かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

仙台ぶらぶらその3 瑞巌寺&五大堂

2011年01月07日 | Tohoku ( Japan )



仙台2日目は、松島に行くことにした。駅に向かっていたら、初売り2日目で、侍の格好をしたキャラ達が、呼び込みをしていた。”伊達武将隊”というおもてなし集団のようだ。姿を見ると、伊達政宗、片倉小十郎、馬之助、与六の4名か?どこも、観光誘致に熱心だ。



松島に来たら、まずは、瑞巌寺。平安時代の創建だが、伊達政宗公のサポートで、押しも押されぬ大寺になった。
本堂は、平成の大修理で、非公開だが、同じく国宝の庫裏は公開中。台所で、大屋根の上の煙出しが特徴。
その奥の大書院も見学ができ、そこに伊達家代々の位牌が納められているが、その巨大さに驚かされる。宝物館にも、さまざまな伊達家ゆかりの品々が展示されているが、戦国時代の武将達の書状なども興味深い。

庫裏の右奥に陽徳院御霊屋があって、これも特別公開。初めて見たが、平成18年から3年かけて再建されたというから、まだできたてのほやほやだ。瑞鳳殿を一回り小さくしたような感じ。政宗公の正室の墓堂である。豪華さは、変わらない。



松島に行ったらもう一つ訪れるであろうところが五大堂。
五大堂縁起にはこうある。

”平安時代の初期の807年、坂上田村麻呂がこの島に毘沙門堂を建て、828年、慈覚大師が瑞巌寺の前身・松島寺を建てて、ここに五大明王を祀り、五大堂と呼ぶようになった。
現在の建物は、1604年、伊達政宗が紀州(和歌山県)の名工鶴衛門家次に命じて建立した。方三間の宝形造で、四方に勾欄つきの縁を巡らし、正面に向拝をつける。内部に重厚な家形厨子を置き、五大明王像を安置する。
有名な蟇股(かえるまた)の彫刻など、雄健な桃山建築として、国重要文化財に指定されている。”



一件、こじんまりとした、地味なお堂に見えるが、なかなかの由緒を持った建物なのである。

去年なくなられた井上ひさしさんの小説”青葉繁れる”にも、この五大堂が出てきたように記憶するが、何の場面か、忘れてしまった。もう一度読み返したいようにも思うが、まだ売っているのかな?

コメント
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