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亡き人と生きる

2020-01-17 19:14:20 | 徒然

「阪神淡路大震災」が起きてから、25年という時間が流れた。
25年という時間は、被災された方とニュース映像で見ていた人とでは、その時間経過は同じではないだろう。

随分前、故永六輔さんが「大往生」というエッセイを出した。
その中で「突然大切な人を失った人が、その死を受け入れるようになるのには、10年くらいの月日が必要だ」という内容を書かれていたように思う。
この「突然亡くなった人」というのは、坂本九さんのことだ。
ご存じの飛行機墜落事故によって、亡くなられたのだ。
永六輔さんは大ヒット曲「上を向いて歩こう」など坂本さんのヒット曲の作詞をしていたこともあり、家族ぐるみでのお付き合いがあったいう。
そして、ご遺族の方が坂本さんの話ができるようになるまでに、10年という時間が必要だった、ということから、「親しい人の死を受け入れられるようになるまでには、10年くらいの時間が必要だ」と、エッセイの中で書かれていたのだ。

3年ほど前に、批評家で随筆家の若松英輔さんの「悲しみの秘義」を読んだ。
若松さんの本を読むたびに「悲しみ」という言葉には、涙する悲しみだけではない、ということ知る。
特に、柳宗悦の「『愛し』と書いて『かなし』と読んだ。また『美しい』と書いても『かなし』と読んだ」という一文を紹介されている。

今では「悲しい」は「かなしい」であり、「愛し」は「いとし」であり「美し」は「うつくし」という意味しか持たないように理解しているが、柳宗悦は、かつて日本人の感性の中に「悲しい」という感情の中には「愛おしさ」があり、その「愛おしい」と感じ悲しむ姿は「美し」と感じ取っていたのではないか?
だから「愛し」も「美し」も「かなし」と表現したのでは?という。

なぜこの一文を思い出したのか?というと、「東日本大震災」直後、被災され大切な人を失った人たちが「亡くなった人と出会った」ということがあったという調査があったからだ。
NHK:NHKスペシャル シリーズ東日本大震災亡き人との”再会”

決してオカルト的な意味での「再会」ではない。
悲しみの中にある「愛おしさ」が、亡くなった人の存在を近しいものとし、亡くなった人と共に時間を過ごすことでしか、その悲しみが癒されることが無いのでは?という、気がしたからだ。
そして「悲しみが癒される」ということは、亡くなった人のことを忘れることではなく、こころのどこかで一緒に生きていくことなのでは?という気がしている。

25年という時間ではなく、愛おしい人と過ごした時間は途切れることなく続く、時の積み重ねなのかもしれない。
それは永遠に続く「想い」ということなのだろう。