先週初め、日本を湧かしたのは京都大学の山中教授のノーベル賞医学・生理学部門での受賞だった。
それから程なく、一部のメディアが「iPS細胞を使った移植手術が成功」という報道があった。
この報道で、益々「iPS細胞」に対しての注目度が高まったのだが、「移植手術」は虚偽だった、と言うコトが判ってきた。
一番問題すべきは、この虚偽の「移植手術をした」と言った人物だが、メディアには責任が無いのだろうか?
と言うのも、この人物の研究分野が余りにもバラバラだったからだ。
記事にする時には、ある程度の人物紹介のような内容もされるコトが一般的だと思うのだが、その「人物紹介」の記事を書くとき、略歴だけでは無く研究内容も調べるのでは?
「凍結保存」の研究をしている人が、「iPS細胞」の研究をしているとは、素人目から見ても無いと思う。
それほど、簡単に研究分野を乗り換えるコトができる、研究はどのような分野でもありえないと思う。
その様な基本的な情報の収集と確認を怠ったのは、報道した新聞社などの問題だと思うが、報道しなかった新聞社の記事を読んでみても、「何だかな~」という気がするのだ。
一言で言うと「してやったり」という雰囲気が漂うからだ。
以前、スポーツライターをされている方のお話を聞いたことがある。
その方は、長い間スポーツ紙の記者をされていた方で、(新聞社から)記者に求められるコトのひとつに「スクープ」が有る、でも、「スクープ」が誤報となるコトもあるので、確認をするという作業は、手間でも最低限必要なこと、と言うお話だった。
そして、渦中の人物が海外から帰国してきたことで、虚偽の内容を報道してしまった新聞社も含めて、一斉に渦中の人物を悪者扱いにしている。
確か責められるべきコトではあるが、報道した側の責任は訂正文のようなものだけで終わりで良いのだろうか?
「スクープ合戦」の結果、必要最低限の確認作業を怠った為に、起きてしまった事件という責任のようなモノは無いのだろうか?
日本の自然科学の報道は、海外のサイエンス誌などの論文を元にした内容が多い、と言う指摘がある。
「論文」そのものには問題がなくても、その内容がマウスレベルの実験であったとしても「直ぐに実現可能」という印象を与えてしまう記事も少なく無い。
その様な報道のあり方も、本当は問題なのでは?
今回は、渦中の人物自らが持ち込んだ内容だったからこそ、報道する側の確認作業が重要だったと思う。
そのコトを棚に上げて、渦中の人物を責めるメディアの姿には、とても違和感を感じるのだ。
、
それから程なく、一部のメディアが「iPS細胞を使った移植手術が成功」という報道があった。
この報道で、益々「iPS細胞」に対しての注目度が高まったのだが、「移植手術」は虚偽だった、と言うコトが判ってきた。
一番問題すべきは、この虚偽の「移植手術をした」と言った人物だが、メディアには責任が無いのだろうか?
と言うのも、この人物の研究分野が余りにもバラバラだったからだ。
記事にする時には、ある程度の人物紹介のような内容もされるコトが一般的だと思うのだが、その「人物紹介」の記事を書くとき、略歴だけでは無く研究内容も調べるのでは?
「凍結保存」の研究をしている人が、「iPS細胞」の研究をしているとは、素人目から見ても無いと思う。
それほど、簡単に研究分野を乗り換えるコトができる、研究はどのような分野でもありえないと思う。
その様な基本的な情報の収集と確認を怠ったのは、報道した新聞社などの問題だと思うが、報道しなかった新聞社の記事を読んでみても、「何だかな~」という気がするのだ。
一言で言うと「してやったり」という雰囲気が漂うからだ。
以前、スポーツライターをされている方のお話を聞いたことがある。
その方は、長い間スポーツ紙の記者をされていた方で、(新聞社から)記者に求められるコトのひとつに「スクープ」が有る、でも、「スクープ」が誤報となるコトもあるので、確認をするという作業は、手間でも最低限必要なこと、と言うお話だった。
そして、渦中の人物が海外から帰国してきたことで、虚偽の内容を報道してしまった新聞社も含めて、一斉に渦中の人物を悪者扱いにしている。
確か責められるべきコトではあるが、報道した側の責任は訂正文のようなものだけで終わりで良いのだろうか?
「スクープ合戦」の結果、必要最低限の確認作業を怠った為に、起きてしまった事件という責任のようなモノは無いのだろうか?
日本の自然科学の報道は、海外のサイエンス誌などの論文を元にした内容が多い、と言う指摘がある。
「論文」そのものには問題がなくても、その内容がマウスレベルの実験であったとしても「直ぐに実現可能」という印象を与えてしまう記事も少なく無い。
その様な報道のあり方も、本当は問題なのでは?
今回は、渦中の人物自らが持ち込んだ内容だったからこそ、報道する側の確認作業が重要だったと思う。
そのコトを棚に上げて、渦中の人物を責めるメディアの姿には、とても違和感を感じるのだ。
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