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「コロナ禍」だからこそ、三笠宮彬子女王殿下の言葉の重さを感じて欲しい

2021-06-02 20:38:59 | 徒然

和楽」という、日本文化について特化した雑誌がある。
その「和楽」のWebサイトに、三笠宮彬子女王殿下がエッセイを、寄稿されている。
彬子女王殿下の、日本文化に対する造詣の深さだけではなく、宮家に生まれ育つということはこういうことなのか?ということを感じさせてくれる内容で、すっかりファンになっている。

彬子女王殿下と言えば、学習院大学を卒業後オックスフォード大学のマートンカレッジで、日本美術史を学ばれた方でもある。
そのような背景を持たれる彬子女王殿下だからこそ、今の日本の「コロナ禍」における文化支援に対して、一言したかったのだろう。
和楽Web:彬子女王殿下が今、届けたい思い。演劇や音楽の力、舞台に込められたイノリノカタチ

「彬子女王殿下が書かれている」という重みもあるのだが、やはりその造詣の深さには感服するばかりだ。
何より、日本の文化の柱の一つとなっている「歌舞」が生まれ、発展してきた背景には「祈り」の表現としての「歌舞」がある、という指摘はとても重く深いと感じる。

というのも、随分前だが宗教史学者の中沢新一さんのお話しを、聞く機会があった。
話全体のテーマは、宮沢賢治の生涯と作品だったと思うのだが、その中にやや唐突な感じで「シャーマニズム」について、話された事を覚えている。
確かに日本では、「田植え歌」や「土踊り」と呼ばれる、豊作を願う歌舞と共に農作業をし、八百万の神々にささげてきた、という歴史がある。
そしてその「シャーマニズム」の話よりも前、日本でもヒットした映画「フットルース」にも「宗教と歌舞」について語られる部分があったことを、思い出したのだ。

映画「フットルース」そのものは、青春映画として括られているはずだが、映画の最後のほうに聖書「コヘレトの言葉」が引用されているのだ。
「コヘレトの言葉」として引用されているのは、「詩編149編3節」の「踊りをささげて御名を賛美し、太鼓や竪琴を奏でて、ほめ歌をうたえ」という部分だ。
映画では、気難しく若者たちの音楽や踊りを禁止する司祭に対して、高校生たちがこの言葉を引用し説得に成功する、という印象的な場面で使われていたのだ。

洋の東西を問わず、人は大昔から「歌をうたい、その歌に合わせて踊る」ことを、神々に奉げてきた、という歴史があるのだ。
確かに「コロナ禍」の状況では、人が集まり「歌をうたい。踊る」ということ自体が難しい、ということは十分理解している。
だからこそ、様々な音楽イベントや舞台、映画などが延期され、中止となったのだ。
今年に入り、「新型コロナ対策を万全に行う」という条件付きで、再開され始めてはいるが、「コロナ禍前」のような状況には程遠い。

そして彬子女王殿下が指摘されているように、「多くの文化が発展してきた背景には、祈り」があった、ということなのだ。
その文化に対して、日本が行ってきた政策はどのようなモノだったのだろう?
「自粛」という言葉によって、人の行動が制限されたことは仕方ないが、文化という視点で何か支援がされたのだろうか?
文化の中に含まれる「祈り」という視点を持つことで、もっと違った支援策ができたのでは?という、彬子女王殿下の言葉はとても重く感じるし、そのような視点が持てる政策もまた必要だったのではないだろうか?という気がしているのだ。