「キルトの家」は前編ではこれと言った感想も書かずに、三浦貴大繋がりで触れてみたので、その後編の感想は「見たよ」程度ですが書こうと思っていました。
日常の人間ドラマでありながら、そこにはいくつかの謎が隠されていました。若い駆け落ちカップルの謎は、時々入る写真が水に漂う映像で上澄みだけの予想がついていましたが、それがどのように入り込んでくるんだろうと思っていました。
「今」「今日」を描こうと思ったら、あの日の津波を外して書くことが不自然なのかも知れません。
東京まで行こうと思った二人が、途中で滞在した民宿のみんなや町の様子が良くて、此処は思った以上に居心地が良い、東京まで行かずに此処で暮らそうかと思った矢先に、あの津波に出会うのです。民宿で親切にしてくれた家族はみんないなくなり、昨日まで見ていた美しい町はゴミのようにぐちゃぐちゃになってしまったのです。
彼らは旅人だったから、そこを立ち去って東京に来ることが出来たのかもしれませんが、心の中には深い傷を追っていたのでした。
「妻が、妻が帰ってこない!」と必要以上に騒いだ空を見て、偏屈な感じの老人・橋場は、彼らの中にある傷を感じるのでした。それによって、若い夫婦が被災したことをみんなが知ることになるのです。
略奪愛で奪った妻だから、帰ってこないことに異常に不安を感じこの男はへたれなんだ程度に、私などは思っていたので、この展開は見事だったと思いました。
そして老人たちの慰め攻撃。
「老人は時々若い人に何かをあげたくなってしまうの、貰って~」と米を持ってくる美代。
自分の体験談を話し激励しようとする清子。
ビールで励まそうとする高義と道治。拾ってきたモノでオブジェを作って渡す秀一。
なんとなくみんな朴訥としていて温かかったです。
レモンの元夫の件は、新しい女性が出来てあっけなく解決してしまいました。過去のぐちゃぐちゃは深くは描かれませんでした。そのあっけなさにレモンは不満そうでしたが、バーのママに「良かったじゃない。」と慰められ「そうだよね。」と自分に納得させるシーンは女性の複雑な心境を現しているなと思いました。立ち去っていく夫の新しい女性が勝ち誇ったように微笑んだのが印象的でした。
家には決して人を呼ばない一枝。
その謎は、ゴミ部屋だったから・・・・ではありませんでした。
彼女の部屋の一部屋は父親の遺品で埋まっていたのです。二年経っても処分することが出来ずにいた彼女。それは彼女の中に父との事が決着がついていなかったからだったと思います。
彼女の父が残したメモ。大事な言葉でしたが、感想を書く気がなかったので一晩経ったら忘れてしまいました。
「私は一介の老人ではない。桜井恭一郎である。」でしたっけ?
忘れてしまったのですが、このシーン感動しました。これって老人ばかりではないんですよね。おばちゃんにもあることだし、おじさんたちにだってあるし、若い人たちだって同じようなことがある。ひと括りに纏められて、個の部分は軽視されることってたくさんあるじゃないですか。だけど老人は仕事などもリタイアして社会の中心からどんどん外れていき、軽く見られていると感じることが多くなっていくのかも知れません。
だからなのか歳を重ねるその途中の人たちは、やたら「私が、私が」「私って、私って」と言出だすのですよね、きっと。
物語の順ではありませんが、一枝と橋場との静かな愛も良かったです。気に入ったものがあったから遺品を貰いに良くと口実をつけて一枝を訪ねていく橋場。そんな橋場の気持ちに、一枝も自分の気持ちに踏ん切りをつけ先に進めそうでした。ほっぺにチューしては可愛かったですね。いくつになってもそう言うことが言えるのって、凄いななんてリアルに考え、ちょっと照れてしまいました。
そして老人たちとの別れ。
一人は大阪の息子の家に行くことが決まり、ひとりは老人ホームに入ることが決まる。そしてひとりは横浜の病院に入院することが決まった。その前に怪我をして離れていった人もいて・・・
レモンはそんな状況を受け入れられず、
「まるで津波みたい。あったものがあっという間に消えていく。」と橋場にすがり付いてなくのでした。
橋場は「老人はそんなものだ。」と呟くように言います。
そこにいたのに消えていく・・・・。
橋場の胸からレモンを奪い取るかのように引っ張り、自分の胸で泣かせる空が良かったです。
寂しくても良いシーンでした。
良いシーンといえば、橋場と若い二人との会話も良かったですね。
ずっと自分の人生に不満をもっていて偏屈さを醸し出していた橋場でしたが、二人の「中途半端を貫いた人生でしたね。」という言葉に救われるのでした。「若いやつは凄いな。」と橋場は感嘆するのでしたが、若い二人から見れば、その人生を送ってきた橋場は凄いと思っているわけで、老人の深さ若者の軽さの大切さを感じました。
両方がうまく絡み合って、うまく行くことがたくさんあるのですね。
クーポンを使って老人たちを助けようとする自治会の副会長と、まずはみんな仲良くなることが大切で出来るだけ自分たちでやっていくと考える一枝は、お互いにその考えには同調できず違ったやり方をしていますが、実は同じところでは繋がっているのだと思いました。
うまくいかない部分を嘆く二人は、お互いに「まだ始めたばかりじゃない」と励ましあうのでした。
ルールを作って老人と向き合追うとしている副会長の米川。一枝と米川はまるで夢と現実のようですが、二人がこの団地にいること自体が、すべて御伽噺の夢のような話のような気がしてしまいました。
そう感じてしまったことが、悲しい現実なのかも知れませんね。
という訳で「キルトの家」は静かな良い作品でした。