お笑い芸人は、売れるか売れないかがすべて。だから、徳永が師匠と崇め心酔している神谷は、才能が無かったんだと思う。こう書くとミもフタもないが、それ以外の尺度って、お笑いに必要なんだろうか?
ゴッホは生前、1枚しか絵が売れなかったそうだが、死後、評価された。でも、お笑い芸人はDVDやビデオが残っているからと言って、再評価されるだろうか? その場でウケるかウケないかが全てではないの? だから、お笑いは尊い。
だって、その時代の空気とか習慣とか雰囲気とか、その場の勢いとか、それらの条件にピタッとハマった旬の物だけが、爆発的な笑いを生むわけでしょ?(古典落語のような例外もあるけど)
私は、お笑い番組を積極的に見ている訳じゃない。子どもが見ているのを、チラチラ横目で見るくらいだが、それでもお笑いコンビの真剣さは伝わってくる。お笑いって二世タレントが最も進出しにくい、そして生き残りにくい分野だと思う。親が売れたって、子どもが売れる保証はまったくない。むしろその逆。
神谷は相変わらずサッパリだが、徳永たちコンビは徐々に売れ出し、TVやラジオにも出演。徳永は、安いぼろアパートから家賃11万円のマンションに引っ越す。しかしブームは去り、仕事が少しづつ減っていく中で、徳永の相方の同棲相手が妊娠し、相方は定職に就くため、芸人を辞める決断をする。それは、徳永にとっても、芸人を辞めることを意味した。
この『火花』の最後の方で、自分たちの漫才に否定的な人たちに対して、徳永が、こう独白する部分がある。
(舞台に上がってみて)世界の景色が一変することを体感して欲しいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。(中略)一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。(中略)臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが、漫才師になれるのだ」
めずらしく感動して、少し涙ぐんでしまいました。
ゴッホは生前、1枚しか絵が売れなかったそうだが、死後、評価された。でも、お笑い芸人はDVDやビデオが残っているからと言って、再評価されるだろうか? その場でウケるかウケないかが全てではないの? だから、お笑いは尊い。
だって、その時代の空気とか習慣とか雰囲気とか、その場の勢いとか、それらの条件にピタッとハマった旬の物だけが、爆発的な笑いを生むわけでしょ?(古典落語のような例外もあるけど)
私は、お笑い番組を積極的に見ている訳じゃない。子どもが見ているのを、チラチラ横目で見るくらいだが、それでもお笑いコンビの真剣さは伝わってくる。お笑いって二世タレントが最も進出しにくい、そして生き残りにくい分野だと思う。親が売れたって、子どもが売れる保証はまったくない。むしろその逆。
神谷は相変わらずサッパリだが、徳永たちコンビは徐々に売れ出し、TVやラジオにも出演。徳永は、安いぼろアパートから家賃11万円のマンションに引っ越す。しかしブームは去り、仕事が少しづつ減っていく中で、徳永の相方の同棲相手が妊娠し、相方は定職に就くため、芸人を辞める決断をする。それは、徳永にとっても、芸人を辞めることを意味した。
この『火花』の最後の方で、自分たちの漫才に否定的な人たちに対して、徳永が、こう独白する部分がある。
(舞台に上がってみて)世界の景色が一変することを体感して欲しいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。(中略)一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。(中略)臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが、漫才師になれるのだ」
めずらしく感動して、少し涙ぐんでしまいました。
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