日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

論理的思考力を身に着けるために、必要なこととは

2021-06-10 19:46:16 | ビジネス

デイリー新潮に、なかなか興味深い記事があった。
ネット記事としては、長文なのだが一読し、納得できる点が数多くあった。
その記事とは「日本の没落」というテーマの書籍が、23年前に書かれており、その一部を紹介した内容だ。
デイリー新潮:コロナ禍で鮮明になった「日本の没落」…経済学者が23年前に著作で鳴らした警告

この「なぜ日本は没落するのか」という本の著者・森嶋通夫大阪大学名誉教授(経済学)さんを存じ上げてはいないのだが、岩波のHPにある「本の内容」を読み、「なるほど!」と感じる部分が多かった。
その一つが、ドラッカーも再三指摘していた「人口構成の変化と社会変化」という点だ。
これは、マーケティングの分野で仕事をされている方なら、よく理解されている点だと思う。

ドラッカーが指摘したのは「今10歳の子どもは、10年後20歳になる。10年後に20歳になる人口は今の10歳の人口より減ることはあっても増えることが無い」という視点から、どのようなコトが考えらえるのか?市場規模は、今後10年間でどのように変わるのか?ということを、人口統計を含む公的統計によって、ある程度の予測はできる、という指摘であった。

このような内容を書くと、「当然だろう!」と思われると思うのだが、何故かこの「当然だろう!」という視点がないまま、市場規模を考えようと、顕著に表れたのがここ10年くらいの日本なのでは?という、気がしている。
その中には、海外からの観光客によるいわゆる「爆買い」による「インバウンド効果」等もあったが、「爆買い」による「インバウンド効果」は、ある意味「あだ花」のような存在であり、日本経済の基礎となるモノではなかったはずなのだ。
にもかかわらず、「インバウンド効果」という「あだ花」に引っ張られるようにして、多くの企業が「あだ花」を期待するようになり、「あだ花」を少しでも獲得するための事業戦略を作ってきた、という気がしている。
それは森嶋氏が指摘している「バブル期における、不動産信仰」と通じるモノがある。
そしてそのような、余剰の経済効果となる材料がなくなったのが、「コロナ禍の日本の経済」ということになると思う。

もう一つ感じた事は、この記事の冒頭にある「微分積分や因数分解」についての部分だ。
私自身、中学高校と、大の苦手としてきた「数学」だ。
そして、麻生大蔵大臣の「社会人になって微分積分や因数分解は使わない」という、言葉は確かに一理ある、とは思っている。
確かに「微分積分や因数分解」を解くことは、社会人になってから、ほとんど無かったからだ。
ただ「微分積分や因数分解」を解くことは無くても、「微分積分、因数分解」によって求められる「解」の意味は、知る必要があった、と実感することが多々あった。
言い換えれば「その数字の意味するところは何か?」という、「データを読み解く力」の基礎として、「微分積分」等の知識が必要なのだ。
それは「論理的思考力」へと繋がっている力でもある、ということでもある。

「論理的思考力」という点で、「コロナ禍の日本」を見た時、昨日の党首討論ではないが、日本を動かす政治家が、自分の感動物語を語り、その場をしのぐなどという、恥ずかしい事はない。
「日本人は、情緒性に富み・共感性も高い」と言われているが、「論理的な話」をしなくてはいけない場面で、その場しのぎの為と言いながら、自分の感動話をしてしまう、というのは元々「論理的思考力が欠けている」と言われても、仕方ないのでは?という気がしている。
それは、政治家だけではなく「微分積分や因数分解」を沢山解いてきたはずの、官僚たちにもいえる事のような気がしている。

「微分積分を解く力」ではなく、微分積分を解く力を身に着けられたはずの「事の意味を知る力の欠如=モノ・コトの本質を知る力の欠如」が、日本の凋落(と言いたい)の要因だとすれば、おのずと何が必要なのか?ということも見えてくるはずだ。
そしてそれらの力は「ビジネスの基礎知識」である、「マーケティングの基礎力」だともいえるのではないだろうか?