森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

八月葉月は光がきらり

2007-08-01 10:24:28 | ’08/12/7までの未整理日記

 

 八月葉月は光がきらリ

 

―アンリ・ルソーは好きですか。

 

ルソーのお客はね、肉屋なの。

それが今では、お札と言う紙の束が、

彼の絵の前に詰まれるんだよ。

一枚二枚って、数えられないよ。

だって、億枚もあるんだよ。

お金、数えて日が暮れちゃう。

風吹いたら過ぎていく、人生が終わっちまうよ。

 

              ―そんな事、水辺の穂が囁いていた。

 

 夏が来ると、必ず彼の絵を思い出す。学生時代に「アンデパンダン展」と言う展覧会を観に行った。それは、今もあるそれではなくて、その展覧会から世に出てきた人たちの展覧会だった。そこで、私はアンリ・ルソーと出合った。

 

 一言、またも抽象的な言い方で言うと「エ~」と言う感想。または、「何こりゃ」と言う感想。

 

 でも、私の感性は正しい。これは、彼がアンデパンダンに出品していた頃、その絵に群がった人々の多くの感想だったと思う。

 

 不思議な気持ちのまま、私はその会場を後にしたが、記憶の中に留まった彼の絵は、静かに私の感覚の中に浸透して言った。それは、ムンクの「叫び」やゴッホの「ひまわり」のように、神経を逆撫ぜしながら、記憶から消滅させたい衝動に駆られながら、やがて負けて、認めると言うものではない。

 

 やがて、ある夏の日、私は八月の濃い緑の森の風景に、彼の絵を感じてしまった事があった。まるで、その風景は彼の絵そのものだった。

その時から、夏の濃い緑を見るたびに、私は彼の絵のことを思い出している。

 

彼の絵は現実とは切り離されたような、または無風、そんな感じがする。だけれど、独特の視点に切り取られた、そのシーンは現実の風景の紛れもない凝縮なのかも知れない。

 

だけど、私が思っている絵が見つからない。だから、写真も森の緑ではない。

かなり記事とはイメージの違う作品だけど、これは如何。

 

                 

                    

 

 <・・・この絵を観て、『え~、なんだコリャ』とおもったわけではありませんよ。あしからず>

 

今日から八月。やっと暑さも本格的ですね。夏を楽しみたいですね。


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