森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ある日・・5≪ココが教えてくれた事≫

2009-11-24 08:54:29 | 家族スナップ

凄く間が空いてしまいましたが、「ある日・・4」の続きです。

今月はちょっとだけお休みさせていただきましたが、その時の「疲れました」の記事の中に
今、私はこのブログでは「ある日・・」と言う最後まで書いたら全体が見えてくると言う、心情日記を書いています。と言っても今の段階では、とてもそうは見えませんが。おとといの夜、その〆の記事を書き始めた所、ふと犬のココちゃんの話を書かなくてはいけない様な気がして、中断しました。
と書かせていただきました。以下は、その時、つまりココが死ぬとは思っていなかったときに書こうと思った内容です。

 

 今年の夏、私は犬のココが死ぬ夢を見ました。
このことは、前に書いたことがあります。彼女を新聞紙でくるんだら、まるで傘のように細くなってしまって、私は夢の中で目が痛くなるまで泣きました。

フロイトの夢判断を鵜呑みにはしていませんが、「死」に関しての夢の考えは、当たっているんじゃないかと思っています。要するに、「大切」である事の確認です。

ココは、時にはご飯のある器までの1mも歩けない日もあったりするような老犬です。長生きで元気な犬もいますが、とにかく我が家のココちゃんはヨロヨロです。時には私の意識の中で、この老犬は影が薄くなっている時もあったのでした。または単なるお世話係になってしまっている事に、寂しさを感じる事もあったのです。もう少しはっきり言うと、排泄物を食べてしまったり、体に擦り付けたりするこの老犬は、時には私には憂鬱な存在でもありました。(「時には」と言う言葉だらけですが、「いつも」ではないからです。)

だけどこの犬は、自己主張もせず大人しく我侭に吠えた事がありません。

でも、ある日悲しい叫び声をあげたのです。クウクウウと。二度三度。私は吃驚して、彼女を抱きしめ背中をさすり、ああ、とうとうこの時が来たと思いました。夢はお告げであったのだと思いました。思わず涙がジワッと目頭に浮かんできました。夢の中のように号泣ではありませんでした。

でも、涙ぐみながら私は言いました。

「ココちゃん、今までありがとう・・・」

するとココは言いました。

「へっ!?」って。

もちろん犬は日本語は喋りません。でも、犬や猫を飼っている人なら、きっと私の話は分かるはずです。言葉は発声しなくても、彼らは何かをきっと言っています。そしてそれは不思議なほど伝わってくるのです。

で、犬は言いました。

「へっ!? あたし死にませんけど、何か?」

思わずワタクシ言ってしまいました。

「あら、そう。それはどうもすみませんでした。お詫びにジャーキー食べる?」

「早くお寄越し!!」

で、その時は大いなる誤解だったのですが、この夏、私はこの後も彼女が死ぬ夢を二回も見て、その度に夢の中で声を上げて、肩を震わせて私は泣きました。朝が来て目覚めると、私はそっとカーテンを開きココの寝ている姿をじっと見つめました。死んだように動かないココ。でもその腹部はかすかに膨らんでは元に戻り、彼女がしっかり息をしているのだと分かり、その動くお腹を見ていると、私はほっと安心するのでした。

でも、どうしてこの夏三回も、そんな夢を私は見たのだろうと思いました。

その犬のかすかに動く腹を見ながら、私はその夢が私に何かを伝えているのだと思いました。

今私はいくつかの憂鬱を抱えていました。でも嫌な事や憂鬱な出来事、つまり精神的苦痛は、目を背けたり排除すれば良いと言うものではなくしっかりと向き合うべきなのだと、その夢は私に教えてくれたように思ったのでした。

例えば仕事でも、あまりにも非常識な事をやってのらりくらりと逃げている人がいましたが、私は数ヶ月我慢に我慢を重ね、ある日心も声も言葉も鬼のように変化させ電話にて切り捨て宣言をしました。でも、結局は切り捨てる事はできませんでした。「懲りない女」と、時に言われています。でも会って深く話し合い、そして解決しました。

私はその時、私からあんなに怖い(子供を叱り付ける様な)電話が行って、よく家に来る勇気が出せたなと感心に思い、その事を思わず褒めてしまいました。変な事言っていますが、私だったら落ち込んで震えが来てしまいます。だけどその人は、私は怖くなくて、どうしたら良いのかと悩んでいたので電話を貰って嬉しかった。(私の)家に来るのが楽しみで、早く今日が来ないかと思っていたと涙ぐみながら言ったのです。

時には人は、強い言葉で強い口調で自分を引っ張ってもらいたいもの。仮面社会に疲れたとき、本音トークにホッとする事もあるのかもしれません。

そして目を反らさずに向き合えば、しっかりと見えてくるものもあり、先に進めるものもあり、本当の気持ちに気がつくこともあるのですね。

とは言いつつ、私の一番の憂鬱に、私はしっかりと向き合うことが出来るのでしょうか・・・

 

と、こんな事を書こうと思った翌朝、ココは死んでいました。今思うと三度の夢は、これから起きることの警告の予知夢だったのかも知れません。夢の中であんなに泣いたのに、やっぱり私は声を上げて泣きました。でも夢も見ずに、いきなりその朝がやってきたら、辛さも数倍だっと思います。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする