世の中には、なんとなく心を救う言葉がある。
その中のひとつに、この「虹の橋を渡る」と言う言葉があると思う。
この言葉が生まれたいきさつは知らないが、家族のように愛する、いや、余り恵まれてもいなかったペットや動物たちが亡くなった時にも、こんな風に言うらしい。
家族のように愛してきたペットが死んだ時、その悲しみは思いがけずに深く、又ぽっかりと空いた穴はそうそうには埋まらない。
そんな時に
「・・・チャンは、虹の橋を渡っていきました。」と言うと、なんとなく少しだけホッと出来るような気がする。
渡って行った先で、きっとまた幸せに生きているのだという夢を見る事が出来るからだろうか。
生きとし生きる者には死は必ずやって来て、時にはその間際のその道に至るまでは苦痛が伴う事も多い。虹の橋を渡っていくものたちはその苦痛からも解放されて、微笑みながら走っていくに違いない。
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先日、友人たちで奥様ランチをした時に、自分たちのペットの話になりました。
その時友人が近所の人の話をしたのですが、近所の結構歳のいったお兄さんのお母さんがある日亡くなりました。それから1ヶ月もしないうちにそのうちの猫が死んでしまったのです。そのお兄さんが言うには、その猫が死んでしまった時の心に吹く隙間風は言いようが無いものがあったと言うのです。
皆その話を聞いてシミジミとしてしまいました。
「小さな体で支えているんだね。」と私が言うと、うんうんと皆で頷きました。
支えているのは家族。
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最近このブログは文章が綴れない時には、もも吉の記事を書こうと思っています。近頃ももちからもも吉と言うニックネームに変わりつつあるももです。
昨日も、もも吉の画像を編集していました。
その時メールが届きました。それはまったく関係がないメールだったのですが、それで昼に姉からメールが来ていたことを知りました。
姉の家の里華ちゃんがお昼に亡くなったと言う連絡でした。
里華ちゃんはシーズーで小さな犬です。
でもその小さな犬が、姉の家族を凄く支えていた時代があったことを知っているので、メールの
「今日は泣きくれています。」と言う言葉に、もらい泣きしそうになりました。
でも家族全員に愛されてずっと生きた里華ちゃんも幸せな一生を送ったと思います。
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そんな訳で、昨日はもも吉の画像は止めました。
「虹の橋を渡る」、その言葉を他のブログで見かけて上に書いたように心を救う言葉だと思っても、実は私は使えませんでした。たぶん私の中の死のイメージに関係していると思います。といっても悲惨なイメージと言うわけではありません。私は、例えばもも吉をうちの猫とは言うけれど、うちの子とかこの子とか言う事はありません。ももは猫であり、私は人間。家族のようなものであっても異種のものであり、お互いプライドを持って生きていると思うのです。異種であっても命と言う部分で対等です。
そして、私の死のイメージでは虹の橋を私は渡りません。だから我が家のココちゃんも、ピピちゃんも虹の橋は渡らないのです。
えっ、面倒くさいやつだって!?
まあ、そうかもね。
だけど、それなのに昨日姉にメールで
「虹の橋を渡った里華ちゃんのためにいっぱい泣いてください。」と返信してしまいました。
やっぱり、家族を支えてくれた犬や猫をなくした人には、心優しい言葉だと思ったからです。
ふと思ってしまったのですが、虹の橋のその下には、涙の川が流れているのでしょうか。
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その由来は分からないなどと言っていないで、調べてみました。
wikiの「虹の橋(詩)」←リンクしています。
などを参考にして欲しいと思います。その下の外部リンクの「虹の橋」の詩を読むと、その由来などが良く分かりました。
だけどこれを読むと、「虹の橋を渡っていきました」と言うのは発展的解釈なのが分かります。動物たちは渡らずにその麓で飼い主や、誰にも愛されなかった人を待っているのです。
私的には発展的解釈の方が好きで、本来の詩の方はちょっと苦手です。苦手ではありますが、ふと私は自分が書いた短い物語を思い出してしまいました。
それはちゃんと書こうと思いながら、そのラストしかとうとう書かなかった「猫の楽園」と言う物語です。「猫の・・」と付いているので猫限定のようですが、猫の犬の動物たちのと拡大解釈していただけたらと思います。
短いので読んでいただけたらと思います→ー猫の楽園ー
人間の楽園を見つけたら、猫が動物たちの楽園の場所を教えてくれるのです。
いつかその場所を見つけて、別れてしまった動物たちに再会できたならば、私はきっとこう言うと思います。
いつもいつも傍にいてくれたね、支えてくれたね、助けてくれたね。ありがとう、幸せだったよって。
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梢は歌う、「ベランダ日記」更新しました。→ベランダ日記12月【こぼれた種から】