日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

これからのヴィジョンを作るのは、誰?

2012-08-24 19:37:15 | アラカルト
お盆で実家に帰省中、父の実家へお盆の挨拶にも出かけた。
父の実家=本家へのお盆の挨拶は、恒例行事の様なモノなので、行ったからといって何がある訳ではない。
ご先祖様への挨拶、親戚への挨拶など型どおりのコトをして、帰ってきた。
その途中、昨年とは違う風景をみた。

父の実家=本家がある島根県出雲市(以前は簸川郡)は、減反政策で水田が随分減った地区。
昨年は、その減反をした水田にひまわりを植えていた。

↑の写真は、昨年のもの。
写真ではわかり難いと思うのだが、一面の「ひまわり畑」だったのだ。
ところが今年、そのひまわり畑があったと思われる場所に行っても、ひまわりが植えられていない。
代わりに植えられていたのが、はと麦などの穀物。
どうやら休耕田となった場所に、ひまわり→はと麦→他の穀物というサイクルで農作物を栽培している様だ。
もちろん、作るだけではない。
それらの作物で、地域の名産品づくりを目指している。

実は、実家に帰省中ローカルニュースで「きょうの出来事」の様なミニトピックスがあった。
その中で「八郎潟の干拓」が、取り上げられていたのだった。
お若い方などは、「八郎潟の干拓」を良く知らないかも知れない。
戦後の人口の増加に伴い国の政策として、全国第2位の面積の八郎潟を埋め立て、大規模水田にし、お米の増産を図ったのが「八郎潟の干拓」だった。
しかし、皮肉なコトに1反当たりの収穫量が増えると同時に、お米の消費量が減り1970年代に入ると、今度は減反政策が始まる。
今にして考えれば、大規模事業だった割りには政策が定まらず、農家の方たちにとっては「時代に翻弄された」という感があっただろう。
ローカルニュースの番組でもその様な言葉で、終わっていた。

何も農業政策だけに限ったコトでは無いと思うのだが、戦後~昭和の終わり頃までは、政府や官僚が主導的立場で、いろいろなコトを策定し、それなりのお金を投入してきた。
社会全体の雰囲気として「お上(=政府や高級官僚)のやることには、間違いが無い」というトコロがあったような気がする。
その間にいろいろな問題が発生しても、「お上のやることだから」と言うコトバで何となく納得させられてきた感がある。

しかし、モノごとの変化のスピードが速くなってくると、「お上」が出すヴィジョンでは対応できなくなってきてしまった。
むしろ、現地のコトを一番よく知っている人が中心になって、いろいろなコトを推し進めていかないと、地域全体が疲弊してしまうという状況が出てきてしまった。
電力などの様に生活に関わるインフラは別だが、農業政策などのヴィジョンは、全国同じではなく、それぞれの地域にあったヴィジョンを独自に掲げ、国の政策に結びつけていかなくては無理だろう。
地方分権という訳では無いが、国全体を見る前にそれぞれの地域の事情にあったヴィジョンを「お上=霞ヶ関」も受け入れていく必要が有る時代になりつつある、と言うコトだと思う。
そういう国と地方の関係こそ、「変化速度が速い、成熟した社会」のあり方のひとつという気がする。