かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

三島由紀夫

2020年10月26日 | Books
昨日と、3日前の投稿が、写真を残して消えてしまった。
日記だから、何を書いたか詳しくは覚えていないのだが、アップしなおそうと思っている。
デジタルは、やはりいろんな意味で怖い。



三島由紀夫が割腹自殺を遂げてから、この25日で、50年だそうだ。
当時小学校から帰ったら、母親が、テレビを食い入るようにして見ていたのを思い出す。
当時は、三島由紀夫という人を知らなかった。

先日紹介したジョンとヨーコのインタビューはその翌年のものだが、ヨーコの発言や、左翼運動への関わりにも、三島の影響(共に学習院卒)が感じられるか。

本書は、新書ながら、三島の作品とその背景、その背景にある思想、考え方を、新情報をふんだんに交えて評論している。
やや難解なところもあるが、大学時代、三島のほとんどの小説、戯曲を読破した私としては、感動の一冊だった。

三島の行動は、あまりにも奇異で、突飛で、理解に苦しむところが多いが、その行動の幹を前意味論的欲動によるものとして、議論を展開している。
そもそも、この言葉自体が難しいのだが、悲劇的なもの、身を挺するという意味で使っている。

私はいろんな作品、写真集を見て、ナルシシズムを感じていたのだが、どうも全くお角違いのようで、もっと素朴な純粋なその時々の気持ちから、具体的な行動、制作をしていたことが分かってきて、そういった意味では、壮絶な最期を迎えたため、研究が深化したということになる。

いろんな話が出ていてあげるときりないが、東大法学部出と聞いていたので、凄く頭が切れる人かと思っていたら、頭が切れるのには間違いないが、学習院からの推薦枠で入って、その後も、小説家としての特異な才能は発揮していたものの、小説家として自立しようと決心したのは、卒業後、役所務めを数年してからのことだという。

作品群が、時代順に取り上げれ、その意味、意義が語られるが、その多彩さ、その背景となっている、三島の人生・思想の変化には、全くもって、感嘆させられる。

最後について、三島がどこまで真剣に実行に移そうとしていたかは定かではないものの、衝動的なものであった可能性も、否定できない。ただ、その思想は、若い頃から心の奥底に眠っていて、作品の端々に表れていたものだ。
皇居で、自刃するアイデアもあったようだが、どこまで本気だったかわからず、結果、1970年11月25日となった。

川端がノーベル賞を取って、もう自分にはないと諦めた時から、針は進んでしまったのかもしれない。

ご家族、川端、そして多くの読者は、”残されたもの”になり、放り出された感覚のまま50年が経過した今も、三島が投げかけた問いに対する答えは、出ていないと感じた。
一般読者を対象としながら、凄くレベルの高い本だ。
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ウィントン・マルサリスはほんとにジャズを殺したのか?

2020年10月25日 | Music
本投稿は、復刻版。
おとといの分も含めて、なぜか、本文のみ消えてしまった。
標題や、写真は、残っていて謎だ。
何を書いたか覚えていないので、悪しからず。

本投稿日は、好天で、ゴルフだったが、スコアは、さっぱり。



さて、本書は、中山さんが、亡くなられてすぐ出た本。
遺作となった。

その内容は、遺作とは思えない勢いで、ウィントンの半生と、ジャズの世界の動きを、並べながら、見事に描き切っている。
後書きによれば、2年間がん闘病しながら、執筆活動はふつうに続けていたという。
読者は、ほとんど知らなかったろう。

そして、本書の題名は、ジャズの世界と、ウィントンの生まれたタイミングから来る。
ジャズが古い音楽となりかけていた時期。
ウィントンも元は、クラシックの世界にいた。
ところが大学で、ジャズに出会い、その驚異的なテクニック(クラシックの世界ですでに有名だった)で、人気を得る。
最初のアルバムは、初来日公演の時、録音されたものを中心に作られ、日本との縁も深い。
マイルスの後継者的な見られ方もして、爆発的な人気を得るのだが、そこから、外から見ると迷走が始まる。
クラシックを出し、ジャズファンからは、日和ったといわれ(ルーツの音楽を出しただけなのだが)、アニメや、クリスマスソンブなど、高尚とは思われていなかった曲を出し、追っかけファンを失っていく。
CD時代の到来と、ウィントンの活躍のタイミングが、同時だったことも、アナログ向きと考えられているジャズには、逆風だった。今は、ずいぶん変わったが。

特に、日本では、その傾向が顕著だった。アメリカでは、コアなジャズファンの人気は、得続けていた。

昨年彼の20年以上振りの日本公演に行けたが、会場と一体となったすばらしいコンサートだった。
彼も、日本にコアなファンが残っていた?ことを知り、感動したのではないか。
私が知ったのは、エリックとの共演アルバムが出た時だが。

ますますの活躍に期待。
私よりも年下‼
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山中千尋

2020年10月24日 | Music


今日は、いい天気。
と言っても、ネットの会議が二つあって、その他諸々で、日中は、潰れた。
夜は、久しぶりの、山中千尋さんのコンサート。
世界を飛び回っている彼女にとって、感無量のコンサートだったようで、大熱演。



古いのから、新しいのまで、アレンジも変えて、メンバーも変えて、髪の色も変えて?、新たなスタートを切ったようなイメージ。
実は、新作ゲット済みなのだが、まだ聞けてない。
新作からも、2曲やったが、名曲のアレンジ。
彼女の場合、アレンジといっても、ほとんど、原型を留めない?
いつもの八木節もやったが、聞くたびに、印象が違う。

だから、また行きたくなる。
50%のキャパだが、もちろんソールドアウト。
ロンドンで見た時と同様、熱心なファンが、多いように思う。
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道教思想10講

2020年10月23日 | Books


道教(Taoism)という宗教があることは、知っていたけれど、それが何なのかは、全く知らなかった。
岩波新書で、入門書らしきものが出たので、早速ゲット。
結論から言うと、もやもや感は、残ったまま。
でも少し雰囲気は、わかった。
宗教というよりはという感じだが。それが、本書の題名にも現れているのかもしれない。

道教は、老子が始めたとされるが、紀元1世紀頃には、すでにその存在もあいまいなものになっていた。しかし、仙人思想と相まって、教えとしては、引き継がれ、唐の時代にはピークを迎えていたのだそうだ。
唐の時代というと、仏教全盛と思っていたのだが。
当然、遣唐使もその思想は、知っていたのだが、結局仏教を伝えることとなった。
というより、道教がその時点では、かなり仏教の教えを取り入れた形に変化していたらしい。

当初、道教は、儒教、仏教と共に3宗教とされていたが、宗教としてはだんだん廃れたというか、他の宗教と同化していき、仙人思想的な面とか、長生きするための健康法的なところが、道教独自のものとして、引き継がれていくことになった。
仏教には、因果応報とか、真理を追究する姿勢があったが、道教は、自然を重んじる(泰然自若?)教えのため(かつては、仏教に似た論理を作ろうとしたようだが、残らなかった)、そのために修行を積むこともなかった。
理論的な宗教ではなかったと言えるかもしれない。
ヨガ的なイメージかもしれない。
そのため、道教として残ることがなくその教えが、我々の考え方の根底や、他の宗教に引き継がれれる中で、染みつくように残ったと表現したらいいか。

ということで、一つの大きな幹のある宗教としては、過去ものと理解したが、やはりもやもや?
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シルクロード世界史

2020年10月22日 | Books


本書も復刻盤。
全部消えてしまったのなら間違いで、削除ということもあるかもしれないが、表題と写真と拍手は、残っているので、何が起こったのか、まったくわからない。

本書は、新聞の広告で、知ったのだが、著者は、かつて読んだ「興亡の世界史(シルクロードと唐)」の著者の森安さんだった。

まず、最初に世界史の視点の変更を迫られる。いわれて見るとその通りで、我々が習った世界史は、中国史であり、西欧史なのだが、実は、世界史の真ん中は、シルクロードにある。
その後、しかもADになってから、勢力を得た地域を中心の世界史を学んでいるので、シルクロードは、辺境の歴史となってしまっている。
中国から見た匈奴など典型で、中国を支配した期間はむしろ草原の民による期間の方が長かった。これは、騎馬の力が強い。
その他、中国が誇る文明も中華ではなく、シルクロードで発明されたものが多い。

前置きが長くなったが、本書で改めて気づかされるのはソグド人の影響の大きさ。
そして、マニ教という今は、忘れ去られた宗教が、栄えていた時代があったこと。
シルクロードによって、キリスト教、ゾロアスター教と共に伝わった。
その昔は、キリスト教と肩を並べるほどの隆盛を極めた。

ソグド人については、ソグド文字が発見され(森安氏はその解読の第一人者だという)、その生活振り、組織、思想などが、少しづづ明らかになってきている。まさに、シルクロードの繁栄を支えた民族だった。
何故かペルシャ人と混同されるようになり、埋もれていった。
正倉院御物にも、誤って解釈されている可能性があるという。

そして、マニ教は、なんと日本に伝えられた仏画に紛れ込んでいて、21世紀になって、次々と発見されたのだという。キリスト像ではないかと考えられたこともある。

シルクロードのダイナミズムを感じさせてくれるすばらしい書。

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