森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

自由が丘に行きました。その5

2020-01-08 00:13:48 | 家族スナップ

はっきり言って「その5」があるとは思いませんでした。「自由が丘」と言うところには、妹が病気になる前にも3度くらいは遊びに行ったように思います。雑貨のお店も多くて、結構楽しい街です。

この記事は、「お出掛け日記」ではありません。だけど次にこの街を訪れる時は、そんな感じになるのかと思っていたのです。

現に「自由が丘に行きました。その4」では、ほぼ「お出掛け日記」のような感じで楽しかった姉妹集会の事を書いたのです。

後は妹の体力回復と髪が伸びるのを待つばかりと思っていました。

 

だから、12月のline集会の時に、お正月の役割分担などを決めた時に、彼女が提案した手毬寿司の、作る係りの人たちを束ねると言う重大な役割が振られたのでした。

「頭が痛くって、3時に病院に予約を入れたから。」とその時、妹は言っていたのですが、お正月の事でも張り切っていたので、風邪でも引いたのかと思っていました。

それは12月13日の午後2時の話です。皆予定が詰まっているとの事で、最近盛り上がる事の多いline集会を30分で終えて解散したのでした。

私はその後はバイトの日だったので、バタバタと夕食を作って出掛け、帰った早々、吉田拓郎氏のラジオなどを聴いていたのです。その翌日は朝からまた別のお仕事なので早く寝なくちゃと言いながら、いつも通りの深夜になっていました。その時、充電させるために、バッグの中からスマホを取り出すと、そこにはトンデモない姉妹たちの会話が並んでいたのです。

それは彼女が病院に行く時、あまりの頭痛に吐いたとか、病院で診察を受けたら大きい病院に行くための紹介状を貰ったとかいうもの。

もちろん深夜だったので返事も出来ず、朝一番に、そのラインにコメント参加したものの、とにかく月曜日に大きな病院に行くまでは何もわからず、重い気持ちが波のように押し寄せてはきましたが、分かるまではジタバタせずに過ごす事にしました。

それで土曜日はバイトに行ったり、銀行回りなどをし、日曜日は習い事のイベントがあったので、それに参加。月曜日は、友人たちとランチの約束がしてあったので行きました。

土曜日も日曜日も、いつになく活発にlineでの会話がありました。私のイベントの報告などを聞いて貰ったり、一番下の妹の近況なども含めてでしたが、その時なんとなく彼女の打ち間違いが多いのが気になっていました。

それが時々、「どういう意味なんだろう。」と言うものが、紛れるようになってきたのです。

「あれっ、スマホが、なんか変。」と彼女は言いました。

今思うと、打ったものを読み直した時に、そのわけの分からない文を見て、妹はどんな気持ちになっていたのかと思うと、なんとなく切ないです。

月曜日は友人とのランチ。そのテーブルの上に出していたスマホが啼きました。

「このまま入院になりました。脳腫瘍でした。」

とそこにはこう書いてありました。

 

ちょっと予測はしていました。

だけどその文字は、やはり大きなショックでした。

珈琲のお替りをしに席を立ちましたが、そこは普通のドリンクバーとは違って、誰もいないひっそりとしたところにあったのです。思わず私は耐えきれず、しくしくと泣きました。

「酷すぎる・・・・・。」

肺の検査の結果を聞きに、姉と一緒に自由が丘に妹を訪ねて行ったのは、2019年の1月だったのですよ。「自由が丘に行きました。

もうすぐゴールかと思ったのに振り出しに戻された双六のようだと思いました。

「明日行く !!」と返信すると、そこに姉も一番下の妹も「私も!!」と並びました。

姉は本当は娘の子供たちを預かっているので、ひとりで夕方から向かうしかないと思っていた所、義兄が代わりに面倒を見るから一緒に行っておいでと言ってくれたのでした。

私も翌日のバイトのお休みを取るのに、ちょっとバタバタしました。もちろん気持ち良くお休みを頂く事は出来たのですが。

そして三人で軽いランチを頂いてから、病院に向かいました。

車いすに乗った妹は、すこぶる元気で明るく振る舞っていました。

あまりにも明るいので、私は逆に胸が痛くなりました。

いつか笑い話にする時の為にと、四人で写真を撮りました。

 

妹は月曜日に入院し、17日の火曜日に私たちのお見舞い、そして水曜日には諸々の検査をして、木曜日にはすぐに手術が決まりました。

驚いたことに翌日金曜日の夕方には、集中治療室を出て一般病棟に移ったのでした。

そしてその日にラインで報告が来ました。

思わず姉が「本人?」と聞いたくらいです。

 

きっとみんなの「元気玉」が効いたのかも知れません。

それは何かと言えば、私たちとそれぞれの子供たちで、主に旅行時に使うグループラインをしているのですが、水曜日と木曜日の朝、そこにみんなで応援エールを入れました。姉が「元気玉を送るよ。」と言う言葉を使い、私は思わず、その分かりやすさに頷きました。

私たちは、見せた側と見た側とで、皆「ドラゴンボール」世代なのです。みんなのエネルギーを少しずつ分けて、ヒーローの闘いを助けるのが「元気玉」です。

その時のみんなの言葉は、きっと元気玉になって妹の生命力の一部になったと、私は信じます。

 

お正月、流石に妹は来ることは出来ず、その家族も妹に付き添ってやって来ませんでした。

ならばこちらから行くと、1月3日の日にまたも自由が丘に行きました。

それは次の記事に続きます。

 

 

お土産に持って行ったプリン。

 

 

 

 

 

 

 


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