のろのろゆっくり感想を書いています。
「家政婦のミタ」は今シーズン一番の話題作だったかなと思います。
一番の話題は、その高視聴率。
私はそこから勢いと言うものを学んだように思いました。ドラマの感想なのに固い事を・・・・
でも何からでも学んじゃうって言うのが、身についた習慣ってもんで・・・。
但し学んだ事を活かせるかは別問題なのでございます。
又もツイッターからの話をしてしまいますが、既に回数も重ねた途中から、何度も
「巷で話題の『家政婦のミタ』を今日から見てみます。」と言うツイートを見かけるようになりました。
つまり、最初は興味もなかった人たちが、世間での評判の高さを聞きつけて興味を持つようになったわけですね。
そして更に視聴率に拍車が掛かったと言うわけだと思います。
最終回の一回前は28.6の視聴率がありましたが、最終回前には総集編に近い特別篇が設けられ、最終回だけ見た人も多かったのではと思います。既にその視聴率が出ました。
なんと40.0。
大昔の紅白みたいじゃないですか。
「凄い」と言う噂が立てば、勢いをつけて数を上げていく。ブームを起こす勢いと言うものに、仕事をしている人は「何か」をそこに感じたのではないかと思ったりもしました。
物語の感想ですが、不思議な物語だと思いました。
コメディだと思っていたのに、いつの間にか感動ストーリーになっていました。
だけどいつも、なんとなくライター様に煙に巻かれているような気がしていました。
それでもドラマ的だましは好きなので、自ら好んで騙されて、毎回さめざめと泣いておりました。
特にミタさんが5分で語った壮絶人生は号泣ものでした。だって、炎の中から「ママ助けて」と子供の声がしたと言うのですよ。泣かないわけにはいかないですよ。だけど心の奥底のある部分では、「ちょっと~」と大爆笑している自分がいたのです。ミタさんの人生を笑っていたわけではありませんよ。これを書いていたライターさんの得意顔がふと脳裏に浮かんで、思わず表では大号泣、だけどいくつもある心のひだのそのひとつでは大爆笑をしていたと言うわけです。
なぜなら壮絶すぎますよ。
子供の頃、溺れそうになった自分を助けて死んでしまった父。それを灯(ミタさん)が殺したと思い込んだ実母に怨まれる。
そこからして、もう凄すぎる。
この部分を聞いた時、山岸涼子の「鬼来迎(きらいごう)」を思わず思い出してしまいました。
夜叉御前―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版) | |
山岸 凉子 | |
文藝春秋 |
この漫画は子供が生まれる前に読んだのですが、余りの怖さにブルブルと震えました。私が「怖い、怖い」と震えていたので、母がその内容を聞いて「そんな母親はいない。」と言ってくれたのが救いになりました。
だけど灯の母は、私の母が「いない」と言った母親・・・・・。
この先のミタさんの人生は、何も今更書かなくてもいいですよね。だって既にあちらこちらで紹介されているし、10人のうち4人の人が見たミタなんですからね。
その凄まじすぎる人生は、どう考えても昼ドラの内容に思えてなりませんでした。ちなみに昼ドラと言うのは凄いですねと、こんな所でその濃さを再確認してしまいました。灯の人生はまさに昼ドラのよう・・・。
かくして笑わない家政婦のミタが誕生したわけですが、物語の後半の灯の復活部分がインパクトが強すぎで、前半の阿須田家再生の物語の印象が薄くなってしまいました。だいたい阿須田家だって本当に「変」です。何故変と書かずに「」で括ったかと言うと、この家族を見ていると、いつかの年の一年をあらわす漢字の「変」と言う文字を思い浮かべてしまったからです。
お父さんは子供なんか要らなかったのに、優柔不断な正確なゆえに妻の凪子に押し切られての結婚。今まで父親の自覚も持てず、それを演じ続けていたことに苦痛を感じていたと言う、ダメお父さんでありながら、なんか現実にいそうな人でした。だけどそれならひとりにしておけばと思うのに、4人も子供がいるのですよ。
そうすると、お母さんは夫の恵一の愛をつなぎとめる為に次々と子供を産んだのだろうかと、つまり家庭に縛りつけるために4人も子供を産んだのだろうかと疑ってしまいます。だからその夫から離婚を切り出された時に、役に立たなかった子供たちのことを省みずもせずに死を選んでしまったのだろうかと嫌な気持ちがしていました。
だけどお母さんはずっと家を綺麗にし夫に尽くし子供たちを大切に育てていました。なんか奇妙な違和感をを感じていました。
だからミタさんが「お母様は事故で死んだのです。」と言うくだりは本当に泣けました。
そしてホッとしました。
この物語は、何げに灯の母といい凪子といい、男か子供かの二者選択をして男を選んでしまった悲劇のような気がなりませんでした。やっぱり男を選んではならんなと言う教訓と言うか・・・・
まあ、そんな事を考えるやつは極稀な事だと思います。
だけどうららちゃんはどうなんだろうと、又も考えてしまうわけです。男か子供か・・・と言っても、子供たちは姉の子供で姪と甥な訳ですから、子供たちを守る為に結婚を止めなくても良かったのではと思うのです。恵一と結婚なんてありえない事ですし。
ドラマの中では結婚を止めたことによって、相手の男性は幸せな決断が出来、メデタシメデタシになったわけで良かったわけですが、実際には彼女には他の人と結婚をして幸せになって貰いたかったです。もちろんあの気持ちのままではダメですが、自分も幸せになりながら、子供たちも守ってあげる事が出来る事が可能な事に気が付いて欲しかったと思います。
とにかく阿須田家は「変」な家でした。大人になりきれなかった父と母とその家族。夫の浮気が原因で自殺してしまった母と置いていかれた子供たち。それだけでチョーが付くほどシリアスな内容なのに、そこに笑わないロボットのような完璧に家事をこなすミタが要る。それだけでコメディになってしまう摩訶不思議さに嵌っていきました。
が、上にも書きましたが、ミタさんの秘密が分かってきた途端に、コメディではなくなってしまいました。
何だかどんどん罠に嵌っていくような気がしました。
私的には、その摩訶不思議さが気に入っていました。なぜなら笑わない家政婦ミタはロボットのように完璧。そして一つ一つのエピソードをこなして阿須田家は再生していくのですから。映像的にも月がどんどん満ちていく過程が、その不思議さを醸し出していたのです。
不思議さを裏打ちするように12月25日生まれのミタさんの事を、次男の海斗は三田をサンタと読ませて「サンタだったのかな」と言わせるのです。細かいことを言うと、私的にはこの思いつきは奇妙に気持ちが悪い。なぜならサンタクロースは12月25日生まれではないですよね。でもプレゼントに希衣のミタさんの石を渡すというのは素敵なエピソードでした。そしてお返しに渡した折り紙に書かれたメッセージに、又も涙が出てしまいました。
「ワタクシは希衣さんの事が大好きでした。」
そうして「変」だった阿須田家は見事に「変わり」、北極星のような道しるべであるみんなの家に帰って行く所で終わりです。
この時、あの「この坂を上ったら、木があります。」と言う歌詞にもっとメリハリの付いたメロディをつけて透き通った少年少女合唱団が歌うと言うバックと共にエンディングがあったら、そのサプライズにもっと感動できたのになと思ってしまいました。あっ、それは「11にんもいる」か・・・。
そして本当のラスト。これは「家政婦は見た」と同じ作りで、次の家に行く所で終わりです。一度は微笑んだミタさんですが、又元に戻っている雰囲気ですし、多くの人が続編を期待してしまうのではないかと思います。
でもやらないらしいですよ。
だけどこんなに人気があると、ライターさんがやらないつもりでも引っ張り出されてしまう事もあるかもしれませんよね。
ミタさんの過去がこれだけ晒された後では、どんな物語が出来るのか疑問です。ただ、もしも続編が出来るならば。ラスボス、灯の母が手付かずなので、そこが見所になるかもしれないと思うのです。
と言ってもやらないと言ってるのだから、やっぱり続編はないと思いますが。
えっ?
ミタさんが微笑んだシーンでは泣かなかったのかって?
ちょっとウルッとしかかったのですが、なんたって長い、長すぎる。あのシーン、子供たちにセリフを考えさせたと聞いたけれど、裏目に出たなと思いました。
だけど水曜日、楽しみに見てきました。終わってみると、なんかやっぱりライターさんに煙に巻かれたような気がしてしまいました。
だいたいミタさんはシレッと過去を語ったけれど、子供たちには聞かせるような話ではないし、まして本当に幼い子供に火事のシーンはキツイ、トラウマになるような話です。本当のミタさんだったら話すわけがないと思います。
要するに、これは子供たちが可愛かったから気が付かなかったけれど、大人達のメルヘンだったのかなと思いました。
だけど学校で「ミタごっこ」が流行っているそうですね。子供は何でも遊びですから。
と思ったら、姉は一人で「ミタごっこ」をしてるそうです。
「ここを片付けなさい。」
「承知いたしました。」
テキパキテキパキと家事をやる。
主婦には役に立ちそうです、ミタごっこ。