現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「福ちゃん」が「一休さん」に

2012-05-22 20:50:18 | 虚無僧日記
「鈴木福」ちゃんが、フジテレビ系で6月放送予定の
ドラマ「一休さん」に出演されるそうでござります。

「虚無僧の元祖一休さん」をテーマに講演を行っている
それがし、「一休さん」と云うても「知らん」ちゅう人が
多くなり、わが輩の人気も下り気味でござった。ここで
ファイト・イッパツ「福ちゃん」で「一休」さんの知名度を
挙げてもらいたいと切に望むものです。

「一休さん」といえば、テレビ朝日系で1975~82年まで
放送されたアニメ『とんちんかんちん一休さん』が大ヒットし、
海外にまで広まったのでござるが、最近ではもう、それを
知らない世代が増えもうした。

フジTVでは、これまでも 85年に「富田靖子」、86年に
「浅香唯」、2004年には「えなりかずき」で ドラマ化し
ているのですが、単発的に線香花火で終わってしもうた。

ぜひぜひ「鈴木福」ちゃんのご利益に預かりたいでござる。
「福ちゃん」といえば、母君が「箏の師匠」でござったのォ。
頼みます!


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください

「玄侑宗久」師のちょっといい話

2012-05-22 11:24:43 | 虚無僧日記
2001年『中陰の花』で芥川賞を受賞した「玄侑宗久」師。
慶応卒で 福島県三春町の臨済宗妙心寺派福聚寺の住職
という肩書きが、私には 親近感を抱かせます。

その「玄侑宗久」師が 5/19の中日新聞に書いています。

「左手の指がしびれ、整体や鍼、整形外科にも診て
もらったが治らず、治療で かえって左腕が全く動かなく
なってしまった。そんな時、知人の紹介で 伊達町の
鍼灸師を訪ね、診てもらった。全盲の人で、背中全体を
触診し終えると、悪いところをズバリと指摘され、
鍼を打ってくれた。その2日後、「辻井伸行」さんの
ピアノ・コンサートに行った。辻井さんも全盲。

「辻井伸行」さんは「被災地のために何ができるか、
いろいろ考えましたが、結局 僕には これしか
できないんだと気付いたのです」と、岩手、宮城、
福島から秋田まで廻り「被災地応援コンサート」を
行った。それは謙虚でありながら、自信に満ちた
言葉に聞こえた。

鍼灸師とピアニスト、二人共全盲。目が見えないと
いう不自由ゆえに、指先の触覚を深めていき、
道を究め得たのであろう。その翌日、指の痛みは
ウソのように消えた」と。

不自由ゆえに、常人のなし得ないことができるように
なったと云うのです。五体満足で「常人」の域を
脱け出れない私。耳が痛いでござります。



「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください

武満徹 『エクリプス(蝕)』

2012-05-22 03:32:58 | 虚無僧日記
日本各地が「日蝕」で沸いた昨日でした。「日蝕」の
観測によって「太陽の直径」が正確に測定できるのだ
とか。“蝕される”ことで判るものがあるということで、
私は、武満 徹(たけみつ とおる)の『エクリプス』を
思い浮かべます。

「武満 徹」は 日本を代表する音楽家で“世界の武満”
ですが、1996年に亡くなった時、欧米の新聞が一面
トップで報じたのに、日本では「訃報欄」に小さく
取り上げられただけだったことが、また世界の話題と
なりました。(「エコノミック・アニマルの日本人は
音楽に関心が無い」と)

武満 徹の代表作『ノベンバー・ステップス』は、
1966年(昭和41)、小澤征爾の指揮で ニューヨーク・
フィルで初演され、横山勝也の尺八と 鶴田錦史の
琵琶が絶賛を浴び、尺八を世界に広めるきっかけと
なったのです。

『エクリプス』は『ノベンバー・ステップス』の元に
なった曲で、『ノベンバー・・・』と同じく 昭和41年
(1966)、尺八(横山勝也)と琵琶(鶴田錦史)による
二重奏曲として作られ初演されました。

昭和41年のこの年、私は大学に入り、尺八に夢中に
なっていた時期でしたから、現代音楽のジャンルで
尺八が使われたことに感動し、初演を 聞いた時の
興奮は、今でも冷め遣らぬのです。


『エクリプス』とは「日蝕、月蝕」など「蝕される
(欠ける)」という意味のようで、「欠ける、失う、
蝕(むしば)まれることで見えてくるものがある」と
いう、深い意味合いがあります。

ある方のブログにこのような一文がありました。
曲も聞けます。

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琵琶は弾かれ、歴史を奏でる。霊を呼び、魂を鎮める。
また、竹藪を嵐が吹きすさぶようなムラ息、強烈極まりない
<気><息>の激しいノイズ音で 魂の奥底まで響きこむ
ような尺八の陰韻たる余情。それらの人の世の深奥に
まで衝きいる、なんと厳しい「凄絶哀絶」吹き抜ける響き
だろう。かく武満徹は<自然>との交感に音を聴いた
人であった。それゆえ音楽を自然に返した人でもあった

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