現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「Pochiの雑記帳」にアップされました

2012-05-29 11:12:08 | 虚無僧日記
ヤフーブログ「Pochiの雑記帖」に、5/19「桶狭間の日」の
中島砦跡、近清商店さんでのイベントの模様がアップされました。
「Pochi」さんの写真は、どれもスバラシイ! “ハッ”とする
感動を覚えます。「桶狭間」の日、親しくお話しをさせて
いただきましたが、もの静かな優しい方です。でも、この方の
写真には、実に鋭い、被写体を貫く目を感じます。

名古屋駅前で虚無僧をしていた時も、偶然通りかかられ、
撮っていただいた写真など、尺八の音が聞こえるようです。

でもでも・・・今回の「桶狭間」は、もう被写体が崩れて
作品にはなりませんでしたね。すみません。

こちらも見てください。

2011.5.19(昨年)の「桶狭間イベント

2011.1.14「夜の名古屋駅 虚無僧

虚無僧①

虚無僧②

タトゥ(入墨)と尺八

2012-05-29 11:05:05 | 虚無僧日記
You-tubeで「Tatto」を見ると、結構アップされていました。
その中のお勧め、「Japanese Tatto」は、バックに尺八が
流れます。これがまた、結構ハマッてます。

そういえば 以前、ネツトオークシュンに 「牡丹の彫物」を
施した尺八が出ました。誰も入札しませんでした。名前を
彫った尺八は、私が3千円で落札しました。尺八でも
彫り物があると 値が下がるようです。

私の尺八「2尺1寸管」には、「鶴」の蒔絵シールが
貼ってあります。金沢の土産店で売られていたものです。
500円ほどで、結構 本物の蒔絵のように見えます。

江戸時代初期の「三節切り尺八」(複製品)には「葵の紋」の
蒔絵シールを貼ってみました。「水戸黄門様の尺八
じゃあー!」と言っても、誰も騙されませんですがね。

ファッション感覚なら、「タトゥ」もシールで十分です。
シールで 悪を“断とう”なんちゃって。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください

入墨は日本の文化!?

2012-05-29 05:09:02 | 虚無僧日記
ニューヨークやモスクワに行った時、町のあちこちに
「Tattoo」の看板を見かけました。アメリカでは若者の
3人に1人が入墨をしているとか。

入墨はアメリカ、ロシア発のファッションかと思いきや、
さにあらず、その発信源は なんと日本だそうです。

そもそも 縄文時代から弥生時代まで「倭人」は入墨を
していたのであり、つい50年前までアイヌと沖縄の
一部は入墨をしていました。


江戸時代は、博徒に限らず、火消し・鳶・飛脚、海運業
など肌を露出する職業では「入墨」がないと恥ずかしい
くらい、全身に彫ることが流行し、日本の入墨は 世界の
注目の的となっていたのです。たしかに 日本の「入墨」は
芸術的と思えるほど見事な絵模様です。

一応 幕府は法的には禁止するのですが、効果はなく、
遊女や僧侶、旗本までが入れていたといいます。
「桜吹雪」の「遠山の金さん」は 創り話のようですが、
そんな話が公然と語られるほど、日本人は入墨に寛容
でした。

明治政府も「入墨」を厳禁し、「彫物師」たちは職を
失ったはずですが、英国のジョージ5世やアルバート皇子、
皇太子時代のニコライⅡ世、ギリシャのゲルギオス皇子
が来日した際、日本土産として「入墨」を彫らせた
そうです。

「入墨」は「日本の文化」とはいっても、一方で 罪人の
刑罰の一つでもあったのですから、アウトロウの世界で
あることは否めません。

今朝も、若者が 首に「入墨」をしているのを見ました。
橋下市長が「入墨をしたけりゃ民間に行け」と云って
ますが、民間企業でも まともな会社への就職は まず
無理でしょう。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください

入墨はかつて大阪市助役も!?

2012-05-29 04:08:48 | 虚無僧日記
先日 東武線の車内で見かけた 子供連れの若い夫婦。
座席に座って 通路に突き出した男性の足に 入墨が
見えました。これが今時の若者のファッションなのかと、
大阪市の職員のことを あらためて考えました。

橋下大阪市長が、全職員を対象に「入墨の有無」を調査
したところ、入墨をしていた職員が110人もいた」と
いうニュース。

その後、「入墨をどうしてもしたい職員は、民間企業に
移ってもらったらいい」という橋下市長の発言に対して、
「法律違反ではない」「人権蹂躙」とか 反論が起きて
いるようです。社民党の福島瑞穂党首も「入れ墨調査は
巨大なるパワハラ、プライバシーの侵害」と批判したとか。

そういえば、「小泉純一郎」の祖父で「小泉又次郎(横須賀
市長、逓信大臣、衆議院副議長)も「入墨大臣」として
知られるヤクザの親分だったとか。

2003-2005年、関市長時代に 大阪市の助役を務めた
「大平光代」も 背中に「観音様と蛇」の図柄が大きく
彫られていたとか。

「大平光代」が「助役」に抜擢されたときは、マスコミも
諸手を挙げて歓迎したようで、それを真似して入墨を
入れた職員が 処罰されることに 同情もあるとのこと。
「大平美津」さんにも 意見を 聞いてみたいですね。


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