古いピアノのあったかコンサートへ
主人と実家の母親・母の友達と聴きに行ってきた
このコンサートで使用されたグランドピアノは
大正初期に製造されたヤマハ製。
日本で製造され現存しているピアノのうち、
最も古いクラスのコンサート用グランドピアノ。
今は珍しい6本足のピアノである。
1945年8月6日、広島の爆心地から約2キロ離れた小学校で被爆した。
バラバラの状態になったけれど ピアノの心臓部、共鳴板が奇跡的に
助かったため、戦後、「焼け跡に音楽を」と大掛かりな修復が施されたそうだ。
そして広島音楽学校(現エリザベート音大)の草創期を支えてきた。
現在、広島市在住のピアノ調律師・矢川光則さんが所有し
平和のメッセージを伝えるため、全国にこの被爆ピアノのコンサートを
展開されている。
舞鶴市内在住のピアニスト及びピアノ教師が 素晴らしい演奏をされ
梅雨のうっとしさをふきとばしてくれた。
ほんとうに多くの観客で、後のひとは座る椅子がなく
立ったまま聴いてらした。
舞鶴市出身の作曲家、篠原真さんも お話と演奏をされた。
この方は東京芸大を卒業され、あの平原綾香を 中学校時代から指導した先生。
平原綾香って
ホルスト作曲の「惑星 木星」に日本語歌詞をつけて
歌った 才能ある女性ですよね
この篠原真さんの演奏も とっても素晴らしかった。
平和のピアノの音色が みんなの心の奥深くに染み渡っていった
日本の唱歌「赤とんぼ」と「ふるさと」を
ジャズ風にアレンジされて演奏されたが、
不覚にもハラハラと涙が次から次から流れて止まらなかった。
静寂のなか、ピアノの音色と一緒に
たくさんのすすり泣きが 聞こえてきた。
こんなにも美しい詩と旋律が 世界のどこにあるかなあと
思うくらい 人の心を揺さぶるものがあった。
私の住んでる舞鶴は 引き揚げ港で有名なまち。
疲労と悲しみに打ちひしがれたひと(引揚者)を
暖かく受け入れた 優しいまちなの
引き揚げのときに 舞鶴のあらゆる道路や汽車の中で
人々が口ずさむ「赤とんぼ」が溢れたそうです
音楽は 人の心と心をつなぐもの。
皆様の街にも 被爆ピアノがやってきたら、
是非、聴きに出掛けてくださいね
主人と実家の母親・母の友達と聴きに行ってきた
このコンサートで使用されたグランドピアノは
大正初期に製造されたヤマハ製。
日本で製造され現存しているピアノのうち、
最も古いクラスのコンサート用グランドピアノ。
今は珍しい6本足のピアノである。
1945年8月6日、広島の爆心地から約2キロ離れた小学校で被爆した。
バラバラの状態になったけれど ピアノの心臓部、共鳴板が奇跡的に
助かったため、戦後、「焼け跡に音楽を」と大掛かりな修復が施されたそうだ。
そして広島音楽学校(現エリザベート音大)の草創期を支えてきた。
現在、広島市在住のピアノ調律師・矢川光則さんが所有し
平和のメッセージを伝えるため、全国にこの被爆ピアノのコンサートを
展開されている。
舞鶴市内在住のピアニスト及びピアノ教師が 素晴らしい演奏をされ
梅雨のうっとしさをふきとばしてくれた。
ほんとうに多くの観客で、後のひとは座る椅子がなく
立ったまま聴いてらした。
舞鶴市出身の作曲家、篠原真さんも お話と演奏をされた。
この方は東京芸大を卒業され、あの平原綾香を 中学校時代から指導した先生。
平原綾香って
ホルスト作曲の「惑星 木星」に日本語歌詞をつけて
歌った 才能ある女性ですよね
この篠原真さんの演奏も とっても素晴らしかった。
平和のピアノの音色が みんなの心の奥深くに染み渡っていった
日本の唱歌「赤とんぼ」と「ふるさと」を
ジャズ風にアレンジされて演奏されたが、
不覚にもハラハラと涙が次から次から流れて止まらなかった。
静寂のなか、ピアノの音色と一緒に
たくさんのすすり泣きが 聞こえてきた。
こんなにも美しい詩と旋律が 世界のどこにあるかなあと
思うくらい 人の心を揺さぶるものがあった。
私の住んでる舞鶴は 引き揚げ港で有名なまち。
疲労と悲しみに打ちひしがれたひと(引揚者)を
暖かく受け入れた 優しいまちなの
引き揚げのときに 舞鶴のあらゆる道路や汽車の中で
人々が口ずさむ「赤とんぼ」が溢れたそうです
音楽は 人の心と心をつなぐもの。
皆様の街にも 被爆ピアノがやってきたら、
是非、聴きに出掛けてくださいね