かなり遅れてしまいました。 (^_^;)
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前にも書いたことだけれど、我が家ではもう「世にも奇妙な物語」は見ない。
「今日も何も見るべきテレビがない。」とその日夫が断言したので、「あっ、そう。」と見逃すところだったのをふと思い出し、しっかりと録画予約を入れたのだった。
「俺、昔は見ていたのに、いつの間にか嫌いになっちゃったんだよなあ。」と彼は言う。
たぶんそれは悲劇や後味の悪い作品が多いからだと思う。番組の性質上、そうなることはやむを得ない。中にはホンワカする物語もあったと思うけれど。
だから藤原竜也がこれに出ると聞いた時、ドキドキしたのだった。悲劇や嫌な結末になったら嫌だなあと思ってしまったからだ。
結局その時間になると、夫殿はちゃんとそのチャンネルに合わせてくれたわけで、久しぶりに見た「世にも…」は結構面白かった。
CMに入る前に「ついに藤原竜也登場」みたいな言葉が入り、ちょっと笑ってしまった。
言うなれば、今回の「世にも」の見せ所ってなわけなんだな。
「看板」と言うべきなのか。こういう時なんて言うのだっけな。近頃、知っていた言葉もサラッとでなくなって危ないったらないな。
そしてこの「夜の声」、ラストを飾るにふさわしい内容だったと思う。
自己申告でバラシているわけだけれど、私は相当泣き虫。だから「泣きました。」と言っても、あまり評価には役には立たない。だけど本当に心の芯に届くと、私はひとしきり泣く。思い出してはまた涙する。「夜の声」はそういう作品だった。
「ユリ、あの暮らしは楽しかったね。」
この最後の手紙に書いた言葉は原作通り。これが脳内で藤原竜也の声で再生されると、私はやっぱり涙が出てきてしまう。
死は逃れる事が出来ないすべての者の約束事である。死自体が悲劇と言うわけではない。
土下座する者にさえ冷酷であった若きCEOの男は週末だけホームレスになると言う変わった趣味を持っていた。そこに彼が求めていたのは、透明人間のようだと感じる事だったのか。笑いさえ、その時の彼には乾いたような笑い方しかできなかった。
だけどユリと出会いって、週末だけ一緒に暮らして・・・・・・。
男にとっては、その場所は虚構の世界。だけどユリにとってはその場所こそが真実の世界。
結婚することによって、自分にとっては虚構の世界であるそこからユリを引きずり出しても、男の真実の世界はユリにとっては虚構の世界。
よく見れば分かるだろうと言う事は意味をなさない。
二人はねじれの関係のように交わることが出来ずに、とうとう悲劇が起きてしまう。
だけどこれは悲劇なのか。
男は最後の力を振り絞って自分を刺した女の為に、自殺したかのように遺書を書く。そしてユリが自分がいなくなってしまった事を少しでも嘆くことがないようにと手紙を書くのだった。それはまた、決して彼女が自分の愛する人を、自分で手をかけてしまったと分からぬようになのかも。
ホームレスの仲間が、その手紙を家があった場所に届けに行くと、二人で幸せに暮らす幻影が・・・・・。
あの演出、凄く良かったね。
凄く良かったよ。
二回も同じことを言っちゃったっ^^
だって、思い出したら、また涙が出てきてしまったから。
幸せだったあの時間は、決して消える事がない永遠の時間なんだよね。
それはね、あのドラマの中の話のみではなく、誰の人生にもある事なんだよね。
そしてこのお話は、氷のような心で乾いた世界に生きていた青年の、短い人生であっても、愛する他者を想うようになって行った成長譚だったのかもしれない。
原作も回想であっても、晴れ晴れとした表情でビルの隙間の青空を見上げるホームレス姿の男のシーンで終わるのだから。