日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「ことば」の力が、失われていく

2021-06-20 20:27:58 | マーケティング

かつて「広告批評」という雑誌があった。
ご存じの方も数多くいらっしゃると思うのだが、「広告批評」そのものを作っていらした編集長の島森路子さんが亡くなり、「広告」という切り口で社会を観、語り、時には批判をされていた、天野祐吉さんが亡くなられた事で、「広告批評」を出版していた「マドラ出版」そのものも、活動を停止してしまった。
今でも、「島森さんや天野さんがご存命なら、この広告をどう見たのだろう?」と、思うことが多々ある。

その天野さんのエッセイを先日読んでいたら、「最近はことばに元気がない」という一文があった。
「ことばに元気がない」というのは、使う人達が「イキイキしたことばを使っていない」、ということでもある。
「ことば」は自分を伝えるだけではなく、相手を思う道具でもある。
そのような「相手を思うことば」が、SNSなどの普及によって省略化され、一種の仲間内でしか通じない「隠語化」してきているのでは?という、気が確かにしている。

それは、広告であっても同じだ。
広告そのものは「虚構の世界」だ。
「虚構の世界=嘘の世界」ということになる。
にもかかわらず、最近の「嘘の世界=広告表現」が、中途半端になっているような気がするのだ。
私事で申し訳ないのだが、マーケティングの仕事をはじめてすぐ、パンフレットなどの制作も担当するようになった。
その時、撮影を担当してくださったベテランカメラマンさんから、「虚構の世界を表現するためには、ディテールこそ本物でなくてはならない」と、教えていただいた。

表現をし、受け手となる生活者には「虚構の世界=嘘である」と分かってもらいながらも、「虚構の世界の中に夢があり、時には希望となる表現をするためには、ディテールは本物でなくてはならない」ということだったのだ。
そのことを、天野さんもエッセイで指摘をされていたのだった。

この一文で思い出したのが、1960年代後半~1970年代前半に資生堂のCMなどをディレクションされていた、杉山登志さんが遺した「遺書」にあったことばだ。

リッチでないのに
リッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません。
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは……とても
 嘘をついてもばれるものです。— 杉山登志

「広告」の持つ「虚構性」というものを、よく表していると思う。
「嘘をつく=虚構の世界の演出」というものが、厳しくも甘美な世界であり、それを表現するための映像はもちろん「ことば」そのものが、イキイキとし時代を映し出すだけの力を持たなくては、「広告」は「単なる嘘つき」になってしまう、ということなのだ。

そう考えると、今の広告はどうなの?という気がしてくるのだ。
「昔はよかった」などという、ノスタルジックなコトではない。
私たちが「普段使うことば」に真実性がなくなり、ことばそのものに巧妙な嘘を含ませ、「真実の振り」をしているようなことばが氾濫しているのではないだろうか?
それは「広告」の問題だけではなく、社会の問題でもあるような気がしながら、天野さんのエッセイを読ませていただいた。

杉山登志さんがディレクションされたテレビCMを、youtubeで見る事ができる。
是非、ご覧頂きたい。
youtub:1967~1973年杉山登志CM集