街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-27 07:28:28 | 福岡 古墳

 後円部を過ぎると石段が見える。下りてゆくとご覧のように鳥居がある。大神宮と銘打っている。古墳と思しき所には必ずとは言えないがお社がある。魂を鎮めているのか、四季折々の祭りごとの衛頭かもしれん。昔から人々はこれを墓だと知っていたに違いない。とてつもない人間の墓だろうと。まつわる伝説も多かろう。

 歴史資料館へ続く道に出た。中へ入ってみよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

肥後朝顔観賞会のご案内

2009-08-26 10:51:42 | 朝顔 花

 今年も肥後朝顔観賞会の案内が来ました。また行かねばなりません。母も期待しております。去年もそうであったように今年の九月もこの朝顔がブログネタになります。御覚悟の程を 今のうちに御容赦お願いします。更に付け加えて父の朝顔も載る事になりますので宜しくお願い致します。もう既に朝顔の絵は載せておりますが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-26 10:11:55 | 福岡 古墳

 ここがその別区と言われても判然としないため写真にしなかった。一辺が43メートルの方形の矩形で、その上に立つと何が何だか判らないのである。 
 ただ、石人山のように括れ部分に造り出しがあるのだがどうもそれとは異なるようである。そして、この別区は古墳には接していないことである。

 後円部の頂点に来ている。周溝と堰堤である。考えてみよう。これぐらいの溝でよかったのかな。堀とまではいかないまでも周濠くらいはと思うのだがな。
 苔が生えているものの草木が生えていない。ということは土が固いのである。恐らく相当に突き固められているのであろう。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母との散歩

2009-08-26 10:00:00 | 街道関連

 彦山駅の軒下が朱塗りになっている。英彦山神宮の玄関口だ。それらしく客を迎える為でもあろうが人っ子一人いない。平日月曜日の11時半だ。当たり前か。

 前回書いた様に母は小学校のときに遠足で英彦山に登った。また、長兄とも一緒に登ったこともある。長兄は既にこの世になく、なにか感慨にふけっているのかもしれん。「お兄さんとも登ったもんね」と少し涙目だった。それ以上は聞かなかった。また、ここに来る機会もある。そのときでよいだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母との散歩

2009-08-25 04:49:14 | 街道関連

 日田英彦山線彦山駅に来た。母を連れ山女を食べに来たのである。少し時間が早かったのでうろうろしている。母は小学校の遠足で行ったところを探している。 
 当時国鉄は彦山まで線路は続かず添田までだったので、添田から歩いてきたそうだ。言葉の通り遠足だ。それから何年後かに山を穿ち隧道となし、大分県側(日田側)と通じたのである。

 森閑とした駅構内は強い秋の陽射しが眩しい。それでもここは涼しく、蝉の鳴き声がよりいっそうの涼しさを増しているように思える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-25 04:28:03 | 福岡 古墳

 石人石馬だが、右端にあるのは馬だ。最初蛙かと思ったそうだ。しかし、そう思うのは無理なさそうだが、武人、盾、靫があればあとは馬だろう。蛙の思いつきは幼稚であろう。

 後円部墳丘の最先端である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亡き父に捧げる

2009-08-24 01:51:44 | 花の絵

 一旦これで完成にしようと思ったのだが何か寂しい。

 そこで井桁を組んだ。様子が変る。こちらのほうがらしく見えるから面白いものである。次は両者を一枚の絵に描くつもりである。本物の青色はまだ咲かないが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亡き父に捧げる

2009-08-24 01:40:33 | 花の絵

 父が亡くなって二年二ヶ月になる。父が毎年育て私に自慢していた朝顔を私が引き継いで今育てている。今は赤色の花が咲いている。青色はまだだ。真っ赤な小さな朝鮮朝顔もまだである。

 去年に咲いたものを参考に青色を描いた。赤色は今年咲いたものである。
 芽を出し始めてずっと毎日その様子を写している。いまは殆どジャングル状態である。朝晩水は欠かさない。たっぷりやっている。それでか茎はしっかりし、花芽が沢山出ている。今年も父の朝顔を見ることが出来てよかった。来年はもう少し上手に咲かせようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-24 00:28:32 | 福岡 古墳

 石人石馬が草原の向う出古墳を見つめている。レプリカであろうがこの位置に在ったかどうかは判らぬ。八女古墳群の特徴はまさにこの石人石馬であろう。
 また、幾何学文様の装飾もである。

 後円部の頂点に向っている。堰堤部と周溝そして古墳部分とはっきりとそれが判る場所である。後円部の向うに岩戸山歴史資料館があり。、そちらに向っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-23 09:31:54 | 福岡 古墳

 岩戸山古墳の東方を見ていただくと判るように古墳群が横に並んでいる。本来八女の古墳は東から西へと延びていっているのである。このことは奥山から平地へと降りてきた。換言すればそれだけ力をつけて来て平野部を治める力がついてきたということである。最西端に到達したときは大和朝廷と結びついていたということでもあろう。ところが筑紫の磐井が現れるのである。
(全国古墳編年集成:1997 より)
 石人山の上のラインは400年、鶴見山の下のラインは600年である。

古事記継体天皇記
 この御世に筑紫の君石井(いはい)、天皇の命に従わずして・・・石井を殺したまひき。  このことを念頭にして考えてみるとこの後の話が面白くなるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする