森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ワーズワースの詩

2007-09-22 00:27:18 | 思いつくまま

<映画の『ミス・ポター』でも映し出されていた、素敵な湖水地方。そこは、ピーターラビットのものだけではない。湖水地方で居を構え精力的に創作活動をしていた詩人、ワーズワースの詩について、少し記しておきたいと思う。>

 

A Rainbow

 

My heart leaps up when I behold   

A rainbow in the sky:

So was it when my life began,

So is it now I am a man,

So be it when I shall grow old,   

Or let me die!

The child is father of the Man:

And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.

 

 

     

 

空の虹を見ると
心が弾む
僕の人生が始まったときもそうだった
僕が大人になった今もそうだ
僕が年老いたときもきっと心弾むだろう
さもなければ僕に死をあたえよ
子供は大人の父なのだ
僕がこれから迎える日々が
けいけん自然への敬慶な気持ちで満たされますよう
(和訳:安井京子)

 

>The child is father of the Man:

この言葉には、共鳴する方も多いのでは・・・

またはこちらかしら。

>So be it when I shall grow old,   

・・・・

ささやかなものにも、心動く生き方をしていきたいものですよね。意外と難しいことなんだと思いますよ。

私は若い頃、ゼリーを食べる時、その最初の形からも、食べている時の断面からも、例えようもない美しさを感じて、常に感動しながら食べていました。感動は人に伝染します。その時私と一緒にゼリーを食べていた人は幸運だと思います。   ・・・?
「見て、完璧だと思わない。」
「ホントだ、素敵!!」
ある意味催眠誘導かも知れないです。

でも、私の中で、ゼリーに感動していた私は死んでしまいました。何も感じません。ゼリーはゼリーであって、美味しいかそうでないかでしか判断されないものになってしまいました。

かくのごとく、感性の泡ははじけて消えていってしまうものかも知れません。

「近頃、何に対しても心動かないのよ。」などと言う友人に対して哀れんでいないで、自分の感性の泡を増殖させなければとか、思う日々だったりもします。

自然への敬慶な気持ちとゼリーの譬えは、少し遠い譬えかもしれませんが・・・・

 

コメント (2)
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