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時代を切り開いた、デビットボウイ

2016-01-12 18:53:52 | ライフスタイル

昨日、英のロックシンガーで俳優でもあった、デビット・ボウイの訃報が報じられた。
デビット・ボウイとの初めての出会い(というと、大袈裟だが)は、1970年代の初め。小学校高学年の時だった。
おそらく「スターマン」か「スペースオデッセイ」が、ヒットしその時のライブ映像がテレビで放映された時だったと思う。
その時、デビット・ボウイが着ていた衣装が、山本寛斎さんのデザインのジャンプスーツ?のようなものだったのだが、小学生の私にとっては、目が点。不思議な宇宙人のような人だな~という印象が強く残った。
もちろん、その時来ていた衣装が、山本寛斎さんデザインのものだということを知ったのは、随分後になってのことだった。
この時、デビット・ボウイが着ていた衣装が話題となり、山本寛斎さんは一躍トップデザイナーに躍り出たのだった。

そして、訃報のニュースとともに「グラムロック」という言葉が、再び注目されるようになった気がする。
デビット・ボウイが「グラムロック」の先駆者のように言われているようになったのは、やはり男性が化粧をしステージに立った。ということだけではなく、その衣装にも独特のものがあったからだ。そして「グラムロック」そのものは、その後、ザ・フーの「トミー」などに代表される「ロック・オペラ」や、大がかりで演劇性のあるステージ、アルバムへと影響を与えていったように思う。

そのようなことばかり注目されるのだが、実はクラシック音楽へも造詣が深く、お子さんが小さい時にはプロコフィエフの「ピーターと狼」のナレーションを担当したアルバムをリリースしている。
その後、セサミストリートのパペットでおなじみのジム・ヘンソンが監督をした映画「魔王の迷宮/ラビリンス」では、魔王として出演している。
ジム・ヘンソンのファンというだけではなく、映画冒頭にチラッと映るモーリス・センダックの絵本「かいじゅうたちのいるところ」のファンであった、という話も聞いたコトがある。
決して、スタイリッシュなロックシンガーだけではなく、今風の言葉でいうなら「イクメン」という、一面も持っていた。

そして昨日、遺作となったプロモーションビデオを拝見して、改めて感じたことは最後まで「クリエーターであった」ということだった。
洋楽全体が、似たり寄ったりの楽曲が多くなっている感がある中、挑戦的な楽曲というだけでなく、映像そのものも挑戦的な印象を受けたからだ。
このプロモーションビデオそのものには、賛否が分かれるかもしれない。
むしろ、賛否が分かれることも想定していたのでは?とすら、感じさせる。

ヒット曲「レッツダンス」や「チャイナガール(このプロモーションビデオも、物議をよんだビデオであった)」、あるいは映画「戦場のメリークリスマス」で見るデビット・ボウイだけではない、多面性を持った挑戦的な人であったような気がする。