森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

龍馬伝43回「船中八策」

2010-10-25 00:38:21 | ドラマ (大河)
なんて言うか、ますます後藤様ファン。
ミッチーが出てきたと言うのに、上川慎太郎様が涙していると言うのに、象二郎、頑張って~と言う応援モード。

やや、意外。
恋はそんなところから生まれる。恋じゃないけれど、あんなに憎たらしかった象二郎が龍馬側に回った途端に気になる人になってしまいました。
って、それ最近毎回言っているかもしれませんね。

今回も船の上で「船中八策」の書き物を読むシーンも萌えました。これについては後ほど述べる事にして、今回も見所一杯。ちょっと私的に遠いシーンから語らせていただきます。

私が後藤様と言っていたとしても、その本質は変わらず。弥太郎にとってはいつまでも自分を踏みつける大きな石のような象二郎でした。いつまでたっても、象二郎の好き勝手にやっている金銭面での尻拭いばっかり。
が、頭脳明晰弥太郎は気がついてしまうのです。この環境からいかにしたら抜け出せるのか。

グラバーにイギリス式商売の仕方を教えてくれと迫ります。

逆境はチャンス。

踏みつけられたからこそ跳ね返す力が沸くと、そんな教訓が伝わってきてしまいましたが、それでも私的には一番遠い、今日の弥太郎。
だって、いきなりラスト周辺に行ってしまいますが、グラバーが
「最初は日本人を軽蔑していた。だけど今は違う。日本を真剣に変えようとしている若者たちがいる。彼らは私欲を捨てて・・・」とありがち・平凡・だけど感動モードの言葉を言っていると言うのに、その横で目をギラギラさせて私欲丸出し、弥太郎が
「戦は必ず起きる。銃だ。大砲だ。ビジネスチャンスだ。」と言っているのですよ。

ドボーン。

もう楽しすぎますよ、弥太郎ちゃん。

「醜い、弥太郎!」
思わず、口に出てしまいました。
だけど、夫が
「いいじゃん、弥太郎だもの。こうでなくちゃ。」とフォロー。

確かに。

だけど目下の懸案は、11月まではこの弥太郎。12月になったら病床の子規。脳内転換が出来るかどうかがはなはだ疑問なのであります。まあ香川さんの演技力に期待するところです。


伊勢谷晋作亡き後、イケメン部門担当のミッチー大久保。
だけど思い通りにならない時の表情が「相棒」の尊とかぶって、思わず右京さんを探してしまいましたよ・・・・と言うのは嘘ですが、切れ者感が出ていましたね。

今回の「龍馬伝」、新撰組との大立ち回りがあったり、中岡慎太郎との相撲シーンがあったりで、ああ時代劇の醍醐味。
おりょうへの手紙シーンも良かったですね。
「京女に京土産こうてどうするんの。」と、ふとおりょうの顔に寂しさと不安の表情が浮かんで、それもまた切なかったりもしました。


今週の容ちゃん。モトイ、容堂公。何でこんな時に歯痛!?
まあ、この人は予定通りに行かない人なんです。

京に来て見れば、もう土佐に帰っていた容ちゃんでした。

さて、ざっとその他の部分は先に語りました。
今回、私の心にざらっと来たのは、2シーン。
両シーンともかなりゾクゾクしました。

その1は、薩摩との面談シーン。
龍馬と象二郎は、土佐が戦いに参戦すると思わせても、薩摩に「大政奉還を目指す」と言わせれば勝ちと臨みます。

「大政奉還」を口にする象二郎に、まず慎太郎が、それでは駄目だ、武力行使だと声を荒げて訴えますが、それを押し留めたのは西郷でした。

なんと薩摩の西郷、大久保、小松は、大政奉還を支持しても良いと言うのです。
なんという肩透かし。

だけど、このシーン怖い。
凄い心理戦。

「大政奉還を支持する。」だけど、上手くいかなかったら「土佐も挙兵する」と薩摩は密約を交わします。

薩摩は薩摩で、大政奉還を支持すると思わせても、土佐に挙兵すると言わせたら勝ちとやってきたのですね。

たぶん。

その2。
慎太郎が「船中八策」を読むところです。

今から見れば普通の事が書いてあるように思われます。でもその、普通の事を勝ち得ていくまで本当はどんなにか大変だったのか想像する事が出来ますね。
新しい考え、新しい発想に触れたときの感動は言い難いものがあります。

そこに書かれていたものは、龍馬が今まで会った人から学んだ事の集大成のようなものだったと思います。
でもそれらは、まさに新しい時代にふさわしい新しい考え方だったのです。

ちょっと話は違った事に飛びますが、先日、何の振りだったか、子供に「0を発見したインド人」のお話をしてあげました。
今を生きる私たちには「0」なんて当たり前の発想ですが、そうではなかった時代があり、それを発見した事により、数学の世界は劇的に進化したのだと伝えました。

私はなぜか今回の龍馬伝で、その事を連想してしまいました。

後藤様も然り、慎太郎も然り、その文に触れた時の驚き方が、ちょっと大げさすぎないかと思うくらいでした。でもそれは、上記に書いたような心揺さぶるものがあったからだと思います。そして彼らは読んですぐにその価値が分かる、素養のある人たちだったのも素晴らしいと思いました。
だがしかし、この物語を作った人は、そう思われたくなかったのに違いありません。
なぜなら、相撲部屋の男が、その読む内容に耳を澄まし号泣するからです。

平易な文章と言うものは大切です。大事な文章ほど、難しく書いてはいけないのです。
と思わぬことも学習してしまいます。

「こんな世の中になるのなら・・・」と泣く男。

と、するならば、ここに書いてあることが実現すれば、男も号泣するユートピアが来るということでしょうか。

と言うことは、私たちは今、昔の人が望んだユートピアに住んでいるのでしょうか。

誰もが笑って暮らしている国に、私たちは住んでいるのでしょうか。


このシーン、とっても感動しました。でも今、書いていると違った想いも沸き起こってくるのも確かです。

「ニッポン男子よ、龍馬になれ!」なんてコピーを思わずはりたくなってしまいます。


で、龍馬暗殺まで5ヶ月を切ってしまったと言う弥太郎のナレーションで思わずドキドキ。



コメント (6)
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