「 思い立ったらお出掛け【湯河原の夜と朝】」の続きです。
湯河原を後にしてやってきたのは小田原城です。
最初、どこかに行きたい、何処に行くと考えていた時に思い浮かんだのは、ここ小田原城だったのです。どうせなら温泉に泊まりたい。じゃあ、湯河原に泊まろう。それだけじゃ詰まらないから「彫刻の森」に行こう。と言う風にスケージュールが組み立てられました。
だからこの小田原城に来ることは本当はメインだったのです。
ちょっとネガティブなオハナシですが、私は結構なお城好きで、出来るだけあちらこちらのお城に行ってみたいと思っているのですが、でもそれは高校以後、姫路城や熊本城などを訪れた後に思うようになったのであって、昔はお城ってつまらない場所だなと思ってもいたのです。そう思ってしまった一因にこの小田原城の存在があったように思います。
子供の頃、小田原城はもっとも身近なお城でもありました。横浜から小田原はそんなに遠くないし、父が連れて行ってくれたり、小学校の遠足で行ったこともあったからです。
でもその印象は、真面目なデパート。
別に何も売っていないですよ。せいぜいお土産くらいです。でも子供の私には「博物館」も「美術館」も馴染みのないもので、ボキャブラリーになかったので「デパート」と言う言葉を使うしかなかったように思います。城は概観のみで中は綺麗な床や階段、そして展示品が並んでいたのです。何も売っていないのですから、つまらないデパートで、つまらない場所と言う印象になってしまったのだと思います。
小田原城は再建の城です。
でも一旦城好きになってみると、そのような再建の城であっても、それなりの良さを感じるのですね。
例えば空襲で焼けてしまった名古屋城。
訪れると、人々の叫び・ざわめき・願いや祈りをジーンと感じることが出来た思い出があります。
今その小田原城を訪れると、昔とは違った印象を受けるのではないかと思っていました。
そしてそれは予想通りでした。
お城には小田原駅から行き方によっては、天守まで真っ直ぐに行けてしまうのですが、馬出門から入ったほうが情緒があって良いと思います。そして出来たら「小田原城歴史見聞館」など訪れると、面白さが増すと思います。小田原城と北条の歴史が良く分かります。
昔やっていた「功名が辻」の時だったと思いますが「河越夜戦」についてリサーチしたのですが、イマイチピンと来なかったように思いましたが、凄く良く分かる説明を人形劇で見せてくれて、納得できました。
その見聞館の裏手には蝋梅の花が良い香を放っていました。この蝋梅の画像が欲しかったのですよね。こんな小田原で手に入れることが出来、なんとなく嬉しかったです。
お城と蝋梅。
2月1日は早くも梅祭りが始まっていました。だけど今年は遅いのだそう。
まだこんな感じです。しかもピンボケ。
以下は少々写真日記。
桜咲く頃は見事ですよね、きっと。
馬出門
銅門。「あかがねもん」と読むのだそう。
天守から見た風景です。向こうに見えるのは一夜城歴史公園です。柵が邪魔ですが、大勢訪れることを考えたら仕方がないですよね。でも山の反対側は光る海。手を伸ばしてシャッターを切りました。
昔、父が連れてきてくれた小田原城はピカピカ光っていました。だけど天守が再建されたのは昭和35年です。流石に小田原城の床や壁はピカピカではありませんでした。それこそ昭和の歴史の重みが既に刻まれた城になっていたと思います。
子供の頃、こんな門はあったかしらとか思いましたが、記憶にないのは当たり前。
銅門は平成9年に、 馬出門は平成21年に再建されたのでした。
記憶にはあるのに既にないもの。
それは象のウメ子でしょうか。
お城には興味がなかった昔でも、ウメ子さんには思い出を作ってもらいました。今でも懐かしい楽しい思い出です。
その想い出日記は番外編と言うことで、又近いうちのいつか書かせてもらおうかなと思いました。
という訳で、1時頃小田原を後にしました。
この後私は4時半から仕事。
「なんかせわしないね。」と嘆くと、旅の相棒が「それって、カッコいいじゃん。空いた時間にふらりと出かけて、そして何事もなかったようにいつもどおりに仕事するって。」と言ってくれたのです。
確かに私は疲れてヨロヨロと言うのではなく、なんとなく充実した気分で張り切ってお仕事が出来たように思います。
やっぱり心に刺激と栄養、大切なことなんだと思った二日間でした。