最近、「孤独」と言う言葉を、目にすることが多くなった。
「孤独は、肥満や喫煙よりも健康リスクを増大させている」という調査もあるようだ。
そのような「孤独リスク」軽減の為に、イギリスでは今年1月に「孤独担当大臣」と呼ばれる新ポストを新設した。
そしてこの「孤独リスク」は、今はオジサンだけの問題ではないらしい。
東洋経済:オジサン化するオバサンを待ち受ける「孤独」
私のように、一人暮らしの長い人間からすると、「孤独って、そんなに悪いこと?」という気がするのだ。
私自身は「一人暮らし」をそれなりに楽しんでいるし、辛いとも思ったことはない。
ただ「一人暮らし」あるいは「一人でいること」が、苦痛な人がたくさんいることは、わかっているつもりだ。
だからこそ「一人でいる=孤独」と、言ってしまうことに違和感を感じるのだ。
問題なのは「孤独」ではなく「孤立」なのではないだろうか?
東洋経済の記事にあるように、会社に縛られ、会社以外に居場所がいない、というある種の「隔絶された社会」の中で生きてきたことで、他のコミュニティーから「孤立」してしまった、ということのように思えるのだ。
随分前だが、タレントだった山口美江さんが、ご自宅でおひとりで亡くなられた。
毎日通っている、お手伝いさんが亡くなった山口さんを発見した、ということだったと記憶している。
お手伝いさんが山口さんの亡骸を発見した時、飼い犬が側にずっとついていた、という話もあったように思う。
同じ頃、高級老人ホームで死後1、2日ほど経過した女性の遺体が発見された、という報道もあった。
亡くなられた女性は、日ごろから同じ老人ホームの入居者との方との付き合いを、遮断するような暮らしぶりだったという。
山口さんが亡くなられたとき、盛んに「孤独死」と言う言葉が使われていたが、高級老人ホームで亡くなられた女性とどちらが「孤独死」だったのだろう?と、考えた時私は山口さんは決して「孤独死ではない」と考えている。
何故なら、山口さんの側には愛犬がいたのだ。
むしろ、周囲との付き合いを遮断するように暮らしていた、女性のほうが「孤独死」だったのではないだろうか?
何故なら、老人ホームというコミュニティーから「孤立」をしていたからだ。
もう一つ気になる点が、「孤独」に対する健康リスクという点だ。
日本では「一人で亡くなる」ことを「孤独死」と呼んでいるが、亡くなる方のうち相当数が「孤独死」なのではないだろうか?
いわゆる「一人世帯」が年々増え、その中でも特に「独居老人」の世帯は、増えている。
かつては「夫婦二人世帯」だったが、今は人生の伴侶を亡くし「独居」となっている世帯だ。
高齢者の「一人世帯」が増えていることを考えれば、当然「自宅で一人亡くなる」方も増えている、と考えるほうが自然なのではないだろうか?
そのことが、悪いことなのだろうか?
多くの日本人は「長生きをしても今の健康状態を維持し、大勢の人に看取られ最期の時を迎えられる」と思っているかもしれないが、そのようなケースはむしろ稀だと思う。
大切なことは、「最期の時まで、その人らしさを失うことが無い」ということなのでは?
だからこそ、「人生の長さ」ではなく「人生の充実感」を大切にする必要があると思うのだ。
「人生100歳時代」と言われるようになってきたからこそ、「孤独」と「孤立」の違いを認識し、「人生の充実感」を得られるような、程よい距離感を置いた親しい仲間をたくさんつくることのほうが、大切だという気がするのだ。