日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

安全・安心をウリにし始めた、食品CM

2008-10-06 20:40:54 | CMウォッチ
テレビCMが、秋~冬に向かう内容へと変わりつつある。
シチューのCM等も、ルータイプのモノ(=家庭向け)からカップ用インスタント(=オフィスランチや一人向け)が加わったり、鍋の出汁や春雨のような具材など、「お鍋が恋しい」と思わせるようなCMが増えてきた。

お菓子のCM<も、チョコレートなど冬向けの商品が目立つようになった。
その中で、オヤ?と思うCMがあった。
それがクラシエの「甘栗むいちゃいました」だ。
この商品については、改めて紹介する必要は無いだろう。
発売当初、売り切れが続出したほどのヒット商品だからだ。
それまでの甘栗の難点を解消し、手軽に食べれるという理由で、行楽の定番となった商品でもある。
その意味で、行楽シーズンの今テレビCMを頻繁に流すというのは、販促としては正しい。
ただ今年のCMは、昨年までの内容と大きく違う。

「安心・安全」を、全面に打ち出したCMだったからだ。
「甘栗=天津甘栗=中国産」というイメージが、生活者には根付いている。
そのイメージは、間違っていないと思うのだが、昨今の中国産食品の問題で、生活者の中には「大丈夫だろうか?」という気持ちになっているという懸念から、「おいしい」「手軽」ではなく、「安心・安全」を強く打ち出し生活者の購買意欲を高めるという戦略に出たと考えられるのだ。

この傾向は、テレビCMだけではない。
近所の食品スーパーに置いてある牛乳の中には、「愛知県内産牛乳」という名前のモノまで登場していた。
「○○県産」といえば、精肉や鮮魚などに限られていた。
年初めの「中国産ぎょうざ事件」で、大手スーパーの冷凍食品売場のPBには、「○○工場生産、原料野菜××県産」というPOPが今では当たり前になってきた。

気が付けば、食品の多くには「○○産」という表示によって「安心・安全」をウリにしている。
良い・悪いのではない。
今生活者の商品選択に影響を与えているのが、「安心・安全」だということなのだ。
そして、食品のテレビCMは「健康+安心+安全」を訴求していくのでは?と、考えるのである。

ビジネスチャンスを創りだす視点

2008-10-06 13:27:45 | ビジネス
産経新聞のWEBサイトに、とても興味深い記事があった。
女子高生がネイルアートでホタテビジネス 大阪・泉佐野という記事だ。
この女子高校生の個人的プロフィールは別にして、「好きだから、多くの人に楽しんでもらいたい」という、気持ちが産業廃棄物として処理されるはずの「ホタテの貝殻」に、着目したのではないだろうか?

私自身、ネイルアートどころかマニキュアやペディキュアなどを、一切していない。
理由は、食事の支度をする時など気になると言うコトと、マニキュアなどをすると「爪が窒息しそう」な気がするためだ。
爪そのものは、皮膚が変化したモノであっても呼吸をしているわけではないのだが、感覚的には「爪が窒息しそう」なのだ。
もうひとつは、マニキュアをすると「爪が黄色く変色する」というコトもある。
ネイルアートを施すほど、キレイに手入れをしていないということもある。
だが、街中で見る多くの女性は、本当にきれいなネイルアートを施した爪をしている。
若い女性だけではなく、50代60代の女性も本当にきれいな爪をしている。
ただ、マニキュアなどを欠かさない友人に言わせると、「爪が黄色くなるし、脆くなるので、やめられない」という理由もあるらしい。

爪が変色する理由は、マニキュアの溶液だ。
記事中にあるように、人体的害は無いにしても使われている薬剤は、余りよい臭いのするものではない。
そんな問題点を解決したい!という気持ちが、このような商品開発へと結びついたように考えるのだ。
何よりも、開発したご本人がネイルアートが大好きという点が、「何か開発をしなくては!!」という、切羽詰った感覚ではない点が良い。

「開発が目的」ではなく、使う人の気持ちを理解した開発だからこそ、このような商品開発が出来、新しいビジネスチャンスを見つけることが出来たのではないだろうか?
昨今の「知的財産獲得合戦」的な状況では「開発が目的」で、「使う人の気持ち」が置き去りにされているコトが少なからずある。
それはそれで、特許申請ができる開発ができるかも知れないが、それだけではビジネスにはならない開発となってしまう。

「使う人、困っている人の問題解決」という、ある意味当たり前の視点がビジネスチャンスを作るという、一例のような気がする。


本当にレジ袋は、環境に悪い?

2008-10-05 13:12:19 | アラカルト
昨日から、名古屋東部7区で「レジ袋の有料化」が始まった。
私が住んでいる地区でも、レジ袋が有料化された。
有料化されることに、アレコレ言う気はない。
ただ、レジ袋を使わないことがCO2削減へとなっているのか、疑問があるだけなのだ。

我が家のある地域の食料品スーパーなどは、コレまで「名古屋市指定ごみ袋(可燃)」をレジ袋として使ってきた。
一般家庭では、週2回のごみ収集には丁度良い、10lの大きさの袋をレジ袋として使っていた。
そのレジ袋を、ごみとして捨てるような家庭は、殆ど無かったのではないだろうか?
昨日買い物に行ったスーパーのレジでは、おばあさんたちが「これからごみ袋を買わなくっちゃいけないなんてね~、困っちゃうわよね~」と話していた。
と言うコトは、おばあさんの頭の中では「レジ袋=ごみ袋」だったわけだ。

「レジ袋の有料化」には、「レジ袋の生産を減らすコトで、CO2の削減を目指す」というコトが、言われている。
しかし、それは「レジ袋=ゴミ」として見た場合なのではないだろうか?
なぜなら(我が家の近隣食品スーパーでは)「レジ袋=市指定ゴミ袋」だったのだから。
穿った見方をすると、「市指定ごみ袋を、どうしても買わせたい政策」のようにも見えてくるのだ。

「レジ袋の有料化」が、スーパーなどの経費削減になるのであれば、おばあさんたちも「この物価高で、(商品が)安くなるなら仕方ないわね~」と、思っただろう。
ところが、「レジ袋の有料化=CO2の削減」といわれても、「今までのレジ袋をごみ袋を使い、使う量が同じなら、変わらないんじゃない?」という、考えもでてくる。
もちろん、個々の家庭に埋蔵化状態にある「レジ袋=市指定ごみ袋」は、生産時点でCO2をそれなりに排出しているということになるのだが、予備ストックとして持っている市販の指定ごみ袋も、同じなのではないだろうか?

「環境」とか「エコ」を持ち出す事で、問題のすり替えをしているコトが多いのではないか?と、最近感じている。
大分前エントリさせていただいた、「エコ替え」というトヨタのテレビCMも同じだ。

「環境」や「エコ」というのであれば、食べられずに「産業廃棄物」となっている食料品などに、もっと注目しても良いのではないだろうか?
そして、過剰なほどのラッピングや食品トレーなどについて、考え直すコトのほうが、はるかに「エコ」で「環境に優しい」と思うのだが、違うのだろうか?

再編が進まない百貨店?その理由を探る

2008-10-04 21:23:22 | ビジネス
三越と伊勢丹が共同で持ち株会社を作り、経営統合をするという話は、昨年のことだったと思うのだが、どうもその話が順調に進んでいないようだ。
今日の産経新聞のWEBサイトに、三越・伊勢丹、リストラでせめぎ合い 関係ぎくしゃく?という記事が、掲載されている。

百貨店の再編成は、「松坂屋と大丸」や「阪急と阪神」などがあった。
それらの次に注目されたのが、三越と伊勢丹の経営統合だったのだ。
しかし、この経営統合は最初から難しさが指摘されていた。
というのも、企業文化がまったくといってよいほど違う、百貨店同士だったからだ。
対極にある企業文化を持っているといっても過言ではない、百貨店同士といっても良いのかも知れない。

伊勢丹は、売上が低迷する百貨店の中で、唯一といってよいほどの「勝ち組」だ。
「勝ち組」となった理由は、それまでの百貨店には無い生活者への提案や、新規顧客層の取り込みが、実に上手かったからだ。
今や百貨店だけではなく、小売店でも当たり前になった「セレクトショップ」という提案も、伊勢丹が先駆け的に行い、成功した売場スタイルだ。
それに対し、三越は「今日は帝劇、明日は三越」という名コピーがある程、伝統ある百貨店
伝統というよりも、今では当たり前になった「店頭現金販売」、「定価販売」という「日本における百貨店ビジネス」を始めたのも、三越が最初だったといわれている。
その意味で三越は、現代の小売業のビジネスモデルを創りた誇り高い百貨店だ。

その様な対極にある企業文化をもった、二つの百貨店が経営統合するのだから、それなりの摩擦があってもおかしくは無いだろう。
むしろ企業文化摩擦が起きなくては、おかしい。
問題は単なる経営統合ではなく、伝統と先進性を持った百貨店文化を創りあげていくのか?という点なのだ。
それが、経営統合という一点だけに集中してしまっている事が、今回のようなギクシャクした関係となっているのではないだろうか?

実はこの事例とは別に、気になっている百貨店がある。
正しくは、「百貨店があった」だ。
私が子供の頃過ごした浜松には「松菱百貨店」という、古い百貨店があった。
第二次世界大戦でもその建物は焼け残り、昭和初期の重厚な大理石のエントランスが素敵なクラシックな建物だった。
その松菱百貨店が倒産をし、引き継ぐ事になった大丸が建物取り壊し、進出をするという話になっていた。
イメージとしては、日本橋三越百貨店(大阪であれば阪急百貨店)の店舗を取り壊して、新しい百貨店が建つような感じだ。
この話を聞いた時、「大丸は浜松の人達から、支持されるのだろうか?」という懸念したのだ。
そしてやはりというべきか?白紙に戻ってしまった。
白紙になった理由(紹介記事は、朝日新聞・静岡版)は、浜松の人達云々ということが理由ではないようだが、浜松の人達にとって松菱という百貨店の存在は、単なるお店だけではないと感じていたのだ。

百貨店は時代とともに変化していくモノだが、反面、「買い物という思い出」も提供してきて場所でもあるはずなのだ。
しかしそれは、売場の雰囲気であったり空気のような目に見えるモノではない。
また、大手スーパーなどが中心となっている大型ショッピングセンターとも違う、独特な空気感がある場所でもある。
その独特な空気感こそ、個々の百貨店の企業文化であり、経営統合とはその企業文化をお客様と共に古い空気感+新しく創っていく文化摩擦でもあるのではないだろうか?

何も百貨店だけに限ったことでは無いが、「経営統合」には、そんな覚悟もまた必要なのだと考えるのだ。






お取り寄せと御用達-ブランド構築-

2008-10-03 20:52:20 | ビジネス
先日エントリをした「積極的に動き出だす下請け企業」の中で、「私御用達」という言葉を使った。
この「私御用達」というのは、表現を変え最近ブームになっているモノのひとつでもある。
それが「お取り寄せ」や「おもたせ」だ。

書店などでは、「有名人のお取り寄せ」本が人気を博している。
朝のテレビ番組で「おめざ」として紹介され、すっかりお取り寄せの虜になった方もいらっしゃるのではないだろうか?(本来の「おめざ」とは、小さな子供が起き抜けに食べる小さな飴などのお菓子のことで、番組の「おめざ」とは、意味が違う)
この「お取り寄せ」というのは、見方を変えると「私御用達」というコトにもなるのでは?と、考えている。
同じような商品は、市中にはたくさんある。
その中で、自分のために取り寄せるという行為は、購入者からすると「特別なこと=スペシャリテ」というコトになる。
そこから、購入者にとっては「特別なモノ・コト」が始まり、最終的には「私のこだわり」となっていくのではないだろうか?
少なくとも「有名人のお取り寄せ」本を見ると、「お取り寄せする○○は、私御用達というくらい、お気に入りです」というニュアンスがある。

本来の意味とは違う使い方をされているようだが、最近では手土産」のことを「おもたせ」と呼ぶらしい。
しかし「おもたせ」と「手土産」の間には、言葉の違いだけではなく、そこに込められた意味も大きく違っているようだ。
少なくとも「おもたせ」には、「特別に用意した手土産」というニュアンスを含んでいる。
旅行のお土産などとは、意味が違うのである。
大切な方へ折々のご挨拶に持参する「(私が)あなたのために選んだ、スペシャリテ」という意味に近いようなのだ。
すなわち、「おもたせ」を選ぶ側の「御用達」というコトになる。

興味深いのは「お取り寄せ」も「おもたせ」も、マス的市場では意味が無いということだ。
大量生産・大量消費というモノでは、「お取り寄せ」や「おもたせ」の付加価値がつかない。
なぜならそのモノ自体が、「特別」でなくてはならないからだ。
このような少量生産が得意なのは、大企業ではなく中小零細企業だ。
そして「特別」という付加価値は、企業だけが作っていくのではなく、顧客と一緒になって創っていくというところに、大きな資産価値を生んでいく。
それが「ブランド」だからだ。

「お取り寄せ」や「おもたせ」と言った、「人とは違う特別」を求める今こそ大企業ではない地域の中小零細企業がブランドを構築するチャンスなのかも知れないのだ。





日本の食のちぐはぐさ

2008-10-03 15:01:47 | ライフスタイル
日本の食品自給率の低さは、既にご承知のとおり。
急に上がるはずも無く、これから先本気で農水省が自給率を上げるための方策が取れるのか?に掛かっている。
といっても、コレはあくまでも「カロリーベース」でのコト。
違う見方をすれば、まったく違う数字となって現れる。
そんな指摘を、大西宏さんのブログ「大西宏のマーケティングエッセンス」9月29日のエントリーでされていた。

どちらも大切な事だと思うのだが、一生活者というか家計を預かる立場としては、「食品廃棄量」のほうも気になるのだ。
そんな素朴(?)な疑問をもつのは、私だけではないようで今日の毎日新聞のWEBサイトには、なんかヘン?輸入しながら捨てているたくさんの食べるものという記事が掲載されている。

記事としてはエコロジーという視点だが、個人的には「日本の食のアンバランスさ」という気がしてしまう。
「事故米食用転用事件=汚染米事件」で、驚いたのは「ミニマムアクセス米」の存在だけではなく、国内で余っているはずの米(もち米を含む)を使わず、このようなお米を使って、焼酎やでんぷんなどに加工していたことだ。
もちろん中間業者は大幅な利益確保を狙って、安いミニマムアクセス米を販売していたのだろうが、なんとなく本末転倒という気がするのだ。
何故、国内産古米を安価で売らないのだろうか?
その方がまだ「安心・安全」が、確保されたはずだ。

そして11時頃のコンビニのお弁当売場では、「お弁当の入れ替え」をしている。
もちろん「消費期限」の問題で、古いお弁当を破棄し、新しいお弁当へと入れ替えているのだが、その量の多さに「もったいない・・・」と思ってしまうのだ。
ホテルの宴会場、料理店で破棄されるお料理の量は、私たちが想像するよりも多いだろう。
「もったいない」どころか、「捨てる前に作らない」という考えはないの?と思ってしまう。

そしてこの記事を読んではじめて知ったことは、その様な食品の多くはホームレスなどの人への炊き出しとして使われるようだ。
しかし、本当に必要としているのはホームレスの人達ではなく、高齢者や母子家庭だという。
実際、毎月のように値上げラッシュが続いている現状では、元々の収入が年金のみの高齢者や元々所得が低い母子家庭などは、社会保障費などを支払う事すらままならない。
食費についても切り詰めるだけ切り詰めて・・・という状況なのだと思う。
そんな人達のところへは、廃棄される運命にある食品が回らないのである。

梱包の荷崩れ品を破棄するなんて、もったいない!
スーパーの店頭に並べてしまえば、商品としての価値が無くなるわけではないハズなのだが・・・。
確かに、冷凍食品のパッケージに穴が開いていたり、破れていたなら要注意!だとは思うのだが、荷崩れ程度で返品というのは・・・。
そこにかかるコストは総て、商品価格に跳ね返ってくるし、消費者メリットは殆ど感じられない。

少なくとも、食品を産業廃棄物として処分するのは、エコ以前の問題としてもったいなさ過ぎる。
こんなコトがいつまででも続く社会のほうが、おかしいのではないだろうか?

どこかで見たCM-日本郵政グループ-

2008-10-02 21:57:05 | CMウォッチ
「未来の私は・・・」という言葉で終わるCMが、今頻繁に流れ始めている。
今週からオンエアになった、日本郵政グループの「未来の私」というCMだ。

内容は、「今の自分から未来の自分への手紙」というモノなのだが、同じような内容のCMをどこかで見た記憶は無いだろうか?
数年前にオンエアされていた、マクセルの「次世代に残す大切なもの」というCMだ。
今でも、プロジェクトとしては残っているようで、全国各地の子供たちの夢を集めているようだ。
そのプロジェクト「ずっと、ずっと」には郵政グループがCM展開をしている「オトナになったジブン」へのメッセージを残すというモノもある。

もちろん、日本郵政グループとマクセルが目的としている点は「販売促進」という意味では同じだが、販売している商品は当然のことながらまったく違う。
にもかかわらず、同じ内容のCMとなってしまうのは、どうした事だろう・・・。

マクセルの場合、「時間を切り取る=思い出を保存するツール」としてのDVDがある。
「DVDの中に、どんなモノ・コトを記録(残す)させるのですか?」というアプローチだ。
それに対して、郵政グループは「未来の自分へ手紙を書こう」というアプローチになっている。
しかし「手紙を書く」という点で、未来の自分というのは???、という気がしないわけでもない。
「未来の自分に手紙を書く」というと、最初に思い浮かぶのは「タイムカプセル」だ。
今の30代~40代の方たちの中には、小学生の頃校庭に埋めたという思い出を持っているのではないだろうか?
その点で、郵政グループのCMには無理を感じてしまうのだ。

企画・アイディアとしては、良いと思う。
ただ「未来の自分へ出す手紙」は、切手を貼ってポストに投函するのではなく、自分の机の引出しにそっとしまっておくモノのように思うのだ。
それよりも「子供の成長記録をおじいちゃん、おばあちゃんに届ける手紙」というアプローチの方が現実的な気がするのだ。

文字に興味を持ち始め、ひらがなが書けるようになると、むしょうに文字を書きたくなった記憶はないだろうか?
その様な機会を逃さず、親御さんが、おじいちゃん、おばあちゃんへ「成長の記録」として、手紙として残すというコトなのだ。
「手紙」と呼べるようなモノである必要は無い。
「おじいちゃん、おばあちゃん」という文字だけでも、十分だろう。
クレヨンで描いた絵でも良いだろう。
それが成長というコトなのだから。
個人的には、「手紙だからこそ残るモノ=コミュニケーションツールとしての手紙」の方が、訴求性が高いと考えるのだ。
そんなアプローチのCMを、期待したいのだ。

子育て・家事・介護・・・ワークライフバランス考

2008-10-02 12:42:05 | ライフスタイル
最近、時折聞くことばのひとつに、「ワークライフバランス」がある。
「仕事と家庭がともに充実した生活」という意味なのだが、どちらかといえば「仕事と家事と子育て」という点で使われているような気がする。

そんな「ワークライフバランス」について問われている記事があった。
毎日新聞に連載掲載されている「毎日かあさんち」にあった「今週のお題」「子供が病気...お父さん、休めますか?」だ。
拙ブログに来て下さる方の多くは、お父さんなのではないか?と思うので、私からも伺ってみたい。
「お子さんが病気の時、仕事を休めますか?」
おそらく「休みたいけど、休みにくい」という方が一番多いのでは?と、想像している。
制度として育児休暇などがあっても、職場の雰囲気などで休みにくい・・・という気がしているのだ。

では、質問を変えてみたいと思う。
「親(配偶者の親も含む)が、倒れ介護が必要となったときどうしますか?」
現在、私が抱えている問題のひとつが「親の介護」だ。
実家に一人で生活をしている父が、倒れ要介護状態となっているわけではないのだが、私の周囲では「親介護」が、現実のモノとなってきている。
そして、その両立に悩んでいる。
私自身、近い将来の事を考えれば「親介護」は他人事ではない。
むしろ現実のコトとして認識している。
「今の仕事を減らしても、介護はしたい」と「収入」のバランスが、難しいのだ。
まして、「親が近くに住んでいない(同居をしていない)」という状況では、「仕事と介護」は、大きな問題となってくる。
場合によっては、「職を捨てて介護」というコトも考えられる。

「介護のプロに任せる」という方法もある。
問題はその介護を受ける本人(=親)が、納得し、満足し、介護を依頼する子供にとっても良い選択となるのか?というコトなのだ。
人には「良き生き方」が保障されているはずだ。
そして「良き生き方」という考えは、人それぞれであって、ひとつではない。
親子でもその考え、価値観は別なのだ。
だからこそ、難しい問題なのだと考えるのだ。

今は「ワークライフバランス」というと、「仕事と子育て・家事」という点にフォーカスされているが、それだけではない「仕事と介護・家事」もあると思うのだ。
その様な視点で、社内制度が活用できる社内になっているのか?
社員満足度の高い企業は、顧客満足などの社外満足度も高いといわれている。
だからこそ(職場の雰囲気作りを含め)企業自身が、「ワークライフバランス」を真剣に考えなくてはいけない時代でもあるのだ。

積極的に動き出す下請け企業

2008-10-01 21:22:47 | ビジネス
アメリカ発の金融不安が、日々続いている。
「金融安定化法案」が上院で可決されたが、果たしてどれだけの効果があるのか?
この「金融安定化法案」では、当初投資銀行の経営責任を問うような内容が含まれていなかった事が、下院で否決された要因だったそうだ。
年間何十億という膨大すぎる報酬を得ているのだから、当然それなりの責任をまず取るのが当たり前なのだが・・・ところで、日本の場合どうでしたか?
いまだに、銀行員の給与は中小企業で働く人達よりも多いという記憶がありますが・・・そんな人達の給与から支払われている税金を投入されているのですから、金融不安だからといって、「貸し渋り」や「貸しはがし」などはしてもらいたくない、と思うのは私だけではないだろう。

中小企業といえども、いつまでも下請け企業でいる訳にはいかない!と、動き始めたトコロがあるようだ。
今日の朝日新聞のWEBサイトに脱下請けへ自社ブランドで百貨店へ 神戸・長田の靴会社という記事を見つけた。

神戸・長田地区といえば、「阪神・淡路大震災」で一番被災した地域でもある。
町全体が焼き尽くされた光景を、覚えている方も多いのではないだろうか?
その長田地区の主だった産業が「ケミカルシューズ」と呼ばれる、カジュアルシューズ製造だと知ったのは、震災の頃だった。
震災前は、ケミカルシューズを作る下請け工場が、いっぱいあったようだ。
そんな工場も、震災と共に廃業に追いやられたトコロが多いという話だった。
ところが、ショッピングサイトなどで探してみると、下請けから脱却して自分たちで販売しようとしている企業があることを知った(私が時折、チェックする靴屋さんです)。
その様なトコロは、ひとつのショッピングサイトの中にいくつかの会社が協力しあって、商品を出している。
ただ利用者からすると、靴に限って言うならネット販売は、不安が他の商品よりも高い商品でもある。
というのも、靴というのは「試し履き」をしたい、という希望が強いのだ。
なぜなら、デザインが気に入っていても履けなければ、靴の意味が無いからだ。

今回は、阪神百貨店で期間限定販売のようだが、このような下請け企業が、直接お客様と接する機会はとても有益なコトだといえる。
いつもメーカーから指示され、言われた通りのモノを作るだけでは、いつまでたっても下請けでしかない。
しかし、直接お客様から話を聞く事で、デザインだけではなく、履き心地など様々な問題点や改善点を直接知ることができるからだ。
それがキッカケで、「モノ言う下請け=提案性のある下請け=B2Bの関係」となると思うのだ。
もちろん、下請け企業から脱却できるチャンスとなるだろうし、顧客オリジナル靴を作る「私御用達靴工房」へと変わる可能性も十分にある。

もうひとつ注目したいのは、関西の老舗百貨店がこのような企画に、積極的になっているということだ。
東京、名古屋に比べると経済に元気が無いといわれる関西だからこそ、このような「地産地消」を提案し、関西全体を盛り上げていきたい!という意思も感じられるのだ。

衣替えとともに変わるモノ

2008-10-01 11:47:48 | アラカルト
今日10月1日は、世間的には「衣替えの日」。
しかしながら、今週はじめから急に冷え込み、季節としては1ヶ月ほど進んだ感じだった(今朝まで)。
会社員時代、制服のあった会社だった事もあり衣替えの日は、大荷物になる事が多かった。
というのもブラウス、ベスト、スカートなどを持っていかなくてはならないからだ。
今では、女性社員の制服のある企業そのものがなくなりつつあるので、そんな光景は無くなったかも知れない。

今朝の新聞各紙をチェックしていたら、今日から社名や団体名が変わるところがいくつかあった。
ひとつは、言わずと知れた(?)松下電器産業(ブランド名:ナショナル)からパナソニックへの変更だろう(紹介記事は毎日新聞)。
90年以上続いた名前を変えるというのは、それなりの勇気が必要だったと思う。
というのも、90年間作り上げてきた「ブランド」という、資産があるからだ。
ただ今回の場合、松下電器産業という会社とナショナル、パナソニックというブランド名を長い間使い分けてきたこともあり、違和感は余り無いかも知れない。

そして知らなかったのが「武富士」の社名変更だ(紹介記事は日経新聞)。
「ベネシア」という名前になるようだ。
一時期に比べると、消費者金融のテレビCMを見なくなったせいか(?)社名変更をすることを知らなかった。
「武富士」の場合、社名変更をすることで以前あったネガティブなイメージを払拭したい、という気持ちが強いのかも知れない。
それにしても名前が・・・イマイチ覚えにくいというか、消費者金融らしくない。
そこが狙いだとは思うのだが、ティッシュペーパーとか化粧雑貨のようなイメージの名前だ(あくまでも、個人的な印象)。

もうひとつ名前が変わった団体がある。
それが「協会けんぽ」だ。 
「協会けんぽ」と言われても、元の団体名が思い浮かぶ方がどれだけいるのだろう?
社会保険庁に属している中小企業サラリーマンの健康保険団体の名称が、  「協会けんぽ」になると言うコトのようだ(紹介記事は讀賣新聞)。 
と言うコトは、元の団体というのはアノ!社会保険庁ということになる。
実際、社会保険庁元職員が数多くいるようだ。
内2割が減俸処分を受けている人材のようなのだが、その様な人材に任せてよいのだろうか?
今、社会保険庁職員主導の「消された年金」で問題になっているのに・・・。
麻生さんは、各省庁の事務次官の会議で、「麻生四訓」(紹介記事は朝日新聞)なるモノを言ったらしいのだが、麻生さんに言われなくても当たり前のコト。
是非今日からスタートした、「協会けんぽ」の元社会保険庁の職員の皆さんも、この「四訓」を心してお仕事に励んでもらいたい。