先週半ば過ぎには、お盆休みそのものは終了し、帰省から帰っていたのだが毎日の暑さで、体力も気力も低下中で失礼をさせていただいていた。
それでも、夏の甲子園の決勝が終わり、大人の夏休み終了という気持ちの切り替えをしなくては!という状況だ。
週末、新聞に掲載されている書籍案内を見ていて目に留まった本があった。
「ファンに愛され、売れ続ける秘訣」というタイトルの本だ。
そしてこのタイトルを見たとき、随分前に発刊された「『応援したくなるような企業』の時代」という本を思い出したのだ。
どちらの本も、「マーケティングが通用しなくなる」という趣旨のサブタイトルがついているのだが、マーケティングが通用しなくなるのではなく、「How-To」しか述べる事ができないマーケティングが通用しない、という意味だと考えている。
というのも、「ファンをつくる」、「応援してもらえる」為には、企業が必要なこととは何か?と考えると「生活者の声を聴く」という、マーケティングの当たり前な考え方にたどりつくからだ。
以前、拙ブログGoogleは100%を目指さない、という趣旨のエントリをした。
100%を目指さない代わりに、ユーザーが自由に参加できる「余白」をつくることで、製品づくりにユーザー参加を可能とさせている。
それが、結果としてGoogleユーザーを増やし、そのユーザーが固定化することでGoogleファンを作り出すことに成功しているのだ。
上述した通り「生活者の声を聴く」ことが、応援したくなる企業の要点となるのだが、その為には何が必要なのか?と、いうことを考える必要があると思う。
それは「フェアであること」だと、考えている。
例えば、今日決勝が行われた高校野球のファンはとても多い。
野球ファンではなく「高校野球ファン」という意味だ。
そして「高校野球ファン」の多くは、地元とか特定の高校を応援しているわけではない。
大会を通して、一生懸命なプレーを見せてくれた球児たちを応援しているのだ。
「一生懸命にプレーをする」という意味の中には、「フェアである」という意味も含まれているはずだ。
日本人が特に好きな(?)「自己犠牲」とか「チームの為」という点も含まれているはずだが、いくらチームの為と言っても「隠し玉でアウトを取る」ような行為があると、一斉に非難の的となる。
その多くは、球児に対してではなく監督や学校に向けられるのだが、非難される理由は「フェアではない」からだろう。
と同時に「自分と相手」という関係の心理的距離間もまた、重要になっていく。
「フェアである」ということから、その企業姿勢に対して「信頼」を感じ、自分の思いが伝わったと感じれば、その心理的距離間はぐっと縮まる。
「信頼関係」が築かれる、ということだ。
その築かれた信頼関係が崩れたとき、多くの人は「裏切られた」という気持ちになり、親しみは無関心へと変わっていく。
このような気持ちの変化がある、ということを理解しなくては「ファン」をつくり出すことはできないはずだ。
「ファンだから予想できない」のではない。
「ファンをつくる=応援をしたくなる企業になる」ということは、企業活動にとって当たり前の「生活者の声を聴き、フェアであり続ける事」なのだ。
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