街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-23 07:32:06 | 福岡 古墳

 駐車場から歩いてゆくと目の前が広がり草原(「くさっぱら」と読んでください)になる。風がさやさやと草を揺らし吹き渡ってゆく。
 と、目の前にそれは横たわる。樹木が生い茂っていてちょっとした森である。森の頭をなぞってゆくと確かに前方後円墳だと判る。
 写真では括れの部分と周溝がはっきりと見て取れる。向うが前方で手前が後円にあたる。

 この説明書きにもあるように墳丘だけで135メートル、全体で170メートルもあるのだからカメラなどに収まる訳がない。九州最大級とあるが、北部九州では最大である。それだけの古墳をどうして今まで訪れなかったのか。岩戸山古墳を目の当たりにして反省しきりである。それにしてもただただ感動。
 ついでに言うと九州一は西都原古墳群中にある女狭穂塚古墳である。
 
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石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-22 09:33:19 | 福岡 古墳

 石人山古墳から移動して岩戸山古墳へ向う。ところがだ。案内が悪くて簡単に辿り着くことが出来なかった。お恥ずかしい話だ。
 有名な古墳だからこう行けば必ず辿り着くような看板があると思ったのが大間違い。地図は頭に入っていたのだがなにせ24時間寝てなかったので頭の中が真っ白だ。灰色の脳細胞ならエルキュール・ポアロだが、真っ白ではどうにもならん。
 それでも千葉の御仁の感覚で道に出、ようやく辿り着いたのだった。不親切極まりないと二人で憤慨したのである。
 駐車場入口に立つ案内板である。これだけの古墳が集中しているのである。

 周辺を見渡すと果実畑で囲まれているのがよく判る。また、古墳の西には茶畑が広がりを見せる。さもありなん。八女茶の産地である。ということは石人山もそうであったようにここも丘陵地に築造されている。更に言えば、丘陵地に畑を造成するためにどれだけの古墳が失われ、或いは破壊されたのか、火を見るより明らかではないか。 
 それでも岩戸山古墳がどれだけ大切にされてきたかが後で判明するのだが。
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石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-21 02:12:41 | 福岡 古墳

 左上部に石人山、弘化谷の両古墳が位置する。東に目を転じてみると大きな前方後円墳が目に入る。これがあの有名な岩戸山古墳である。
 石人山、弘化谷はこれで見る限り最西端にあるようだ。これで判るように八女地方は古代の史跡、遺跡の宝庫と言うことができる。
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石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-21 01:29:33 | 福岡 古墳
 
 石人山古墳横にある弘化谷古墳石室壁画レプリカである。 幾何学文様が目につくうえ、九州独特の文様が見られる。上部には矢筒( 靫 ゆき と読む)が描かれてある。この弘化谷古墳は円墳で八女地方で最大級でもある。
 石人山古墳横にあるのでこの被葬者の子孫、関係者であろうと言われている。
このレプリカは広川町古墳公園資料館を入ってすぐの目の前にあるので圧倒されるかもしれない。見た瞬間チブサン古墳が頭をよぎった。
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FABERr-CASTELL (ファーバー カステル)

2009-08-20 09:30:45 | 花の絵

 ファーバー カステル
表である。日本語などない。独、仏、英、西、伊(順番は違うが)で書かれている様だが読めねーよ。

 裏である。今日初めて見た。よく見ると日本語が書いてある。ほっとする。説明ではなく注意書きである。 そんなことはどうでもよいがこれは素晴しい鉛筆である。
 
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亡き父に捧げる

2009-08-20 08:46:10 | 花の絵

 父の朝顔が今年も咲いた。毎年朝顔を描いてきたが今回のは以前とがらっと違っているというのがお判りになれると思う。鉛筆を変えたのである。
 ファーバー カステル (since1761) というドイツのメーカーである。

 私の母が援助してくれたのである。有難く頂戴してすぐさま買いに行ったのである。それから朝顔をデッサンした。ところがなかなか手を付けられずにいた。失敗を恐れたからである。と言ったって描かねば始まらぬ。心を決めて一本の線を引いてみた。素晴しいの一言だった。今までのはいったい何だったのだろうと思ってしまった。すべて描き直しではないかと思ったくらいである。
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石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-20 07:32:56 | 福岡 古墳

 広川町古墳公園資料館のパンフレットからである。括れの部分のすぐ上に小さな赤い四角がある。これが石人のいる所で、その後の少し大きな四角が石室のある場所である。ご覧のように石室は後円部のほぼ頂上にあるのがわかる。これでは古墳の大きさが測れないので看板をご覧頂こう。

 この説明文に書かれていないが括れの北の部分に「造り出し」がある。当然に南の部分にもそれはあったのであろうが今は痕跡が判らないらしい。
 丘陵地を利用して造られているので近くによっても古墳とは判りにくい。傍によると尚更で、100mを超すともうそれは小山である。
 以前にも紹介したことがあるが沖出古墳などは見渡すことが出来るのでそれと判るのだが、ここはそれが出来ない。周囲を歩いて初めて判るのである。
 何年か前に岡山の造山、作山古墳を訪れたことがあるが、山である。真横から、しかもだいぶ離れて見ないと判るものではない。
 八女地方にこれだけ大きな古墳を造るだけの力を持った者がいたということだ。
ただし、筑紫の君磐井ではない。
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石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-19 10:01:50 | 福岡 古墳

 石室の中には家形石棺が納められている。蓋には重圏文(二重丸の文様)、直孤文のレリーフが見られる。石棺も石室も赤色に塗られていたそうで恐らく魔除だったのではないだろうか。石棺を朱塗りにしたものは佐賀県九里双水古墳にも見られるのである。

 盗掘され石室が開口していたのでこの様な建物を造って管理しているのである。
しかし、洋風で、扉の上に注連縄が張られている。どうもピンとこない。まさか行き当たりばったりで急造したわけではあるまいが。見るからに不気味だ。
 傍によると群がってくるものがある。まつわりついてくる。崇りか。
薮蚊の大群だ。石人が守るより自然に守らせた方がいいように思えるのだ。すぐさま退散したことは言うまでもない。
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ランデブー

2009-08-18 10:59:16 | Weblog

 懐かしい言葉である。月と金星が殆ど同時に昇ってきた。ランデブーである。
今時ではツゥーショットとでも言うのか。残念ながら昔人間な者なので今時の言葉はよく判らない。日本人なのだが、どうしても人種が違うのかと思ったりする。
 最近のアナウンサーもある種異人である。こんなことはどうでもいいのだがどうしても言葉遣いの事に触れてしまう。
 写真は携帯で撮るものだからどうしようもないが。

 昨年12月2日に会合があった。月、金星、木星のランデブーだった。時間は18時頃だった。この時金星は宵の明星である。今回の写真は明の明星だ。木星はというと夜半の明星の名の如く真夜中の空にふんぞり返っている。
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石人山 岩戸山古墳に行く

2009-08-18 09:33:00 | 福岡 古墳

 石碑が立っている。この石碑を読んでいただければ石人山古墳を垣間見ることが出来るであろう。

 残念ではあるが古墳の殆どが盗掘されている。また、石人等も城の石垣などに利用されたりして当時のものを見ることは不可能と言っていい。ただ、石室を守る石人だけは、ある種信心物に思われていただけに利用されなかったのであろう。
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