日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

海外進出を検討する新たな材料

2013-02-08 17:15:23 | ビジネス
今日、ドラッグストアに買い物に行った時、中年の男性がマスク売り場で何やら難しい顔をして立っていた。
しばらく様子を見ていると、その男性はある商品を手に取り、結局10個程度を購入していった。
そのマスクは、「N95」と呼ばれるタイプのマスク。
以前新型インフルエンザが流行した時に、話題となったマスクだ。

その光景を見ていて、思い当たることがあった。
今週初め新聞やテレビのニュースなどで取り上げられていた、中国の深刻な大気汚染問題だ。
新聞に掲載された大気汚染で白くかすむ北京の写真を見たとき、ゾ~っとした。
子どもの頃の「光化学スモッグ」だとか「四日市ぜんそく」などの、公害病を思い出したからだ。

男性がある程度の枚数を購入した、と言うコトを考えるとテレビなどで「PM2.5」と呼ばれている、微小な大気汚染物質対策として紹介されたのだろう。
今は「PM2.5」だけだが、もうすぐ「黄砂」というやっかいなモノも偏西風に乗って飛来する季節がやってくる。
確かに、「PM2.5」と呼ばれる微小な大気汚染物質よりも、インフルエンザウィルスのほうが小さいと思う。
その小さなインフルエンザウィルス対策のマスクであれば、安全だと思うからだ。

しかしそれは「対処法」でしか無い。
根本的な解決のためには、中国政府が公害対策に積極的に取り組まなくては意味が無い。
緊張する日中間にあって、日本政府は公害対策に一日の長がある日本の技術提供というコトも考えているようだが、今のところ中国政府からは何の動きも無いようだ。

そこで考えてみるのだが、中国には日本のメーカーが数多く進出している。
当然、中国国内にも日本のメーカーの下請けとなっている企業があるはずだ。
日本企業が、現地で工場を造る際には公害対策をしていると思う。
何故なら、1950年代後半~1970年代前半までの間、日本の企業は「公害対策」に取り組まなくてはならなかった。
中国だけでは無く、海外に進出し現地に工場を造る時にはその時の経験を活かし、公害対策を万全に行っていると思うからだ。
であれば、日本の下請けとなっている現地企業にも同様の公害対策をしなくては、取引そのもの停止する、と言う位の厳しい行動があっても良いのでは?

現地で働く人達の生活環境や大気汚染の問題だけではなく、周辺諸国に与える影響などを考えた企業行動ができなくては、本当の意味での「グローバル企業」とは言えないと思うからだ。
中国という市場は大きく魅力的だが、その国でビジネスをするコトを考えるのであれば、大気汚染や土壌汚染に代表されるような公害対策も同時に求められるコトだと思うし、下請け企業にも求める必要があると思う。
中国政府にその気が無いのであれば、上手に撤退するコトも考える必要がある時代という気がしている。

ホットビール、ヒットするかな?

2013-02-07 19:22:28 | マーケティング
今日、地下鉄のぶら下がり広告を何気なく眺めていたら、「ホットスタウト」という文字が飛び込んできた。
キリン「一番搾り スタウト」
左党の方ならご存じだと思うが、「スタウト」というのはビールの種類。
言い換えれば「ホットビール」というコト。
もちろん、どんなビールでも良い訳では無いのだが、「ビール=冷たい」と言う感覚が一般的な日本で、どれだけヒットするのか?と、思いながら広告を眺めていた。

随分前から、ビール会社は季節ごとのビールというのを発売してきた。
特に夏が終わると発売される「秋○○」、その後の「冬××」とか「雪△△」と言ったネーミングのビールだ。
お酒そのものをほとんど飲まないで、「秋○○」とか「冬××」の味の違いと言うコトになると、さっぱり判らないのだが、少なくともテレビCM等で見る限り「冷たいビール」を飲む・楽しむと言う提案だったように思う。
それほど「ビール=冷やして飲む」というのが、一般的な飲まれ方。
確かに時々、食のエッセイなどで「冬はビールを温めて飲む」という文を読んだことはあったが、そのような楽しみ方をされるのは、極々一部の人に限られている様に感じていた。

それほどまでに「ビール=冷たい」という思い込み(?)のある中で、あえて「ホットビール」を提案してきたキリンは、相当挑戦的というか冒険だな~と言う印象がある。
海外では、決して「ホットビール」が特別な飲み方では無い、と言う話も聞いたコトはあるのだが・・・・。
まして、ビールに砂糖やシナモンを加えると言う手間をかけて、ビールを楽しむと言う人はどれくらいいるのだろう?と、考えてしまうのだ。

ビールの市場そのものも、二極化が進み「第3のビール」や「ノンアルコールビール」などの市場が拡大している反面、わずかながらも「ビール」そのものも売り上げが伸びつつあると言われている。
売り上げが伸びている「ビール」というのは、「プレミアムビール」と呼ばれるタイプのもの。
その様な生活志向の変化の中で、変化球過ぎるこの提案。
どれだけの市場が受け入れるのだろうか?
チョット注目しておきたい。




チョコッと白物家電に注目?

2013-02-06 20:19:57 | ビジネス
今頃になると、春向けの新商品が次々と発表される。
その中で、気になる商品があった。
キングジムの「プチランドリー スウォッシュ」
もう一つはフィリップスの「ノンフライヤー」

キングジムの「プチランドリー」という商品を見たとき、「以前からある小型洗濯機と同じ」という印象を持った。
商品としては、さほど目新しい商品では無いと思う。

もう一つのフィリップスの「ノンフライヤー」なども、商品説明を読むと技術的には決して目新しい商品では無いことがわかる。
昔からある「コンベックオーブン」とほぼ同じ「熱風を対流させて焼く・揚げる」という機能だからだ。
その機能の中で「揚げる」というコトに特化している、と言うのが大きな特徴の商品。

どちらも、以前から似た様な製品は市場的にはある。
そして大ヒット商品とは言わないまでも、これまでもコンスタントに売れている商品だと思う。
にも関わらず、あえて「新商品」として売り出すのは何故だろうか?

キングジムは、ご存じの通りいわゆる「事務用品」を販売している会社だ。
何となくだが、「洗濯機を必要としているのは家庭だけ?」と言う疑問から生まれたのでは?と感じている。
実は会社員時代、いわゆる「お茶当番」と言うモノがあった。
「お茶当番」と言っても、ティーサーバー機の準備をするだけでは無い。
「ふきんや台ふきの洗濯」と言うのも、「お茶当番の仕事」なのだ。
この「ふきんや台ふきの洗濯」というのが、結構な労働。
日頃自宅で洗濯機を使って洗濯をしているので、10枚程のふきんと数枚の台ふき、2,3枚の手ふき用のタオルを漂白し、手で一枚一枚洗うと言う作業は、時間も労力も掛かった。
そのため女子社員一同の希望として、小さな洗濯機の購入を嘆願した程だった。
残念ながら、洗濯機の置き場がなく却下されたという経験がある。
そういう経験から考えると、事務用品を販売しているキングジムがこの様な商品を販売する、と言うのは一見場違いなようでいて、整合性のある商品だというコトがわかる。
ただ今でもその様な職場が、どれほどあるのだろうか?と言う疑問はややあるのだが・・・。
むしろ、違う使い方をする人が多いかも知れない。

もう一つのフィリップスの「揚げないフライヤー」だが、上述した通り「コンベックオーブン」という同等の性能を持ったオーブンが既にある。
「オーブン」と名が付く通り、オーブン料理などがメインで揚げ物を作るために、使っている家庭は余り多く無いかも知れない。
それだけでは無く、少量の揚げ物を作るために家庭で作る、と言うのは主婦として躊躇しやすい。
何故なら、揚げ物の後片付けというが面倒だからだ。
これは、現在発売されている電気式のフライヤーであっても同じだと思う。
と考えると、少量の揚げ物を揚げずに作りたい!と言う人にとっては、とても便利な商品だと言える。
問題なのは、少量の揚げ物を揚げたい!と思う人よりも、既に揚げた状態で販売されている日本の冷凍食品を使って、電子レンジで「チン!」するほうが、より油分がカットできる可能性がある、と考える人が案外多いかも知れない・・・と言う点だ。

いずれにしても、白物家電そのものは「ある程度行き着くところまで行き着いた」感があった。
そこにニッチではあるが、新しい発想の商品が出てきたコトは、市場が活性化する機会となると思う。

産学官共同事業は良いと思うのだが・・・。

2013-02-05 19:38:24 | アラカルト
昨日、一部の新聞に「がん次世代新薬」の開発についての記事が掲載されていた。
讀賣新聞「がん次世代薬の開発、産学官で工場新設へ」
産経新聞「がんの次世代の薬、経産省が開発支援 企業や大学など集まる拠点を26億円予算計上」(産経新聞の記事が見つからなかったので、Yahooのトピックス記事を紹介)
と言う報道だ。

まず讀賣の記事を読んで、ある種の違和感があった。
それは「工場新設」というコトバだ。
イメージ的には、産経新聞の「産学共同の研究拠点」だと思う。
少なくとも「新薬を工場の生産ラインで作る」というコトでは無く、あくまでも研究素材となる細胞などを作る、と言う意味だと思うからだ。

日本の製薬メーカーだけではなく、全国の大学の医学部やがんセンターなどの研究施設では、様々な研究が地味ながら進められており、その研究は決して海外に後れを取っている訳ではない。
それぞれの研究が進んでいるのに、新薬の開発に結び付かない大きな理由があるとすれば、研究機関と製薬メーカーが共同で研究を進めるコトが難しい、と言うコトがあったからだと思う。
と言うのは、大学やがんセンターなど公的機関(=税金で研究をしている機関)と民間企業である製薬メーカーが、共同で研究を進めると言うのは「研究費」というお金のモラルとして問題があるのでは?と言う考えが、長い間あったからだ。

今回の「がん次世代の薬」というのは、昨年NHKで放送された「がんワクチン」に代表される「免疫療法」だけを指すのではなく、もっと広い意味があるのでは?と考えている。
例えば、検査薬などをペプチドの分子サイズにして、検査そのものが難しいと言われる膵臓や胆管等のがん検診に活用する、と言うコトも考えられる。

何故この様な研究を国が急に推し進めるコトを言い出したのか?と考えると、一つは記事に有る通り、医療費の問題だろう。
ただ個人的には、新薬の開発によってもたらされる、膨大な利益を産業として国が後押しをしたい、と考えているのでは?と言う気がしている。
何故ならがんなどの新薬は承認されると、その国の「標準治療=基本治療薬」となり、開発をした製薬メーカーは膨大な利益を得るコトができる。

問題なのは、この様な「次世代の薬」には必ず「治験」が必要だと言うコト。
「海外に比べ、日本は新薬の承認が遅れやすい」と言われるが、実はその最大の理由が「治験」なのだ。
日本ではまだまだ「治験=実験台」という意識が高く、治療手段の一つという認識がされていない。
何故国内での治験が絶対に必要なのか?と言うと、「がん」と言う病気そのものに様々なタイプがあり、海外での成果が日本でも有効であるとは限らないからだ。
その例が、肺がんの分子標的薬として有名な「イレッサ」だろう。
「イレッサ」の一番効果が高いな肺がんは、腺がんでアジア系非喫煙者。
肺がん患者であれば、誰にでも効果がある、と言う訳では無いのだ。

そう考えると、国が推し進めたいこの事業には国民の「治験」に対する理解が必要だと言うコトがわかる。
経産省だけでは無く、厚労省も協力する必要があるのだ。
これを機会に、是非省益を超えた研究の成功例となって欲しい。












「美しい村」と「限界集落」

2013-02-04 12:07:38 | アラカルト
先日、本を読んでいたら「なるほど!」と思うコトがあった。
それは、フランスの観光地としての考え方だった。

ご存じのように、フランスと言えば「観光立国」でもあり「農業立国」でもある。
そのフランスでは、人口2,000人以下などいくつかの条件を設け、「美しい村」という認定をしフランスの国内外に対して積極的にPRをしているという。
私の読んだ本の作者は、ココ・シャネルが10代を過ごした村・オバジーヌと言う、小さな村を訪ねた時のコトを書いていた。

この文章を読んだとき、日本の限界集落とは大きく違うな~と感じたのだった。
もちろん、京都の茅葺き屋根の村として人気がある「美山町」のようなトコロもあるが、多くは、ただただ村が寂れていくのも待つばかり・・・と言うのが現状なのではないだろうか?

私がフランスの「美しい村」という制度が面白いと思ったのは、人口2,000人以下と、人口が少ないコトを挙げているコトだ。
他に挙げられている条件というのは「歴史的遺産が複数あるコト」、「村民が村おこしのために努力をしているコト」と言うコトらしい。
日本の場合「村民が村おこしのために努力をしているコト」という条件が、とても難しいのかも知れないが、あえて「人口が少ない」と言うのは今の限界集落に当てはまるような気がしたのだった。
もちろん「限界集落」と言われる集落の最大の問題点は、「高齢化した地域」と言うコトは、十分理解している。
だからと言って、何もしないまま寂れていくのを待つばかりでは、どうしようも無い。
実際、美山町の様に自分たちの地域を見直して、新たな観光地へと変わりつつある地域もあるのだから。

「起死回生の一打」のような策で、急激な人口増加を考えようとする方が無理難題だと思うのだが、どうも今の日本社会全体の思考として「V字回復」的な劇的な改善・回復を期待しすぎているような気がするのだ。
それも「お上頼み」というか国や行政に頼って、何とかして貰いたい的な感覚が強いような気がしている。
その例が「人を誘致する為に道路や新幹線が必要」という発想だろう。
本の作者が訪れたオバジーヌ村という村は、フランス中部の山里にあり、TGVが止まる駅は近くにはなく、在来線(と言うのだろうか?)駅から、タクシーを乗り継ぐ必要があり、ホテルなどの宿泊施設は2つしか無い、と言う田舎のようだ。
その様な田舎を、フランスは観光地として積極的にPRしているのである。

「観光」と言うのではなく「旅」という視点で考えると、その土地に必要なコトは都会では味わえない「非日常性」だと思う。
日本にある美しい棚田やその棚田を守るようにある自然、その豊かな自然の恵みを頂くコトもまた、旅の楽しみなのでは?
「美山町の真似をしろ」というのではなく、自分たちの文化や暮らしに根付いた手仕事、自然を通して、「日本の美しい村」を見つけ出すと言うコトも、新しい日本の魅力として世界に発信できる資源だと思う。



何でもかんでも「体罰」とひとくくりにして良いのだろうか?

2013-02-02 22:31:11 | 徒然
大阪の桜宮高校のバスケット部キャプテンだった生徒の自殺から、スポーツに関わる「体罰」がいろいろなトコロで表面化してきている。
拙ブログでも「体罰」という暴力による指導について疑問を投げかけてきているのだが、今日それとは違う「体罰」のニュースがあった。
朝日新聞デジタルで報じている「ハゲ」と言われ平手打ち 神奈川の教諭、生徒16人にと言うニュースだ。

気になったコトは、この事件(と言うべきなのか?)と桜宮高校をはじめとするスポーツの部活動などにおける指導者の体罰とは、意味が違うのでは?と言う点だ。
桜宮高校をはじめとするスポーツの部活動での「体罰」というのは、生徒に非があった訳では無い。
「指導」という名の暴力を生徒が一方的に受けた、と言う「体罰」。
一方今日報じられている神奈川県小田原の市立中学の場合は、生徒側に問題行動があったコトに端を発している。
教師が生徒を平手打ちにする、と言う行為そのものは問題だと思うのだが、今問題となっている「生徒に非がない状況で、殴る・蹴るの暴行をはたらいた」という「体罰」とは、全く違う問題なのではないだろうか?

日本のメディアは、何か一つの事件があると何でもひとくくりにして、報じる傾向がある様に感じるのだが、今回などはその例ではないだろうか?
今回の場合、もし注意を受けた生徒が、素直に着席をし授業に臨めば、担当教師が平手打ちをするコトはなかったと思う。
「平手打ちをする」という注意の方法は、度が過ぎていたと思うが、それ以前に生徒達に問題があったと言う点は、大きいのではないだろうか?

記事によれば、平手打ちをした担当教師はその後謝罪をしたと言うコトだが、授業に遅れ暴言を吐いた生徒は、担当教師に対して謝罪をしたのだろうか?
確かに教師と生徒という力関係のようなコトを考えると、教師のほうが強い。
だからと言って、生徒が何をしても良い訳では無いし、謝るべきコトは謝ると言うのは社会の基本的なルールなのでは?
そんな当たり前のコトを抜きにして、「体罰」とひとくくりに報道するメディアや社会の風潮(?)に、違和感を感じるのだった。





スバルの「アイサイト」システムを考える

2013-02-01 18:48:39 | ビジネス
今年に入ってから、3回シリーズ?としてスバルが一面広告を新聞に掲載していた。
今日がその3回目だった。
シリーズ掲載されていた内容は「アイサイト」という、運転支援システムについて。
スバル「アイサイト・総合サイト」

この広告を見たとき、「自動車もここまで進化したのか!」とある種の驚きと、技術進歩のすばらしさを感じた。
渋滞緩和のためのスピード自動制御などはもちろんなのだが、衝突を回避できるシステムでもあるようだ。
衝突を回避する自動システムと言えば、ボルボが昨年発売をしているが、これから先標準となっていくシステムのような気がする。
と言っても、大切なのは運転をする人の意識と運転技術というコトになるのだとは思うのだが、高齢化社会となった日本では、高齢者ドライバーが年々増加していることを考えれば、やはりこの様な運転支援システムは、必要となっていくだろうと考えている。

しかし、この広告を見て実は少しガッカリしたのだった。
と言うのも、搭載対象となっている車種がSUV車やスポーツタイプのクルマだったからだ。
スポーツタイプやSUV車などに力を入れているのはわかるのだが、本当にこの様な「運転支援システム」を必要としている人が乗るクルマは、違うのでは?と感じたからだ。

スポーツタイプのクルマを選ぶ人というのは、ある程度運転に自信があるのではないだろうか?
「自信が過信に繋がり、事故を起こす」とも考えられるが、この様な支援システムを必要だと感じるドライバーは余りいないような気がする。
むしろ、上述した通り年齢とともに運転技術に不安が出てきたドライバーや、身体的ハンディのある同乗者がいる福祉車両などに必要な気がしたからだ。

「支援システム」なのだから、このシステムを搭載すれば事故が起きなくなる、と言うモノでは無い。
しかしその様なシステムを搭載するコトで得られる安心感などは、とても大きいと思う。

自動車メーカーは「クルマに乗る楽しさ」や「快適さ」と言うコトを、追求してきた。
新しく加わったのは、「環境性能」と呼ばれる「省エネ」であったり「アイドリングストップ」といった機能だった。
その最たるモノがハイブリッド車やEV車だった。
これから先もう一つクルマが進化するとすれば、この「運転支援システム」なのかも知れない。
だからこそ、本当に必要としている人達が乗りやすいクルマに搭載して欲しい、と思ったのだった。