はい~

モスクワのタワーとスカイツリー

2012-05-30 23:25:15 | 虚無僧日記
ニューヨークのツインタワー(貿易センター)ビルは
2001.9.11の崩壊以前に行きました。一辺が63m、
高さ400mのビルが2棟。そのスケールの大きさには
圧倒されました。屋上から下を見下ろすと、はるか
眼下に、観光用セスナ機がビルの周りを飛んでいる
ではありませんか。同時多発テロの時は、あの時見た
セスナ機がぶつかったのかと思いました。

数年前、モスクワの「オスタンキノ・タワー」に行き
ました。こちらは 1967年 ソ連邦時代に建てられた
もので、540m。真冬の雪が降りしきる日でしたから、
上の方は雪雲に隠れて見えず、異様に巨大に感じ
ました。そして、入るのに警備が厳重で、空港の
出入口のように「パスポート」の提示を求められ、
厳しくチェックされました。日本は“平和”で
“無防備”ですね。

当時、日本では「東京タワー」が 333m で 最も
高く、諸外国に比べ、日本は すべからくスケールが
小さい島国だと思ったものです。

それが、「スカイツリー」ができて 634m 。自立式
搭では今のところ世界一。でも、なぜか 私には
そう大きくは見えないのですが・・・・。

名古屋駅前のミッドランドスクエアは 247m、
JRセントラルタワーズは 245m で、東京六本木の
ミッドタウンタワー(248m)と比べると、 差は
ないのですが、こちらも、なぜか小さく見えます。

周囲の景観との対比ででしょうか。

スカイツリー効果の明暗

2012-05-30 05:06:48 | 虚無僧日記
ツリー効果想定外…地元商店街「客減った」(読売新聞) - goo ニュース

墨田区押上(おしあげ)にできたスカイツリー効果。
寂(さび)れた町だった所に、年間2~3千万人が
押し寄せるというのですから、地元商店街の収益も
“押し上げぇ”と、期待は大きかったのですが、
いざオープンしてみれば、地元には“金”が落ちない、
墨田区より 隣りの台東区浅草の方に流れていくと
いう不安が的中したようです。

昨年2月にスカイツリーを見に行きました。
その時はまだ建設中で 囲いが してあり、
ツリーから離れなければ見れないということも
あって、300m 四方を歩いてまわりました。
周辺の町は、数十年 取り残されたような
古く汚れた町並です。

今年、オープンから4日後の26日行ってきました。
最初の土曜日とあって 20万人以上の人出とか。
すごい人でしたが、たしかに 200店舗もあるという
スカイツリーに集中していて、周辺の地元商店街に
まで足を運ぶ人は “減った”と 嘆く通りでした。

それより、私もそうでしたが、浅草の方へ足が
伸びます。浅草の景観から見るスカイツリーが
人気を呼んでいるのです。浅草も仲見世だけでなく、
花やしきの方まで、以前ならあまり人が行かな
かったところまで、すごい人で溢れていました。

浅草は、スカイツリーを見るための景観作りに
努力してきたといいます。

人は、“カビのはえたホンモノの古いモノ”より
古典風、江戸風にアレンジされた バーチャルな
リアリティの方を好むのでしょう。数十年も昔の
ままの味や色、形の土産物より、目新しい商品や
食べ物に引き寄せられるのです。

それは尺八でも同じです。昔の虚無僧が吹いたままの
ホンモノの古典尺八では、現代人の理解はなかなか
得られません。現代人が求める“古典のイメージ”に
応えてこそ、伝統は継承されるのです。その意味で、
私は「現代の虚無僧」として生きており、生かされて
いると思っています。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください

「大平光代」は「やんくみ」のモデル?

2012-05-30 03:59:29 | 虚無僧日記
『ごくせん』は、森本梢子の漫画で、2009年 映画化。

「ごくせん」とは「極道先生」の意味。任侠集団
「大江戸一家」の孫娘で、なんと熱血高校教師の
山口久美子、通称「ヤンクミ」を 仲間由紀恵が
好演?してました。およそイメージが合わないの
ですが、それがまた良かったのでしょうか。

「やんくみ」とは「山口久美子」の略ですが、
ヤクザの「山口組」を 暗示してもいるようです。

「山口組」と言えば、三代目組長の「田岡一雄」の
娘で「喜太郎」と結婚した「田岡 由伎」がおります。

「やんくみ」は「田岡由伎」がモデルかと思って
いましたら、どうも違うようです。では「大平光代」
でしょうか。こちらの経歴はまた すごすぎます。

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兵庫県西宮市生まれ。中学生のときいじめを受け、
自殺未遂をする。その後非行に走り、16歳のときに
暴力団組長と結婚し、背中に入墨を入れている。
その後離婚。北新地のクラブでホステスをしていた
22歳のとき、父の友人である大平浩三郎に会い、
浩三郎の勧めで立ち直る決意をし、猛勉強をして、
宅建、司法書士に合格。29歳で司法試験に合格。
弁護士として非行少年の更生に努める。
2003年12月、關淳一大阪市長(当時)の要請を
受け、女性初の大阪市助役に就任。2009年4月、
龍谷大学客員教授に就任。

著書『だから、あなたも生きぬいて』は 260万部を
超えるミリオンセラーとなる。
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「身の不幸を 社会のせい、環境のせいと、他人の
せいにしてきたが、そこから立ち直ろうとしないのは
“自分のせい”」と云います。なんてすばらしい、
強靭な精神力と感服します。

だが、そのお顔は ごく普通のお母さんの顔です。

「大平光代」さんでもやり遂げられなかった大阪市の
“極道者”の一掃を、今 ヤンキーな橋下市長が懸命に
取り組んでいるのです。