八月葉月は光がきらリ
―アンリ・ルソーは好きですか。
ルソーのお客はね、肉屋なの。
それが今では、お札と言う紙の束が、
彼の絵の前に詰まれるんだよ。
一枚二枚って、数えられないよ。
だって、億枚もあるんだよ。
お金、数えて日が暮れちゃう。
風吹いたら過ぎていく、人生が終わっちまうよ。
―そんな事、水辺の穂が囁いていた。
夏が来ると、必ず彼の絵を思い出す。学生時代に「アンデパンダン展」と言う展覧会を観に行った。それは、今もあるそれではなくて、その展覧会から世に出てきた人たちの展覧会だった。そこで、私はアンリ・ルソーと出合った。
一言、またも抽象的な言い方で言うと「エ~」と言う感想。または、「何こりゃ」と言う感想。
でも、私の感性は正しい。これは、彼がアンデパンダンに出品していた頃、その絵に群がった人々の多くの感想だったと思う。
不思議な気持ちのまま、私はその会場を後にしたが、記憶の中に留まった彼の絵は、静かに私の感覚の中に浸透して言った。それは、ムンクの「叫び」やゴッホの「ひまわり」のように、神経を逆撫ぜしながら、記憶から消滅させたい衝動に駆られながら、やがて負けて、認めると言うものではない。
やがて、ある夏の日、私は八月の濃い緑の森の風景に、彼の絵を感じてしまった事があった。まるで、その風景は彼の絵そのものだった。
その時から、夏の濃い緑を見るたびに、私は彼の絵のことを思い出している。
彼の絵は現実とは切り離されたような、または無風、そんな感じがする。だけれど、独特の視点に切り取られた、そのシーンは現実の風景の紛れもない凝縮なのかも知れない。
だけど、私が思っている絵が見つからない。だから、写真も森の緑ではない。
かなり記事とはイメージの違う作品だけど、これは如何。
<・・・この絵を観て、『え~、なんだコリャ』とおもったわけではありませんよ。あしからず>
今日から八月。やっと暑さも本格的ですね。夏を楽しみたいですね。